05





大切だったものを無くすこと。
大切だったものがあったことすら忘れてしまうこと。

一体どちらが不幸なのだろうか、という問いがあったとしよう。最近身に覚えのあるその問いに、私はこう答えるしかない。そんなのどっちもどっちだ、と。比べることからして既に間違いなのだと。

他人の不幸と自身の不幸は必ずしも重ならない。そんなことわかっているのに、それでも人間は自分を慰めるために、正当化するために、同族を求めずにはいられないのだ。傷の嘗め合いとわかっていても、求めずにはいられないのだ。

私はそんな関係が何かを生み出すとは思えないけれど、前に進み続けることが理想論でしかないことも理解している。そんなに強く生きられるようには人間は出来ていない。

だから、縋るのだ。だから、願うのだ。だから、支え合いたがるのだ。リオールの街で出会った、数日だけ関わりを持った少女にほんの少しだけ思いを馳せた。

そこまで答えて私は湯気の立つコーヒーの入ったカップを黒髪の大佐に手渡した。リオールの街で仕入れて来た珈琲豆だ。彼は面白いものを見つけたように笑う。それがなんだか癪に触って眉を寄せると、彼はますます笑みを深くした。



「ほう、まさか君がここまで饒舌に語ってくれるとは思わなかったな。」

「…自分が聞いたんじゃないですか。」

「ぜひあの兄弟に聞かせてやりたい、と思ったものでね。」

「兄弟?」

「エルリック兄弟だよ。聞いたことくらいあるだろう。」

「エルリック…ああ、あの、噂の。」



赤いコートに金の髪を三つ編みにまとめ、最年少国家錬金術師と名高い鋼の錬金術師。弟は全身鎧という何とも奇妙な兄弟のことだろうと推測する。

何でも兄の方は東部の内乱で片手片足を失っただとか、その体を取り戻すために国家錬金術になっただとか、本当か嘘かわからないような噂が多々出回っている兄弟だ。

今までの話が彼らにどう通じているのかは知らないが、1人楽しそうな大佐に私は溜め息を一つ漏らした。そんなことよりしっかり仕事してくださいね、と私が言わなくても、私の後ろで構えている女性がいる限りは大丈夫だろうと空いたカップをそっと下げる。ありがとう、と微笑むのを忘れない辺りが彼がプレイボーイと言われる所以だろう。

一つ礼を返して、私は給湯室へと体を向け直した。正しくは"向け直そうとした"。
扉を開けようとした正にその時だ。外からバタバタと激しい足音がした。

咄嗟に身を扉から離すと、内開きのそれが勢い良く開かれた。あまりの勢いに手に持っていた銀のトレーの上のコーヒーカップがカタカタと音を立てた。ノックもせずに入ってくる非常識者はどこのどいつだ、と来訪者に視線を移すと、赤いコートに金の三つ編みが見えて、私はパチパチと瞬きをした。この容姿の特徴には聞き覚えがあったからだ。



「大佐!」

「鋼のか、なんだ騒々しい。」

「わざとあの列車に乗せやがった礼をまだ貰ってないんでな。」

「何を言う。わざと乗せたわけではない。たまたま、偶然、運命的なことに君達兄弟があの列車に乗っていたというだけの話だ。」

「うおお、きたねえ!」



黒髪の大佐、ロイ・マスタングが私は知りませんよ、という顔でしらばっくれるそれには少々聞き覚えがあった。
確か数日前にハクロ将軍一家が乗った列車がトレインジャックされ、さらにそれを解決したのが件のエルリック兄弟である、と。

私は覚えている。乗客名簿を見たマスタング大佐が「今日は早く帰れるぞ。」と、にんまり笑い、その後の顛末を全て、"たまたま、偶然、運命的に"、件の列車に乗っていた鋼の錬金術師とその弟に(一方的に)一任していたことを。

その甲斐あってか、トレインジャックは比較的早く収束を迎えた。怪我人もハクロ将軍以外はない。ハクロ将軍は治安が不安定なのに呑気に旅行なんて行ったのが原因なので同情はしない。自業自得だ。

犯人の身元引受には大佐とリザさんが行ったので私は見ていないが、聞いた話によると大佐が犯人を半焼きにして私が焔の錬金術師だ!とか宣ったんだとかなんとか。その話をしているときのリザさんの深い溜め息までもが思い出された。



「それで、何が望みかね。」

「生体錬成に詳しい国家錬金術師を紹介してくれよ。」

「君の後ろにいるだろう。」

「は?」



は?と言いたいのはこちらの方だ。私は国家錬金術師じゃありませんよ大佐。何とちくるった事をと、じとりと睨む。大佐は余裕のある笑みで軽く肩を竦めるだけでそれをいなした。

確かに私は生体錬成について研究はしている。しかしそれは合成獣を創ろうだとか、人間の治療に役立てようだとか、世のため人のためではない。全て自分のためだ。もちろんそれを他人にひけらかすはずもないし、ここに置いてもらっている以上必要最低限の研究報告はしているがその研究の真意は大佐だってリザさんだって知らない。知られては、いけない。

はあ、と溜め息を吐いてトレーを両手で持ち直すと、ばちりと合った目は金色だった。それは強い光を携えている。きょとんと丸められた目。それはやがて見定めるような目に変わる。

無意識に、鳥肌が立った。