06





私は、この強い瞳を知っている。

それは、深い深い闇の底だ。自分自身ですら引き上げることが出来ないほどの、闇の底だ。その底のさらに下の方。その部分がじくじくと私に知らせる。私に叫ぶ。お前は知っているはずだ、と。その瞳を、お前は知っているはずだ、と。

ただひたすらに、その叫びは私に小さな恐怖を抱かせた。

金の髪の少年はにっと歯を見せて笑ってこちらに手を差し出した。なんのことはない、単なる握手だ。しかし、彼の細められた金の瞳が、フラッシュバックを起こさせる。彼ではない誰かが彼に重なる。私はそれが誰か、知っていたはずなのに。今では顔すらわからないのだ。
顔も声も瞳も、あんなに鮮明に覚えていたはずなのに、何故か関係のない少年に面影を重ねてしまうのだ。それはとても苦しくて、悲しい、残像。

無意識に息が浅くなる。



「あんた新顔?どっかで会ったような気もするけど初めてだよな?俺、エドワード・エルリ」


−俺の名前はね、


「…っ、さわるな!」



一際大きな記憶の波だった。

それを振り払うかのように、明るく差し出された手を払い落としたのは私だ。ぱしんと小気味のいい音を立ててその手は私から離れた。手を払ったせいで、私の手で支えることが出来なくなった銀のトレーが床に落ちた。がしゃん!と大きな音がして、しまった、カップが割れてしまった、と思考が回復する。

しかし私の手は未だに小さく震えたままで、誰にも触られまいともう片方の手でぎゅうと握り締めて守る。目の前の彼はぽかんと目と口をだらしなく開けたまま私を見ていた。大佐も流石に予想外だったのか、面食らったように私を見つめた。表情こそ大きく変わらないが、リザさんも同じ気持ちのようだった。

部屋の中で一番最初に意識が戻ったのは金の髪の少年、エドワード・エルリックだった。徐々に不機嫌そうに顔が歪んでいく。この目には見覚えがある。この感情は、嫌悪、だ。



「普通初対面の人間の手いきなり叩き落とすか!?おい大佐!こいつなんなんだ!」

「つい先日から東方司令部に配属になった、私の部下のエルだが。」

「んなこと聞いてんじゃねー!あんた部下にどんな教育してんだよ!」



血管が切れてしまうのではと心配になってしまうくらいエドワードは怒りを露にした。コーヒーを飲みながら「ははは」と笑いを零す大佐にますます苛立ったのか、エドワードの怒りはヒートアップしていく。

どくどくと大きく脈打つ私の心臓は今にも飛び出してきてしまいそうだった。射抜くような金の瞳はまた私に向けられる。今度は、少しばかりの敵意を含んで。怒りを孕んだ瞳。この瞳は、苦手、だ。そう思った。

リザさんが「エル、顔色が悪いわ」と小さく私の名前を呼ぶ。浅い息は戻ってくれず、リザさんが私の背中を撫でる。その手からは戸惑いが感じられるが、「カップ、すみません。」と答えるしか出来ない。

自分でも混乱したまま、とにかくカップを戻さなくては、と謎の使命感に駆られ、少し震える手を合わせてカップに触れた。それはパチパチと練成反応を伴って元の形に戻る。それを見たエドワードの目が僅かに見開かれたが、それ以上の嫌悪感が上書きしたらしく、ギリリと歯噛みをしている。
私は一刻も早くここから立ち去りたくて、すっかり元に戻ったカップとトレーを抱えて足早に執務室を後にした。

関わりたくないと思った。あの瞳に曝されたくないと。初めて会ったはずの少年に抱いた小さな畏怖の念の正体を私は知らない。

この感情は、私にはまだ、わからない。わかりたく、ない。