32





「おい、エル!起きろ!」



ハッと、夢から覚醒した私の視界にいたのはノックス先生だった。背中は汗でびしょびしょになってしまっていて酷く心地が悪い。貼り付いた前髪は私の視界を狭くしていた。

ああ、そうだった。私はノックス先生の家の前で彼の帰りを待っていたのだ。どうやらその内にうとうとしてしまっていたらしい。我ながら無防備すぎる。

そんな私を見て、呆れたような表情で彼はまた来たのかと溜め息を吐いた。また来ちゃいました。相変わらずか。相変わらずです。そんな会話を交わして、ノックス先生の部屋に招き入れられた。

定期的にノックス先生の元を訪れていることをマスタング大佐やリザさんは知らない。ノックス先生にも口止めをしている。ノックス先生は毎回もう来るなよ、と捨て台詞を残すが、私がそれを聞き入れたことは一度もない。憎まれ口を叩きながらも彼は結局家に招き入れてくれるのだ。

差し出されたマグカップには湯気の立つホットミルクが入っていた。行動の端々でノックス先生は私を子供扱いする。ノックス先生だけじゃなくて他の大人も、だけれど。もう私はコーヒーだってブラックで飲めるというのに。毎回甘いホットミルクを出してくるのは、きっと私を子供というカテゴリーにつなぎ止めておく為なんだろう。

でもね、ノックス先生。私はもう子供と言ってもらえる程綺麗じゃないんですよ。貴方だって、知っているでしょう。ノックス先生はその事には触れず、フン、と鼻を鳴らす。



「研究は進んでんのか?」

「…決定的な成果は、まだなんとも言えないですね。」

「マスタングの野郎には言わねえのか。」



それは断定的な言い方だ。ノックス先生は煙草に火を付けると目線を逸らした。言いません、と答えると彼はやっぱりかとでも言うように煙を吐き出した。

大佐は優しすぎるのだ。だから言わない。だから言えない。きっと彼は知ってしまったら私を外には出してくれない。危険の及ばない裏方で甘んじろと言うに決まっている。そんなのは私だって求めていない。

だから言わない。だから言えない。ノックス先生も、大佐や私の考える事が解りきっているから疑問符を付けないのだろう。



「おら、服捲れ。」

「ご迷惑お掛けします。」

「ふん、今更何言ってんだ。」



捲ったシャツの下にはざっくばらんに巻かれた包帯。するすると外すと右脇腹からへそに掛けて傷が広がっていた。ノックス先生はそれを見ると嫌みったらしく溜め息を吐いた。「今回はまだマシでしょう」、と言うと先生は私の頭を消毒液のボトルで叩く。暴力的過ぎる。一応怪我人なのに。

女なんだから少しは大人しくしてろ、はノックス先生の口癖だ。大人しく出来るような性分だったなら、きっと私はノックス先生の元を訪れる事なんてない。そんなこととっくにわかっているだろうに。

まるで父親みたいですね。軽口を叩けば彼は決まって閉口する。私の性格も大概嫌みったらしいみたいだ。

黙々と消毒液を付けるノックス先生の表情は憮然としている。私は小さく息を吐いて彼を見据える。ノックス先生はわずかな動きに反応して私の顔を見上げた。



「先生、最近、早くなってきました。」

「…そうか。これも最近なんだろう?」

「はい。ちょっとしくじっちゃって。」

「…ふん、一応調べといてやるが、期待はするなよ。」

「ありがとうございます。自分のことがわからないって本当不便ですね。」

「忠犬も程々にしろよ。死んだら元も子もねぇんだ。」

「やだなぁ、忠犬なんて柄じゃないですよ。そうですねぇ、狂犬とかの方がいいかもしれません。」



包帯を綺麗に巻き直してもらうと、私は服を元に戻した。立ち上がり、カップをコツ、とテーブルに置く。私は上着を羽織ると扉に向かって歩き出す。彼は私の背中に向けていつものように言うのだ。もう来るなよ、と。



「元に戻れたら、先生が望んでももう来ませんよ。」



パタリと閉めた扉。部屋の中から吐かれた ふざけんな、クソガキ。 の声は、聞こえない振りをした。