「…え?延長ですか?」
『ああ、まだ傷の男が捕まっていない今、君もエルリック兄弟と一緒にいてもらった方が何かと安心だからな。』
「…はあ、わかりました。」
『おや?随分と素直じゃないか。』
「いえ、中央での任務があるので丁度いいかと思っただけですが。」
『ああ、もしかして鋼のと仲良くなったのか?』
「人の話聞いてます?切りますよ。」
『ふふん、男女の関係は奥深いものだからな。君もやっとそういう年頃に』
ガチャンと音を立てて受話器を置くと、すぐにジリリリリと電話が鳴り響いた。うるさいベルの音を無視してその場を去ろうとするも、受付の女性がマスタング准尉、東方司令部のマスタング大佐からお電話です、と事務的に言う。はあ、と溜め息を1つ落として再び受話器を耳に当てた。
『エル!いきなり電話を切る奴があるか!』
「私は切りますよと言ったはずですが。」
『コミュニケーションという言葉を知らないのか!ジョークだジョーク!大体鋼のなんかに大事な君を差し出すわけがないだろう!』
「人の話を1ミリも聞かなかった大佐には言われたくないですね。それから、一応軍の回線なので頭悪そうな事ばかり仰られると大佐の沽券に関わってくるかと。」
私が言うか言わないかのタイミングで受話器の向こうから数発の銃声と引きつったような悲鳴が聞こえた。至極簡単に想像出来る光景なので敢えて説明はしないでおくが、まあ、そういうことだ。「じゃあね、エル、頑張るのよ。」リザさんの優しい声が受話器から響いて、私が相槌を打ったことで通話は無事に終了した。大佐の生死は不明だが、まあ、大丈夫だろう。リザさんの腕は確かだ。
傷の男が捕まっていない事は未だ不安要素ではあるが、中央に留まれる大義名分が出来たのは正直かなり有り難い。棚から牡丹餅ってやつだ。エルリック兄弟は中央図書館で資料を読むらしいので私も堂々と中央図書館で研究が出来るというもの。早速中央図書館に行こう。
踵を返したところで通路の角から青い軍服がにゅっと飛び出す。少し早くなっていた足がその人物にぶつかるまいと自然とブレーキを掛けていく。そのままのスピードであればぶつかっていた筈のその軍人はとても見覚えのある人物だったので、私の足は完全に前進運動を停止した。
「お!エル!」
「マースさん。」
「そんな早足でどこ行くんだ?」
「エルリック兄弟の護衛が延長になったので中央図書館に。」
「お!エド達も来てんのか!よーし俺も行ってやるかな!」
マースさんは何か用事があってこちらに歩いてきたのではなかったのだろうか。今さっきまでの彼の進行方向とはまるで逆方向なのに、マースさんは別段気にした風もなく私の隣を歩く。一応彼も中佐という地位にいる以上は書類だって多いだろうし、それこそ傷の男のことだってある。傷の男の件はどうやら東方司令部が先陣を切って解決に向けていくつもりらしいが、それに伴うタッカーの合成獣事件は確かマースさんの管轄のままだ。東方司令部のマスタング大佐にある仕事が中佐に無いわけがない。彼にも山積みの仕事があるはずだ。訝しげに見る私の視線に気付いたのか、マースさんは「いーのいーの。」と手をぶらぶらと振った。
「第一分館が燃えちまって刑事記録もパーなんだよ。上の連中は大慌てだけどな、慌てたところで刑事記録は戻ってこねーっての。息抜き息抜き!」
「まあ、私はいいですけど。部下が泣きますよ。」
「上司からの愛の鞭ってな!」
がはは、と笑うマースさん。彼の部下はさぞかし少ない休憩で事後処理に追われているのだろうと思うと何だか他人事に思えなかった。こんな上司を私はもう1人知っている。こういうの、類は友を呼ぶって言うんだろうか。まあ、でもマースさんはまだ仕事をこなすだけマシか。
東方司令部にいる我が上司の大佐を思い出して、はあ、と息を吐くと「人の顔見て溜め息吐いてんじゃねー!こんにゃろ!」と頭をがしがしと撫で回された。「ちょっと!やめてください!」声を上げてもマースさんはゲラゲラと笑って力を強め、解放してくれそうもない。
「いい加減にしないとグレイシアさんにチクりますよ。」
「おっと、それは困る!グレイシアの奴エルには人一倍甘いからなー。」
「またグレイシアさんのアップルパイ食べに行きたいです。」
「おー、来い来い!お前が来るとエリシアも喜ぶ!」
そこからマースさんのエリシア自慢が始まったのは言うまでもなく。家族3人で写った写真を見せながらもうすぐ3歳なんだ、と笑うマースさんは、嫌いじゃない。
大佐はマースさんののろけ話を煩わしいと一蹴するが、私にはない家族の温かさをお裾分けされているような気がして、私はすごく好きだ。
しかし、いつも見慣れているはずのその写真に納められたエリシアの笑顔はどことなく合成獣にされた少女を彷彿とさせて、胸がぎゅうとした。