大総統府は苦手だ。なんというか、とにかく居心地が悪いのだ。ぼんやりと包まれるような絡め捕られるような異様な空気を、ここでは感じてしまう。
やけに静かな廊下に響くのはカツカツと無機質な私のブーツの音だけ。何かに誘われるようなその雰囲気や居心地の悪さは何度来ても慣れない。
一介の軍人、ましてやその地位が准尉であるならば、大総統府直属の機関以外ほとんどその建物に用事などあるはずもない。では、何故私が大総統府の廊下を歩いているのか。それは私がただの一介の軍人ではないからだ。
重苦しい扉の前で深呼吸を一つ。コンコンとノックをした後にエル・マスタング准尉です、と名乗れば短く入りなさい、と返答。大きな窓を背に大仰な椅子に座るキング・ブラッドレイ大総統を前に自然と背筋が伸びる。もう高齢であるにも関わらず彼の威圧感は出会ったその日から一片の翳りも見せない。思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「先日の任務、誠にご苦労。やはり頼りになるな、エル・マスタング准尉は。怪我の具合はもういいのかね?」
「…私にはもったいないお言葉でございます。負傷についても問題ありません。」
「はっはっは!謙遜することはない。」
「いえ…。」
「…それで、だ。最近第五研究所にて何者かが不穏な動きを見せていると情報が入った。」
「第五研究所…もう使われていない施設のはずでは?」
ふむ、と組んだ手に顎を乗せるその様ですら、私には緊張感を与える。
使用されていないはずの施設に不穏な動き、とは一体何なのか。訝しげな視線を送ると、「今夜行ってくれるな」、と言葉を返された。は、と敬礼を返すとブラッドレイ大総統は満足そうに笑った。
その笑顔にすら恐怖を覚えてしまうなんて、どうかしている。彼はこの国の最高権力であるのに。尊敬するならまだしも、恐怖するなんて。
「君の今回の昇進試験辞退、残念に思っているよ。」
「…申し訳ございません。まだまだ若輩者ですので、経験を詰んでから、と思いまして。」
「何、周りはうるさいだろうがそれが君との約束だからな。気にする事は無い。東方司令部から中央に異動になった暁には、一考してくれると助かる。」
「はい、その機会に恵まれましたら、一層お役に立てるよう尽力する所存です。」
「ああ、そういえば最近エルリック兄弟の護衛をしているそうだな。」
「はい、傷の男がまだ捕まってませんので念の為にと。」
「東部での爆発事故、傷の男の衣服が見つかったそうだ。」
「死体は?」
「いや…。」
「…そうですか。」
「鋼の錬金術師は非常に将来有望な人材だ。くれぐれもよろしく頼むぞ。」
「仰せの通りに。」
重い扉を閉めて、私はようやっと肩の力を抜く。ほ、と吐いた息は思いの外深かった。緊張からか額には汗が滲んでいた。つ、と流れた滴を拭うと、私は重い扉を一瞥する。
いずれこの扉を訪れても、私は何の感情も抱かなくなってしまうだろう。罪悪感を感じる資格なんてありもしない癖に、この扉を訪れる事を疎んでしまうのだ。その感覚だけは無くならないで欲しいと、私は慣れを拒んでいる。
中央に異動。エルリック兄弟。鋼の錬金術師。
ブラッドレイ大総統は無駄な話はしない。言葉遊びとすら呼べない乱暴なそれは、何かへの牽制に他ならない。
壁を背にずるずると座り込む。低い位置から天を仰いでも、ここでは無機質な壁しか見えない。ぎゅう、と目を瞑って、息を深く吸い込んだ。
「…だれか、」
呟いた声は静かな廊下に消えた。