タッカーさんの研究資料は興味深いものが多く、時間がどれだけあっても足りないくらいだ。タッカーさんの家に来て資料を読み始めてからどれくらい時間が経ったのだろう。空はもう赤味を帯び始めていた。
そういえば、アルフォンスは成果があっただろうか。様子を見に行こうと思い立ち上がろうとすると、突然大きな影が差した。
む?この光景はまるでデジャヴだ。いや、実際はこんなに余裕のあることは考えられなかった。影が差した直後に俺はタッカーさんの家を訪問した時と同じように大型の犬に押しつぶされたのだった。俺の顔を舐め回すその犬を退かす事が出来ず、そのままされるがままだ。このまま食われてしまうんではないかと思うくらいの勢いでそいつは俺にのしかかる。
そんな俺を助けたのは犬の飼い主でも、動物好きな弟でもなかった。
「アレキサンダー、おいで。」
「ぶはあっ!助かった!」
「兄さん大丈夫?」
「あ!アル!何遊んでんだ!」
「いやあ、だってニーナが遊んで欲しそうに見て来るからつい。」
「アレキサンダー」、と犬を窘めたのは青い軍服を着た、あいつだった。いけ好かない女、エル・マスタング准尉だった。
ニーナと呼ばれた少女はあの女の軍服を掴みながらにっこりと笑う。「お兄ちゃんも遊ぼうよ!」と、お声がかかった。
あいつはニーナの頭を何度か撫でるとアルフォンスの方にニーナを差し出した。ニーナが不服そうに頬を膨らませると、見逃してしまいそうなくらいほんの僅かに眉を寄せたように見えた。
表情筋のない奴め。子供相手にくらい笑ってやればいいのに。ホークアイ中尉もクールな方だとは思うが、あいつよりはずっとましだ。
あいつは諦めたように一度息を吐くと、俺にちらりと視線だけ放ってきた。目は合わせようとしない。なんて奴だ。失礼だろ。
「エルリックさん、その本貸して下さい。」
「ん、ああ。」
さっきまで俺が読んでいた分厚い本を渡してやると小さく頭を下げた。ニーナに「これだけ読ませてください、ニーナの隣で読むから。」と言うと、ニーナは嬉しそうに強く頷いた。
いつの間にニーナは彼女に懐いたのか。楽しそうに話すニーナには悪いが、とてもじゃないが子供が懐くような人間には思えない。
4人と一匹という団体で書庫から庭に移動した俺達は芝生の敷かれた地面を、早速駆け回り始めた。あいつは木の影に腰を下ろして、先程渡してやった本を読み始める。ニーナはそれに気付いて戦線離脱をした。そのままあいつの隣に座り込んでにこにこと、(ほぼ一方的にだが)話し掛けていた。あいつは表情を変えることなく、本のページを捲りながら興味深げに本を覗き込むニーナの頭を時折撫でて構ってやっていた。
少しして、あいつは本から顔を上げる。今度は一瞬だけ目が合った。すぐに下に下ろされたけれど。
「…なにか用ですか?」
「あ?」
「…ずっと、見てくるので。用があるなら言って頂けますか。」
「え、あ、いや、別に。」
「なら、あまり見ないで下さい。」
「あ、ああ、悪い。」
アレキサンダーに追い回されながら、無意識の内にあいつを見てしまっていたらしい。なんか気まずい。いや、あれだ。あいつがニーナを取って食うんじゃないかとか、そういう心配があってだな!誰に弁解するわけでもないのに、1人で内心焦っていた。
あいつはどこか苦手だ。俺に怯えてるところとか、目を合わせないようにしてるところとか、そのくせ空気はちゃんと読んでタッカーさんとの話のときにスマートに部屋を出るところとか、表情筋皆無なくせにニーナとアレキサンダーには好かれているところとか、俺に対してだけあまり関わらないようにしているのが見え見えなところとか。
願わくば明日からはハボック少尉あたりが送迎してくれやしないかなんて思っているくらい、苦手だ。
しかしその俺のささやかな願いが叶わないことは、次の日の朝すぐにわかることになる。次の日も、不本意ながら4人と一匹で過ごすことになるのだ。