お互いのすれ違い、わだかまりがなくなったことで、心に重く圧し掛かっていたものはすっかりなくなっていた。
両肩に感じる風間さんの手のぬくもりが、優しく微笑むまなざしが、なんだかくすぐったい。
風間さんが口を開きかけた時、堪え切れずくしゃみが出た。

「大丈夫かい?たくさん泣かせてしまったからね…。落ち着いたら帰ろうか」
「はい…すみません」
「恵美ちゃんが謝ることはないさ。でも今日、こうして話ができて良かったよ」
「…はい。私も、です」

もう大丈夫と目元の涙を拭い風間さんを見上げると、彼は頷き立ち上がった。
どうやらお互いの家は反対方向にあるらしく、今日はここで別れることになった。
一人で帰れるかい、と冗談なのか本気で心配なのかわからない問いかけに、大丈夫ですとしっかり答えた。
今はしっかりと風間さんの目を見て、自分の気持ちを言葉にできる。
それがこんなにも嬉しいことだなんて。
瞼は若干腫れぼったかったけど、清々しいような心持ちで家路を歩いた。



翌日のお昼休み。
友達がまた部活の先輩とご飯を食べるというので、私はひとりいつもの中庭に来ていた。
朝起きると瞼の腫れも引き、学校での振る舞いも普段通りに戻った。
だから友達と喋りたかったのだが仕方がない。
定位置に座って一息ついていると、隣に人の気配を感じた。
驚いて横を見ると、昨日と同じ微笑みの彼が座っていた。

「やあ恵美ちゃん。ご一緒しても構わないかい?」
「…もちろんです」

なんだか少し恥ずかしい。
はじめの時と変わらないシチュエーションなのに。
変わったことと言えば、私のお弁当の中身くらいだろうか。
以前指摘された彩りはミニトマトを入れただけだが、量は普段に戻っている。
風間さんは今日もおにぎりを取り出し、いつの間にか食べ始めていた。
それを見て、私もお弁当に手を付け始めた。

聞こえるのは鯉が水を跳ねる音と、校庭から聞こえる生徒の喧騒だけ。
それでも居心地は悪くなかった。
安心感からだろうか、不思議と心が温かくなるような気さえしてくる。

風間さんは私より先に食べ終わったようで、両手をベンチに乗せて足をぶらぶらさせている。
私は早く食べなければと慌てておかずを口に運ぶけれど、風間さんに制された。

「ゆっくり食べなさい」

…なんだかお母さんに言われたみたいだ。
でもその一言で、その後はいつものペースでお弁当を食べ進めることができた。
…その間、風間さんがずっと私の方を見ていたのが気になったけれど。

ごちそうさまでしたと両手を合わせると、風間さんは小さく笑った。

「おいしかったかい?」
「自分で作っているので、まあほどほどに…」
「でも、前よりおいしそうに見えるよ」
「う……」

喜んでいいのかと迷ったが、前回の感情が少し思い出されて、思わず言葉に詰まる。
そんな私が面白かったのか、風間さんはわっはっはと笑い声をあげている。

そうして何をするわけでもなく過ごしていると、あっという間に昼休みは終わってしまった。
風間さんと別れて教室に戻ると、今までにない充足感のようなものがあった。
友達と過ごしているときとは違う、楽しかったという気持ち。でももっと…。
私の中を、今までになかった感情たちが生まれていくのを感じた。

放課後は特に約束をしたわけではないけど、校門の近くで風間さんと合流し、一緒に帰った。
多分風間さんは待っていてくれたのだろう。
それが嬉しいやら恥ずかしいやらで、胸の鼓動は少し早くなった。
話す内容もこれまでと特に変わりはない。
今日こんなものを見つけたとか、クラスメートの面白かった言動とか、夕飯のメニューとか。
他愛のない話だけど、私にとっては大切な時間だった。
別れるのは惜しまれたけれど、道が分かれるところでそれぞれ家路についた。
風間さんは手を振ってくれたけど、私は恥ずかしくて会釈で返した。

そんな日々が数日、一週間と続いていく。
嬉しかったはずなのに、時間を経るにつれて一つの疑問が浮かんで、それは簡単になくならなかった。

(…これでいいのかな)

お互いの気持ちを話して、すれ違いがなくなって。
普通に話せるようになって、過ごす時間が増えていって。
でも、それだけ。
話している内容は毎日変わらず、下校も分かれ道まで真っすぐ向かう。
これは不安なのか、物足りないのか、何なのか。
風間さんは自分からどうしたいと言ってこない。
私から言うのを待っているのだろうか。
…私は、風間さんに対してどう振舞えばいいのか迷っている節がある。
わだかまりは解け、壁は消えた。
だからといって、急に距離が縮まるわけでもない。

(…風間さんは、これでいいの?)

私の心にじわじわと翳が差した。



「風間さん」
「どうしたんだい?なんだか今日は怖い顔をしているね」

いつものお昼休み。
いつもといっても友達の予定に左右されるから、今日で四回目くらいになる。
その間も私の心の翳は大きく暗く私自身を覆っていくようで、それがどうしても態度に表れてしまう。
これ以上続けるのはまたこの前のようになりかねない。
私は意を決して口を開いた。

「風間さんは…これでいいんですか?」
「これって…何のことだい?」
「私と、たまにお昼を一緒に食べて、一緒に帰って…雑談をして…でも、それで、それだけで、いいんですか?」
「………」
「風間さん、何か自分を押し殺すような、我慢とか、してませんか?」

態度に表れ、声に表れ、震えるような声色で一言ずつ、彼に気持ちを打ち明ける。
その間彼は何も言わなかった。
それが私の負の感情をより確かなものに変えていく。
心が凝固していくような感覚に、胸元をぎゅっと握っていないと落ち着かなかった。

「風間さん……私、」

迷惑かけてませんか。一緒にいることが負担になっていませんか。
そう続けようとした私に、風間さんは力強く振り向いた。

「僕は、恵美ちゃんにとても不安な思いをさせてしまっていたね。すまない。でもそれでいいと思っているかと言われたら、そうじゃない」
「…どういうことですか?」
「恵美ちゃんは一緒に出掛けたいとかもっとたくさん話したいとか、そういうことを思ってくれているんだね?」
「……それは……そう、かもしれません」

恥ずかしさから尻すぼみの曖昧な発言になってしまった。
それでも風間さんはそれを笑わずに、うんうんと大きく頷いて聞いてくれた。

「それじゃあ、僕が謝らないといけない。…僕はね、今そういったことを望んでいないんだ」
「………!それって……」
「ああ、勘違いしないでほしい。僕が恵美ちゃんとそうしたくないわけではないよ」
「……?」

彼の発言の真意がわからず首をかしげていると、彼は若干俯きながら頬を掻いた。

「…君といるとさ、とても心が安らぐんだ。嬉しいとか楽しいとかそういう気持ちももちろんある。でもそれを更に上回る安心感があるんだ」







改まったような姿勢で、ちょっと緊張したような表情で、言い終わるころにははにかんだような笑みを浮かべて。
彼の見慣れない言動とその内容に、熱を帯びた頬を隠すように俯き、ゆっくりと首を横に振った。



EHL.