掴まれた手首の痛みが麻痺してきた頃、空き教室の扉ががしゃんと開け放たれ、私は勢いそのままに乾いた床へ投げ出された。
受け身をうまく取ることができず、膝とおしりを強打してしまう。
新たな痛みに小さく呻いていると、私をここへ誘った主は扉を静かに閉めた。
がちゃりと耳慣れない音と共に。
「昭二…?」
「ああ、鍵を閉めたんですよ。放課後にここへ来る人は誰もいないと思いますが、念のため」
普段と変わらない声色のはずなのに、背筋を不安と悪寒に撫で回されている気持ちになる。
空き教室の冷たい空気がそうさせるのだろうか。
季節は残暑の残る夏の終わりだというのに、この空間や床はそれを忘れさせる程にひんやりとしていた。
心なしか彼の声も表情も、普段より冷酷さを増したように感じる。
「どうしたの?私…」
何かしてしまったかと問う前に、一歩ずつゆっくり歩み寄る彼に圧され、無意識にじりじりと後退してしまう。
前髪からちらりと覗くその両目は、ぬらりと光るような執念のようなものを感じさせた。
私が壁にぶつかり身動きが取れなくなると、目の前まで来た彼が膝を立てて目線を合わせてくる。
小さな恐怖から目を逸らしたくなったけど、そうしたくないという意思でじっと見つめ返した。
「自覚がないんですね。僕がどれほど気掛かりに思っていたか、貴女は意に介さなかったわけですか」
その声と視線は、少しずつ怒りや嘲笑を増していく。
先ほどの懸念は気のせいではなかったと合点がいったが、そんな悠長なことを考えている場合ではない。
「…ごめん、私、」
「僕が何に対して話しているかわかっていますか?わかっていないのに謝られても困りますね」
「……わかって、ない」
「そうでしょう。今から教えてあげますから」
そう言いながら、彼は右手を伸ばしてくる。
一瞬どくんと鼓動が大きく跳ねたが、叩かれたりするわけではない。
静かにゆっくりと呼吸し、なるべく気持ちを落ち着ける。
するとその手は私の左肩にかかり、ゆっくりと撫でられる。
予想外の行動に彼は何をしているのかと疑問が浮かんでくるが、直後その疑問を晴らすかのように、彼は私の左肩を見つめながら口を開いた。
「これでは他の生徒からも見えてしまいますね。あまり軽率なことはしないようにと言ったはずですが」
「……!」
…確かに、付き合い初めに言われたことがある。
『あまり他の男を誘惑するようなことはしないでください』と。
暑いから、体育がないからと、今日はインナーを着ていなかった。
制服が密着すると透けて見えてしまうことを、私が失念していたのだ。
「ご、ごめん…」
「あと、自分から肌を見せるような振る舞いは止めていただけますか。晒さなくていい部分まで、他人に見せる必要はないでしょう」
彼の手は肩から首に移り、うなじを撫で上げる。
鳥肌が立つようなぞわぞわした感覚が全身に広がった。
普段は首元で結っていた髪を、今日はポニーテールにしていたのだ。
それでいつもより露わになった首元にまで意識がいかなかった。
「ごめん…」
「許しません」
私の言葉を断ち切るように鋭く言うと、彼はさらに一歩近づいてきた。
僅かに開いた私の足を跨ぐと、座るように屈みこみ、両手を出すように催促してくる。
抵抗する理由のない私は静かに指示に従うと、彼はポケットからハンカチを取り出し、背の後ろで器用に手首を縛り上げた。
「貴女の抵抗は認めません」
そう言って彼は壊れ物を扱うような手つきで私の頬をそっと撫でる。
怒っているはずなのに、その仕草は優しささえ感じられる。
顔を寄せ、唇が触れるか触れないかの位置で目が合う。
抵抗はしないよと目をゆっくり閉じると、それを待っていたかのように唇が重ねられた。
数回啄むように口づけをされると、彼の舌が唇を撫でる。
その感覚にくすぐったさを覚え吐息を零すと、唇から歯列、口内とその熱が入り込んでくる。
そうしながら彼は片手で私のブラウスのボタンを開け、肌を露わにさせる。
肩を撫でる手つきは先ほどと変わらないのに、触れられた瞬間びくっと反応してしまった。
加えて彼の接吻がこんなにも情熱的なのは初めてで、呼吸の苦しさから堪らず声が漏れ出る。
私の反応にも彼はお構いなしと、下着のホックに指がかけられると、これまた器用にぱちんと外してしまった。
人が来ないとはいえ、ここでこんなこと…。
そういう気持ちがゼロではないが、彼に言われたからだけではなく、私自身が彼に抵抗する意思がないのだ。
私は彼が嫉妬深いのを知っているし、私をとても好きでいてくれているのも知っている。
だから、私がしてしまったことが許せないのだ。
もちろんこうして無抵抗でいることで許しを得たいわけではない。
彼の言葉や行動が嬉しいと思ってしまう自分がいるのだ。
彼が私を好きでいてくれていることが実感できるから。
そこまで考え、私は思考することを止めた。
いよいよ呼吸が苦しくなると、彼はそれを察し唇を離す。
名残惜しそうに口元に口づけると、休む間もなく私の胸元に舌を這わせていく。
荒い呼吸を整えようと大きく息をしていた私は、それに耐え切れず声を漏らした。
「あっ……昭二……」
「そういう声、もっと出してくれて構いません。我慢しないで」
「……んんっ、はあ……」
僕だけが知る貴女の一面なのですから、もっと見せてください、と。
そう呼吸を乱しながら呟く彼は、僅かに微笑んでいた。
両手を胸元に這わせ、接吻はさらに深くなっていく。
「はっ……あ、昭二、」
「ああ…堪りませんね、貴女の表情も、声も」
「昭二……っ、す、き……」
その合間に何とか言葉を紡ぎ、彼への募る思いを途切れ途切れに伝えた。
それが意外だったのか、一瞬目を見開き硬直すると、ふっと鼻で笑う気配がした。
「…もう、我慢できませんからね。貴女が悪いんですよ」
彼が密着するように体を寄せると、一つになり溶けあうような錯覚に陥る。
彼の触れるところがとても熱い。
場所も、時間も、関係ない。
ただ彼とこうしていられれば、それで。
「恵美…僕も、好きですよ」
ブレーキなんてとっくに壊してしまった
title by 確かに恋だった 1239