覗けば、黒に吸い込まれ



私の最近の関心事といえば、もっぱら荒井くんのことだ。
同じクラスで、一見陰鬱そうな雰囲気を漂わせているけれど、彼の話はとても面白い。
友達と過ごしている姿も少なからず見かけるし、サッカー部にも入っているという。
見た目と実態のギャップに、もっと彼のことを知りたいという気持ちが沸いたのは、いつのことだったか。
…こんなに一方的に荒井くんのことを知っているなんて、ちょっとストーカーっぽいだろうか。
自分から話しかけてみたいと思ってはいるけれど、授業間の休憩時間やお昼には常に友達といることがほとんどで、なかなかその機会がない。
そもそも私と荒井くんはただのクラスメートで、そんな渦中にわざわざ話しかけられるほど仲良くもなければ、その勇気もない。
だからその会話を傍から聞いたり様子を見たりしているうちに、荒井くんのことを少しずつ知っていったのだ。

私の友達はみんな違うクラスにいるし、それぞれ部活があるから、そこまで一緒にいるわけではない。
今日も放課後は帰宅部の私一人。
昨日夜更かしをし過ぎたからか、帰りのホームルームが終わった途端に睡魔に襲われる。
机に突っ伏し、腕を伸ばすとそのまま意識を手放してしまった。



「……さん」
「……ん」
「倉田さん」
「…んん」
「もう下校時間ですよ」
「……ん…?!」

がたんと全身を震わせて覚醒すると、差し込む夕日が陰り始めているのが視界に入った。
どうやら想定以上に寝過ぎてしまったようだ。
壁掛け時計を見ると六時になるといったところだった。
私を起こしてくれた声の主を確認すべく視線を向けると、そこには見慣れた、俯く横顔があった。
机の上には閉じられた本が置かれている。
いままで読書していたのだろうか。

「よく眠っていましたね」
「う………」

表情を変えずに言いながら、鞄にその本を仕舞い込む荒井くん。
普段話すのと同じくらいの声量で声をかけてもらい、それで起きたのだから私の眠りは浅かったようだけど、まさかこんな時間まで寝てしまうとは。
教室に残っているのは私と荒井くんの二人だけのようだ。
荒井くんと二人で話せる機会は望んでいたけれど、さすがに今はそんな気持ちの余裕はない。

「起こしてくれて…ありがとう」

恥ずかしい気持ちが隠し切れず、荒井くんから目を逸らしてお礼を呟く。
一瞬荒井くんが笑ったような吐息が聞こえた気がした。

「このまま一人で帰るのも後味が悪いので。とりあえず校舎から出ましょう」
「うん」

鞄を持ち席を立つ荒井くんを尻目に、私は慌てて荷物をまとめて後に続いた。



六時下校といっても厳密には<校舎から出る>ことになっているだけで、校庭や体育館ではまだ部活が続けられている。
オレンジ色の中に闇が染み込んでいくような景色の中、練習に励む生徒たちの喧騒を背に、二人で校舎を後にした。

「家はどちらですか」
「駅とは反対方向なので、こっちです」
「僕もです。良ければ途中まで送っていきましょう」

同じ方に帰るのに、女の子を置いて一人で帰れませんから…
そう付け加えて、彼は先導して歩いていく。
貴女が嫌でなければですが、とさらに付け加えた一言を私はすぐに否定した。

「ありがとう荒井くん」
「いいえ。…しかし、よく眠っていましたね。保健室に行けば良かったのに」
「そういえば荒井くんは保健委員だったね。でもただの寝不足だから」
「夜更かしですか?体調も崩れやすくなりますから、あまりお勧めは出来ません」
「気を付ける…荒井くんは何の本を読んでたの?」
「…ああ、これは…」

あまりこうして話したことはなかったけど、荒井くんは饒舌に会話を続けてくれる。
私を気遣ってくれたり、自分の興味のある内容を紹介してくれたり…。
平然を装いながら、私の胸はずっとどきどきしていた。
意識している相手とこうしてお喋りをしながら、一緒に下校しているのだ。
嬉しくないわけがない。

「荒井くんこそ、教室に残って読書なんて珍しいね」
「……そうですか?」
「うん、部活あるだろうしさ」
「…僕が部活をしていること、よくご存じですね」
「友達が教えてくれたんだ。だから教室にいたのがすごく意外で」
「…どうしてだと思いますか?」

え?と思わず声が漏れてしまった。
まさかそこで問いかけられるとは思わなかったから。
ただそうしていただけで驚きなのに、その理由なんてわかるわけがない。
私はすぐ問い返してしまった。

「どうして?」

ぴたりと先行していた彼の足が止まる。
つられて私も立ち止まり、そのまま返答を待つ。
気づけば日が沈み切る間際のようで、いつの間にか点灯していた街灯が私たちと道路を照らしている。

数秒の間が長く、焦らされているように感じる。

彼がゆっくり私の方に振り向く。
さっきまでのおしゃべりが嘘のように、静寂が私たちの周囲を支配していた。
街灯が逆光になり表情までは認識できなかったが、普段は窺い知れない彼の両目が、はっきりと私を捉えていることはわかる。
影になり見えないはずの彼の目。
私の心も視線も意識も、その二つの黒に捕われてしまったようで。



覗けば、黒に吸い込まれ



彼と話し、彼を知り、彼と目が合って。
そうして彼の口から私の名が紡がれて。

私の視界も意識も、彼一色に染まっていくのがわかった。



title by 空をとぶ5つの方法 58



EHL.