こんなに広い敷地、多くの人間がいる中で、彼の姿だけは自然と認識してしまうのだ。
私と荒井くんは、クラスは違えど友人として交流している。
たまに放課後一緒に図書館に行ったり、一緒に帰ったり…。
日常の一場面一場面を共有するように、私たちは一緒の時間を過ごしている。
荒井くんは基本的に無表情だ。
不愛想とも取れるかもしれないけれど、交友関係は広く、語り口もわかりやすいし、愛想がよくないわけではない。
落ち着いていて、発言は的を射ているし、幅広いジャンルの話をしてくれる。
確かに、出会ってから今まで笑ったところは見たことがないけれど。
だから、廊下や外ですれ違った時、どうリアクションを取っていいのかが未だにわからない。
やっほーと声をかけたり手を振ったりしても、何も反応がなかったら…。
その可能性はゼロではない。
人が多い中で、きっと荒井くんはそういったことを積極的にしないだろう。
そう思ったら躊躇してしまい、未だに何もできずにいる。
移動教室が重なると、廊下は敷き詰められたように生徒でごった返す。
そんな中で荒井くんの姿を見つけることができるのは、一種の才能だろうか。
そもそもこの広い敷地で、頻繁に姿を見かけること自体相当な確率だと思う。
(……あ)
そして今日も、生徒たちの波に紛れる彼の姿を見つけた。
友人と何かお喋りをしながら、こちらに向かって歩いている。
声を掛けようか迷っているうちに、徐々に距離が縮まっていく。
そこでふと。
(………!)
笑った、ように見えた。
不意に視線が合ったと思ったら、その口角が少し上げられた、気がした。
私に向けられたものなのか、友人と話していたからなのか。
どちらにせよ初めて見る表情に、全身鳥肌が立つような緊張が走った。
翌日。
荒井くんと放課後に図書館で待ち合わせをしている日だ。
昨日の荒井くんの表情が事あるごとに思い出され、その度に少し鼓動が早くなる。
直接本人に聞くのも変だし…。
昼休み、そんなことを考えながら廊下を歩いていると。
(…あ、荒井くんだ)
廊下で固まってお喋りに興じている集団をくぐり抜けるように、向こうから荒井くんが歩いてくる。
お互いに廊下の端を歩いているのだけど、今日もよく気づいたものだと、我ながら感心する。
今日は一人のようで、俯きながらとことこ歩いている。
その荒井くんが突然顔を上げるものだから、心臓に悪い。
距離こそ離れてはいるけれど、もう少しですれ違うというところで、今日も目が合った。
(えっ……)
そして今日も。
彼はふっと笑みを浮かべて私を見た。
昨日よりも<笑っている>表情で。
私がつい足を止めてしまった一方で、彼はそのまま前を向いて通り過ぎて行った。
荒井くんは今日一人だった。
つまり、私に向けて笑っていた…?
どうしてだろう?という考えで頭が埋め尽くされる。
心臓は見慣れない彼の笑みに鼓動を速めている。
放課後、荒井くんの顔をまともに見られそうにない…。
迎えた放課後、図書館で合流した彼が笑っているのを見て、私は一層動揺してしまうのだった。