果てしなく煩悩



<メールありがとうございます。練習に出れずすみません。
喉の痛みは引いたものの、まだ熱が少しあります。
今日学校を休みましたが、明日も休むことになりそうです>

メールを読み終わった直後、思わず出た長い溜息が部屋に響く。
何て文章を打てばいいのか悩みに悩み、打っては消しを繰り返し、何度も読み返してやっと送った一通だった。
あいつが体調不良だというものあるが、純粋に友人以外に送るメールは緊張してしまう。
そしてメールの受信音が鳴った瞬間、全身がびくついてしまった。

…らしくない。
自分でもつくづく思う。
いつものペースがずっと乱れている感じだ。
しかしあいつの体調が心配なのは確かで、何か力になってやりたいと思う。
その気持ちをメールに書き込み送信すると、すぐに返信が来た。

<お気持ちは嬉しいですが、新堂さんに移してしまうといけないので…>

予想通りの答えだった。
すぐに帰るから、と送ると、返信はすぐには送られてこなかった。
寝てしまったのか迷っているのか。
そうこうしているうちに俺も眠くなってきて、寝る支度をしていると、その間に返信が来たようだった。
ベッドに潜りながら確認すると、思わず口元が緩んでしまった。

<新堂さんが良ければ、来ていただけると嬉しいです…>

おそらく寂しさなんかより、練習に来れない申し訳なさを早く直接謝りたいのだろう。
あいつはそういう奴だ。
差し入れでも持って行ってやるか。
ぐったりしながら必死に謝る倉田の表情がすぐ浮かび、なんだか可笑しい気持ちで眠りについた。



翌日の放課後、練習を軽く済ませると、送られてきたメールを頼りにあいつの家へ向かう。
迷うことなくたどり着きチャイムを鳴らすと、鍵を開けた気配があった直後、僅かにドアが開かれた。

「あ……新堂さん…」
「おう、来てやったぞ」

茶化すように言うと、倉田は微笑みながら中に入るよう促した。

「新堂さん…あの」
「ほらこれ、適当に買ってきてやったから」

あいつの言葉を遮るように袋を目の前へ置く。
一瞬むすっとした顔をしたが、俺がスポーツドリンクを出すと、それを受け取りすぐ口にした。
ちょうど飲み切ったところだったらしい。

「あの…」
「喉はあと少しってところだな。熱計ってみろよ」

倉田が何を言おうとしているか容易に想像つくから、言わせないように会話を続ける。
あいつはまたむっと口を曲げた。
飯はちゃんと食べてるのかとか、睡眠は取っているのかとか、気になっていたことを矢継ぎ早に聞く。
ひとつひとつ質問に答える間に、体温計のピピピという音が聞こえていた。

「……36度9分です」
「ちゃんと薬を飲んで寝れば、すぐ良くなるだろ」

これもちゃんと食べろよ、と持ってきた袋を持ち上げると、至極申し訳なさそうに視線を落とした。
そして間もなく欠伸を噛み殺したと思ったら、しばらく沈黙が部屋を支配した。

「……倉田?」
「………」

上半身を起こし俯いた体勢のまま、あいつは寝てしまっていた。
今まで眠気を堪えていたのだろうか?
静かな室内に、微かな寝息だけが響く。
……体勢、きつくないのか?
背中を折り曲げるようにして前屈みになっている姿に、手を貸してやりたい衝動に駆られる。
しかし起こすのも申し訳ない。
だけど起こさないように寝かせるのも難しい。
一人取り残された状況で、必死に頭を回転させる。

(……やっぱり寝かせるか)

しかし寝かせるとなると、あいつの体に触れなければならない。
女の子の家に上がり込んで、寝ている相手に…。

(…っ、何考えてるんだ、俺は…)

自分の考えが飛躍しすぎて自分でもついていけない。
今はそんなやましい状況ではない。
落ち着け、落ち着け。
初めて入った部屋の真ん中で深呼吸を繰り返す俺は、さぞ滑稽に見えるだろう。
しかしそうでもしないと、余計なことばかり考えてしまいそうだった。

「………あ……すみません!寝てしまったみたいで」
「………あ」

やっと落ち着き始めた頃、倉田が弾かれるように顔を上げた。
どうしようと再考していた矢先だったから、脱力したような気持ちになる。

「……安心、してしまったのかもしれません。本当にすみません」
「………!」

安心。
俺がそばにいることで、あいつはそう思ってくれていたのか。
少し鼓動が早くなる。
謝るな、と一言伝えるのがやっとだった。

「あ、あと」
「…はい?」

謝るという言葉で、もう一言伝えるべきことを思い出し、改めて倉田に向き直った。

「謝るなよ」
「…何をですか?」
「練習のこと」
「……!」
「謝るくらいなら、早く治して戻って来いよ」
「……はい……ありがとうございます」

寝起きでわずかに重そうな瞼で微笑む倉田につられて、俺も笑った。



「結局長居しちまった、悪い」
「いえ、おかげさまで楽しかったです」

外に出ると、日が沈み始めていた。
来た頃より表情が柔らかくなった気がする。

「少しでも元気になったなら良いんだけどよ」
「明日にでも行きたいくらいです」
「念のためもう一日休んどけよ」
「…はーい」

口を尖がらせるあいつにまたな、と手を上げ背を向けた。
ばたんとドアが閉まる音を認識しながら、自宅に向かい道路を歩いていく。

「はあああ…」

大きく息を吐く。
緊張したり鼓動が早まったり、心が忙しい日々。
あいつが戻ってきたら、どうなることか。
まだ当分落ち着きそうにないな…。



EHL.