それはとても些細な出来事だったかもしれない。
それでも俺にとっては、見てきた景色が変わってしまうくらい衝撃的だったんだ。
「どこやったかな…」
二年の、ちょうど梅雨が明けたくらいの頃。
うっかり家の鍵を落としてしまい、校舎を探し回っていた。
あれがないと帰れないし、でも探す当てもない。
友人たちには声をかけてみたが、見つけたら教える、という返答ばかりだった。
鈴やキーホルダー、ストラップは煩わしくて付けていない。
でもこういうことがあるから、何かしらは付けておくべきだと反省した。
素のままの鍵をこの学校内で見つけるのは、なかなかに難易度が高い。
あまり先生に頼ることもしたくないが…。
放課後、自分の一日の行動を思い出しながら、その経路を辿っていた。
移動教室、昼休み、トイレ、自分の教室、校庭、下駄箱…。
自分の行動と同じように歩いてみるけれど、やはりどこにもない。
職員室にも届け物はないとのことだった。
どうするかと途方に暮れながら、とりあえず教室に戻ってきた。
校内は、部活がある生徒以外はほとんど下校したらしく、教室も廊下も誰もいない。
(ここにいても仕方ないか…)
最後に教室をくまなく探し、鍵がないことを確認すると、ため息を一つついて教室を後にした。
…いや、教室を出ようとしたのだ、が。
廊下を走る足音が近づき、この教室前で止まった。
誰が…と思いそっちに目を向けると、一人の女生徒が息を切らしながら俺を見ている。
…誰だ?
見覚えがない。少なくとも同じクラスではないようだ。
俺が訝しんでいると、そいつはほっとしたような笑顔を浮かべて教室に入ってきた。
「新堂くん、だよね?」
「……ああ、そうだけど」
「良かった!もういないかと思った…」
「……何か用か?」
「うん!これを届けたくて」
初対面の相手に戸惑っている俺の目の前に、銀色の鍵が差し出される。
それは間違いなく、俺が探している鍵だった。
「それ…!」
「おうちの鍵だよね?ないと困ると思って、君を探してたんだ」
「どこにあったんだ?」
「科学室の机の下。教科書とか入れるあの隙間だよ。たまたま授業中に見つけて」
職員室に届けに行ったところ、俺が鍵を探している話を聞き、俺に届けようと探してくれていたらしい。
俺はお礼を言って鍵を受け取…ろうとした。
だがそいつは俺に鍵を渡そうとして、突然その手を引っ込めた。
「……?」
「ちょっと待って」
がさごそと鞄を漁ると、キーホルダーを取り出し、俺の鍵に付け始めた。
「何か付けておいた方がいいよ、なくしてもすぐ見つけられるから」
そういって、今度こそ鍵を受け取った。
何かの星座をモチーフにしたようなキーホルダーだ。
「サンキュ。ほんと助かったぜ」
「ならよかった。もうなくしちゃだめだよ?」
じゃあね、と、そいつは結局名乗らないまま去っていった。
その場には立ち尽くす俺。
手元には見慣れた家の鍵と、見慣れないキーホルダー。
本当に有難く思っていたのに、まともに礼を伝えられないまま、素性を明かさないまま、そいつはいなくなってしまった。
去り際の笑顔。
俺にかけてくれた言葉。
そいつと俺を繋ぐのは、星のキーホルダー。
次に会ったら絶対に捕まえて、感謝の気持ちを伝えなければ。
キーホルダーを握りしめると、僅かに鼓動が高鳴った。