春を告げる手のひら



「…寒くなりましたね」
「ああ、本当だな」

今までと同じ時間に練習を切り上げているけれど、日の傾きは徐々に早くなっていく。
改めて話題にしてみると、その実感は強いものになる。
夕方の肌寒さも、電灯の付く時間が早くなったことも、吐く息が少しずつ白くなっていくことも。
どれも冬の訪れを告げていた。

前と変わったことと言えば、学校がない日に、以前下見した川沿いの道で練習をするようになった。
時間はその時々で決めて、練習内容も話し合って変えている。
あの日は何だかぎこちないやりとりをしてしまっていたけれど、翌日からは普段通りの会話に戻っていた。
そうして以前より一緒にいる時間が増えていくにつれ、練習以外での交流も少しずつ増えて来た。

「よし、じゃあ行くか」
「ふふ、はい」

現に今日は、以前発見して寄り道できなかった団子屋さんに行く約束をしている。
新堂さんはあの時の私の視線に気づいていたらしく、彼の方から提案してくれた。
放課後の寄り道は今日が初めてで、少しわくわくしたような心持ちだ。
練習が終わったあと、途中まで一緒に帰るようにもなったから、並んで歩くことには慣れて来た。
道中の話題も、学校のことだけでなく、プライベートのことも少しずつ打ち明けるようになった。
…仲良くなれているかな。
新堂さんとの距離を気にしてしまう私にとっては、喜ばしい傾向だった。

「お前、和菓子好きなのか?」
「お団子とかおはぎとか大福とか…もちもちしているのが好きなんです」
「ははっ、子どもみたいだな」
「むっ…おいしいからいいんです」

そんな他愛ないやり取りをしながら歩いていると、時間が経つのがあっという間だ。
気付くと団子屋さんが目の前に迫っていた。
私たちはみたらし団子とあん団子を注文して、いつもの公園まで戻った。



「…サービスしてもらっちゃいましたね」
「いいじゃねえか、ありがたくいただこうぜ」

間もなく閉店時間だったことと、私たちをカップルと勘違いした店主のおばさんが、いちご大福をおまけで一つずつ付けてくれたのだ。
さすがに全部は食べられないので、大福は持ち帰って、お団子を食べていくことにした。
すっかり定位置になったベンチに腰掛けると、夕日と電灯の光が混じり合いながら私たちを照らしていた。

「いただきます」
「…久しぶりに食べたな、団子」
「おいしいですね」
「……ほら、こっちやるよ」
「あ…じゃあ、私の方も」

私のあん団子と彼のみたらし団子を交換して、ゆっくり味わうように食べた。
…深く考えると恥ずかしくてお団子どころではなくなってしまうから、お団子の甘さに集中した。

「最近さ」
「はい」
「何だか、充実してるんだよな」
「練習が上手くいってますか?」

それなら嬉しいのですが、と言うと、彼は小さく笑ってそれを否定した。

「練習もそうだけどよ、毎日がさ」
「毎日、ですか…」
「うまく言えないんだけどさ、お前のおかげかもな」
「わ、私の…?」

そう言って立ち上がると、彼は自動販売機に向かって行った。
私の頭の中には、今の彼の言葉がぐるぐると回る。
私のおかげで毎日が充実している…?
それが練習だけでないとなると、ますますよくわからなくなる。
目の前に差し出された緑茶のペットボトルで、ようやく我に返った。

「あ、ありがとうございます」
「和菓子には緑茶だよな」
「すみません、気が利かず…」
「いちいち気にすんなって」

そうしてしばらくベンチに座って雑談をして、夕日が沈み切るころ公園を出た。
新堂さんに手を振って別れると、彼の言葉が再び頭を巡った。
ぼんやりと考え事をしながら、家までの道をゆっくりと歩く。

最近、こういうことが多い。
彼に言われた何気ない一言が引っかかるような。
妙な恥ずかしさを覚えるというか。
彼がどうしてそう言ったのかわからない。
私がそれをどう受け止めているのかもわからない。
嫌な気持ちではないのだけれど、それが私にとってどういう意味を持つのか、朧げなままだった。



冬を感じてからは、あっという間に時間が過ぎていった。
道路の木々はすっかり葉を落とし、外で吐く息が常に白くなる。
私と新堂さんの練習の日々も、私が少しずつランニングに参加するようになってきた。
まだ体力に不安が多いから、最後の一周だけとか、最初からできるところまでとか、ランニング前後の体操も一緒にやるようになった。
心なしか新堂さんがいつもより笑顔になっている気がして、もっと頑張らなければと思う。
そう気合を入れたのも束の間、気が付けば終業式の日がやって来ていた。

「冬休みの練習は、学校がなかった時と同じようにするんですか?」
「いや、大掃除とか年越しの準備とか、色々あるだろ?だから学校が始まるまでは、自主練にしようぜ」
「自主練…」
「倉田も走るんだろ?」
「…はい!」

終業式の後、軽く練習をした私たちは、公園のベンチにいた。
新堂さんが私にも練習の提案をしてくれたことが、嬉しくて仕方がなかった。
一緒に走れないのは少し寂しいけれど、年が明けたら今よりもっと着いていけるように、できるだけ練習をしなければ。
そう固く決心をして、良いお年を、と手を振って別れた。



毎日自宅でのストレッチは欠かさず、外に出られるときは短い距離でも走ってみる。
新堂さんと同じペースで同じ距離を走るのは無理でも、少しでも近づきたい。
その一心で冬休みを過ごしていた。

大晦日の夜。
炬燵に入りながら今年一年を振り返ってみると、浮かんでくるのは新堂さんとのことばかりだ。
生徒手帳を拾ったのがきっかけで出会い、話すようになり、練習補佐の誘いを受け、一緒に過ごすようになった。
初めは少し怖かったけれど、少しずつ打ち解けていったことが嬉しくて。
そう思っていた時、スマホの通知音が鳴った。

(…新堂さんだ)

一瞬ドキッとしながら、メールを確認する。
今までのお礼と、来年もよろしく、といった内容だった。
そして数行空けて、違った内容の文章が書かれているのが目に入った。

『明日、もし時間があったら、一緒に初詣に行かないか?』

思わず声が出てしまいそうになるのを、口元にぐっと力を入れて堪える。
夢に見ていたようなその誘いに、心臓がどきどきと大きな音を立てる。
…嬉しい。
最後に会ってから一週間以上が経つ。
もちろん練習をするわけではないけれど、新堂さんの顔を見て話ができることが楽しみで仕方なかった。
私はすぐに返事を打った。
今年の終わりまであと数時間。
最後の最後にこんなに嬉しいことが待っているなんて、予想していなかった。

『明日9時に、いつもの公園で』

そう約束をして間もなく、新年のカウントダウンを迎えた。



「新堂さん!」
「おう、あけましておめでとう」
「はい、今年もよろしくお願いします」

約束の時間より少し早く来たつもりだったけれど、マフラーから覗く彼の鼻が少し赤くなっている。
日差しが出ている天気だけれど、さすがに気温は低く、しばらく外にいたら顔は冷え切ってしまうだろう。
しかしそんなことを感じさせず、新堂さんは私を急かしながら神社へ向かった。

さすがに元日、神社には長蛇の列ができていた。
それでもしばらく会わなかった私たちには好都合だ。
家でこんなことがあった、あんなことがあったと、雑談に花が咲く。
しばらくぶりの新堂さんの表情や声に、私の気持ちは安心感からとても落ち着いていた。
自惚れでなければ、新堂さんも同じような顔で笑ってくれているように見えた。

気が付けば拝殿が数人先に見えて来ていた。
賽銭を用意し、鈴を鳴らし、手を合わせる。
…今年一年も、新堂さんと一緒に過ごせますように。
私の願いは勉強でも健康でもなく、新堂さんのことだった。
新堂さんは、運動のことだろうか。
そんなことを考えながら、拝殿の前を去り、境内を歩く。
と、いつかのように、急に腕が引っ張られ、足がもつれた。

「……っ!」
「おい、ぼーっとしてんなよ」

参拝者が多く混雑してる境内を、ぼんやりと考え事をして歩いてしまっていた。
ついぶつかりそうになるのを、新堂さんが気づいて助けてくれたのだ。

「…すみません」
「気を付けろよ……ほら」

紺色の地に白い柄が入った手袋が、目の前に差し出される。
…新堂さんの左手だ。
私は迷わずその手を取った。

「……」
「……」

新堂さんは遠くを見ていて、表情がわからない。
反射的に彼の手を取った私だったけれど、顔に熱が集中しているのが嫌でもわかった。
…今、新堂さんと手を繋いでいる。
私は私で、新堂さんに顔を見られたくない。
でも手を繋いでいるお陰で、人混みをかき分けるように進んでも怖くない。
どちらからともなく、握る手に力が増していた。

「……旧暦だと、1月は春なんですよ」
「……いつだか、古典の授業で聞いたな」
「…早く、暖かくなるといいですね」
「…そうだな」

私たちの手元も心も、既に温かく。
一番に春が訪れたかのようだった。



EHL.