「……あ」
「……っと、悪い」
お昼休憩のチャイムが鳴ると、生徒たちは一斉に四方八方へ散っていく。
私もその一人だったのだが、人波に揉まれ、近くの男子生徒にぶつかってしまった。
先に謝ろうと口を開いたのだが、相手に先手を打たれ、何も言えないまま彼は足早に去っていった。
(……あれ)
ちゃんと謝りたかった、と思いながらふと足元を見ると、生徒手帳が落ちているのに気づく。
人が多いのでとりあえずそれをポケットに入れ、友人の待つ中庭へ向かった。
「え〜?それってあんたがドジなんでしょ!」
「そ、そんなことないよぉ…」
「あはは」
お決まりの友人たちの掛け合いに笑みを零しながら、食べ終わった弁当箱を片付ける。
ハンカチを出そうと制服のポケットに手を伸ばし、拾い上げた落とし物の存在を思い出した。
大半の生徒は生徒手帳に学生証を入れている。それを確認すれば持ち主がわかるはずだ。
二人に見つかると追及が面倒なので、休憩終わりに見ることにしよう。
教室に戻るまで、いつもの漫才のような掛け合いを楽しんだ。
授業再開五分前のチャイムが鳴るころには、既に教室に戻ってきていた。
次の授業の準備をしながら、例の生徒手帳を取り出す。
予想通り、生徒手帳の表紙の裏に、持ち主の学生証が入っていた。
(……新堂、誠…)
見慣れない名前だった。同じクラスではないようだ。
顔写真も貼ってあるため、彼の名前と顔を一致させることができた。
それは、昼休み直後にぶつかってしまった、あの彼だった。
(問題は、どのクラスの人なのか…か)
マンモス校で有名な私の高校は、一学年だけで10クラスを超える生徒が学んでいる。
手あたり次第探すのには、対象が広すぎる。
先生に渡すのが一番手っ取り早いのだろうが、あの時の謝罪を直接言いたい。
本当に困ったときに先生に頼ることにしよう。
私は再び手帳をポケットに、そっとしまいこんだ。
放課後。
私は<男子は運動部に所属しているだろう>という安直な考えを胸に、教室から校庭へと向かっていた。
もちろん数多くの学生がいるのだから、帰宅部の生徒も少なくないはず。
ひとまずの手がかりとして、まずは運動部を見て回ろう、という結論に至ったのだ。
サッカー部、陸上部、テニス部、野球部……
普段目にすることのない運動部の練習風景に、誰を見るともなく目を奪われる。
特に好きなスポーツがあるわけではないが、試合や大会を見ていると熱が入るし、とても感動する。
そんな舞台に向け練習を積む彼らにもまた、魅かれるものがあった。
つらいトレーニングでも歯を食いしばり、仲間たちと研鑽を重ねる。
運動部に所属していない私も、とても刺激を与えられるのだ。
校庭から体育館へ足を運ぶ。
バスケ部、バレー部、剣道部、体操部…
マンモス校の体育館もなかなかに広く、あの空間に複数の部が一堂に会してそれぞれの練習を行っている。
しかしそこにも、彼の姿はなかった。
(あと…運動部は…)
プールを使う水泳部が頭に浮かんだが、それ以外にも練習拠点を校庭や体育館以外に持っている部は多い。
見切り発車で始めた捜索が、もうすでに行き詰ろうとしていた。
あとどこを見てみればいいのか途方に暮れていると、校門の外を走り過ぎる人影が視界に入った。
その背丈、横顔には見覚えがあった。
「あっ!」
まさに、それは探していた彼だった。
どう彼に追いつけばいいかわからず、思わず私は走り出していた。
私は運動部に所属していないが、そこそこ体力はあると思っている。
それでも彼にはなかなか追い付けず、早くも息が上がり始めた。
そもそも日々運動部で活動する人に、普段体育の授業程度でしか体を動かしていない私が敵うわけがないのだが。
どこに行ってしまうかもわからないし、じっとしてもいられなかったから、つい走り出してしまった。
しかしいつまでもこうしていては埒が明かない。
息をするのもやっとの状態で、精いっぱい声を出した。
「あ……あの……っ!」
もしかしたらと思ったが、やはりこちらには気づかない。
少しずつ開いていく距離に心は焦るばかりだ。
「あのっ…!……し、新堂さん…!」
「……?」
とっさに相手の名前を呼んだ自身の行動に、そうだ名前なら気づいてもらいやすいじゃないと自画自賛する。
そんな私を、誰だお前と言わんばかりに睨みつける新堂さんの目が怖い。
誰だお前は当然の反応なのだけれど。
体力は限界に近く、両膝に手をついて大きく呼吸する私に、新堂さんは近くまで歩いてきてくれた。
「れ…練習中すみません…」
「自主練だから構わねえよ。なんだ」
「これ……拾ってて……」
「お、どこにやっちまったかって探してたんだよ。サンキュ」
「わ……わたしが…」
「おいおい、大丈夫か?」
まだ息が落ち着かず荒い呼吸を繰り返す私に、新堂さんは半ば呆れたような顔をしながら手招きした。
ゆっくり歩きだした先には小さな公園とベンチがある。そのベンチに私を座らせると、彼はどこかへ走って行ってしまった。
どこへ向かったか気になるが、それ以上に全身の疲労が重くのしかかり、息を落ち着かせるのが精いっぱいだった。
俯き呼吸を整えていると、目の前に突然スポーツドリンクが差し出される。
驚いて顔を上げると、新堂さんが飲め、と私に勧めてくれていた。
「……いただきます」
ひんやりとしたスポーツドリンクを躊躇なくいただく。
喉元、そしてお腹がひんやりと冷え、落ち着いてくる。
私がペットボトルから口を離したタイミングで、新堂さんはしみじみと言った。
「しかしお前、無茶するよな。まさかここまで走って付いてきたのか?」
「はい…すぐに声を掛ければよかったんですが、とっさに走ってしまって」
「ははは、お前面白い奴だな。一年か?」
「はい、倉田と言います」
新堂さんは一つ上の学年だったらしい。
同じ学年かもわからなかったけど、先輩だったとは。
そして今日の昼休みに私がぶつかってしまったこと、その時に生徒手帳を拾ったことを話し謝罪した。
しかし新堂さんは「そんなのたいしたことじゃない」と、再び笑って答えた。
「あの…飲み物、ありがとうございます」
「それくらいどうってことないさ。手帳の礼もあるし…これでプラマイゼロだな」
じゃあそろそろ行くぜ、帰ったらストレッチしとけよ、なんて言って、あっという間に新堂さんは駆け出してしまった。
全身の疲労感の中に少し心地よさを覚えながら、その背中が見えなくなるまでずっと見つめていた。