この感情の名前は

季節が春から夏に変わった。
砂漠の国は夏を迎えると照りつける太陽が痛いくらい強さを増し、乾燥もずっとひどくなる。砂嵐が舞って宮殿の廊下にさえ白い砂が入り込む始末だ。
グリムジョーは腕にざらつきを感じ、乱暴に付着していた砂を床に払い落とす。粒度が小さいそれは風が吹いていないにも関わらず、手で払われただけでまた宙に浮いて漂っていった。若干汗ばんでいるからか、しつこく腕に貼りついたままの砂を払うのを諦めて、グリムジョーは腕を組み直す。
毎日行われる朝議での報告を聞き流すふりをしながら、そこに有益な情報がないか探る。父王や兄たちは次はどの国を攻めるかしか興味がない。他国同士の争いや同盟関係には無頓着だが、それこそ国を治める立場からすると外交上おさえておく必要がある情報だった。家臣たちからの報告を聞き流す王と兄たちとは違い、グリムジョーは何食わぬ顔でその情報を頭に叩き込む。ここ数日の、また一月以上前の情報を思い返して何か違和感や繋がることはないか思案する。…ひとりアンテナを張ったところで無意味と思われても仕方がないが、いつかこの国を治める立場になったときに必ず役に立つ。…別にこの国に愛着があるわけでもないので、新たに自分の国を作るのもありなのだが。

朝議はまとめの段に入る。
それを察して少し集中を切り、息を吐きながら椅子に深くもたれかかれば、「なあ」と卓を挟んだ向こう側に座る三番目の兄がグリムジョーを呼んだ。

「お前、まだ飽きねえのかよ」
「あ?」
「あの人質の女だよ」

名前すらもう忘れたか。グリムジョーは眉を顰め半眼で兄を睨む。そうそう彼女の名を呼ばれれば呼ばれたで不愉快であるが。
続けて隣に座っていた四番目の兄が三番目の兄の発言に呼応するように声を上げた。

「飽きて放置してんならこっちにまわせよ」
「ざっけんな、自分ので満足しとけや」

グリムジョーは反射的に叫び返し、兄達を睨みあげる。

飽きるも何も、凪と特別何かあったわけではない。彼女を宮に連れ帰り、好きに過ごせと伝えて三月あまり。彼女は本当に好きに過ごしている。はじめは戸惑っていたようだったが、今は慣れたもの。日中はグリムジョーの部屋にある本を読んで過ごし、夜になると自室に戻ってひとり眠る。後は食事を一緒に摂り、他愛のない会話をするくらい。グリムジョーが宮を空けている間は側近の誰かが彼女のそばにいた。そんななんてことのない日々の繰り返しだった。
グリムジョーにとっても凪の存在は煩わしいものではなく、彼女がそこにいるのがある意味当たり前になりつつあった。
表向きグリムジョーに嫁ぐ形でこの国にやってきた凪だったが、あれから正式な婚姻の儀を交わしたわけでもなく、結局は人質の身であることに変わりない。

「よほどあの姫を気に入ったのだな」

黙って成り行きを見ていた父王が面白そうに口を挟んできた。それに対しあからさまな舌打ちを返して、グリムジョーは席を立つ。朝議も終わった。無駄な時間を無能な身内と共に過ごす必要はない。

「父様に向かってその態度はなんだ」

四番目の兄の後ろを通り部屋を出ようとすれば、その兄が立ち上がってグリムジョーの腕を掴んだ。そして、父様への侮辱は許さない・と殊勝な顔でもっともらしいことを言い募ってくる。相変わらずその言動全てがわざとらしい。父王の機嫌をとるだけのパフォーマンスに付き合ってる暇はない。
グリムジョーは振り返りながらその腕を払い、兄王が先程まで座っていた椅子を思いっきり蹴り上げた。その衝撃音に、兄王は、ひっ!と声を上げる。

「ガタガタうるせえよ。これくらいでビビってんじゃねえ。無能が」

無様に尻もちをついた兄王を見下げ、鼻を鳴らして踵を返す。その様子に高笑いする父王の不愉快な声が後ろから聞こえてきた。顔を怒りで紅潮させた兄王が睨みつけてくるが、吠えることすらできない負け犬にしか見えなかった。
本当に気に入ってるんだな、と念を押すような父王の声には答えない。ああ、全て鬱陶しい。異能をもつ醜女という噂を信じ面白がって凪を自分に与えてきたというのに、その噂が噂でしかなく、自分達が奪い合ったどの人質の姫たちよりも凪の見目が整っているからという理由だけで隙あらば奪おうとしてくる。一度自分の手に渡されたものをむざむざ奴らに渡すほど、自分は優しくないしそんな奴らの思い通りに意地でも動いてやるものか。

行くぞ、と扉のそばに控えていたシャウロンに声をかけて部屋を出る。背後から「今に見てろよ」と低く唸るような兄の声がしたが当たり前のように無視をした。
しばらく長い廊下を歩いていれば、一歩後ろからついてきていたシャウロンがひとつため息を吐いた。

「さっさと対外的にでも婚姻の儀を結ぶのもありでは?」

唐突なシャウロンの言葉に、グリムジョーは、はあ?と声を上げて振り返る。少し呆れたような表情を浮かべたシャウロンは、眉を八の字にしていた。

「お前が何もせず彼女を宮に置いているということは事実だろう。奴らに付け入る隙を与えないためにも、形だけでも本当に妻にしてしまえばいいじゃないか」
「そんなことすりゃ逆にあいつらの思う壺だろうが」
「さすがに人の妻には手を出そうとしないだろう」
「あまいな」

てめえ何年ここにいんだよ、とグリムジョーはシャウロンを睨みつける。人のものであろうが婚姻関係を結ぼうが、殺してでも手に入れたいものは手に入れる。それが奴らのやり方だ。今は奴らなりに事を荒立てないよう、またグリムジョーが何をするかわからない手前、あの程度の茶々入れで済んでいるが今後はどう動いてくるか分かったものではない。
それに、奴らはグリムジョーが嫌がることが大好きだ。死んでもいいとすら本気で思っているし、実際消しにきている。
シャウロンをはじめ側近たちも承知の上だが、ここ最近グリムジョーに届けられるギフトの量や頻度は増えた。毒蜘蛛、毒蛇、書簡に毒針を仕掛けられたりもしていた。勿論そんなものに引っかかりはしないが、いつも反抗的で何を考えているかわからない、下手すれば自分達の地位を奪いかねない末の皇子がいなくなることをあの兄たちは望んでいる。誰がそれを実行するか、だけ。

「我々はお前の意に従うまでだが、あの兄王たちはそろそろ別の動きをしてきてもおかしくない頃だと思うぞ」

側近たちの中でもリーダー格のシャウロンは、すっと目を据えて主に進言してくる。そんなことグリムジョーにも分かっていた。季節も変わった。暫く戦争もなく、国で暇を持て余している兄王たちが何かはじめてもおかしくない。

「わかってる」

短く答えてグリムジョーは歩みを速めた。


凪に対する感情は、自分でもまだ名前をつけられなかった。だからこそ宮に置いて好きに過ごさせているのだが。彼女に対するこの感情の答えがわかったら、何かが変わるのだろうか。

まだ、何も分からなかった。