おまえという名の星をのむ

自分の寝台ではないそこで何度か目を覚ました気がする。その度に行かないでと懇願した相手は本当にそばにいてくれていて、ぼんやり目を開けるたびにまだ寝てろと額をそっと撫でられた。その大きな手と低い体温はとても心地よくて。薬が効いているだけかもしれないけれど、また私は簡単に夢の世界へと誘われるのだった。



「今日の処置は完了しました」

手早く手のひらの包帯を変えてくれた女性の医師は、表情を変えず淡々と治療が終わったことを告げてきた。その様子をすぐそばで立って見ていたグリムジョーは、ご苦労と小さく言う。ロカと呼ばれている医師は器具を片付けて早々と部屋を後にする。口数は最低限で仕事は早い。普段ならもう少し話したい気もするが、今はそんな気も凪自身湧いてこないため彼女の物静かな性格に助けられているのが実際のところだ。

「顔の傷は消えそうだとよ。よかったな」

グリムジョーに言われ、凪は相槌を打つように頷いた。斬りつけられた時に頬からたくさん血は出ていたが、傷自体は深くなかったらしい。頬に当てられた白いガーゼに触れる。しかし、断然痛むのは手のひらの傷の方。思いっきり短刀の刃を握り込んでいたのだから深さも相当なものだったようで、結局縫うはめになった。無理もない。手の皺に沿って綺麗にまっすぐ、そして深く抉られた傷の治りは遅く、まだひとりで何かを持ったりすることはできない。必然的に食事についても誰かに食べさせてもらうのが日課になっていた(グリムジョーが食べさせてくれる時が多いのはとても意外)。

「手は傷が残るかもしれねえってよ。…悪かったな」

手のひらの包帯を眺めていた凪に、ベッドの足元に座りながらグリムジョーは言う。なぜ彼が謝るのか。それを思っていたら無言の凪に何か勘付いたのか、グリムジョーは短刀だよ、と短く言い切った。

「あんな場所に短刀隠しといて悪かった。てめえには先に言っとけばよかったな」
「そんな…あれがなかったら私こうやって今生きてないもの」
「は、それもそうだな」

自嘲めいたものを浮かべたグリムジョーに、凪は彼の感情を読みあぐねていた。この傷と引き換えに自分は生き延びられたのだ。命があるだけありがたい。そして、なぜ短刀がソファの間に隠されていたのかはディ・ロイが教えてくれた。当初、刺客が自分に化けたせいでこんなことになったと凪と顔を合わすのを避けていたディ・ロイだったが、ディ・ロイは何も悪くないことと、逆にディ・ロイだったから違和感に気づくことができたと必死に伝えた。何度も何度も謝ってきた彼だったが、何も悪いことはしていないのだからという凪の言葉と、てめえは悪くねえと言うグリムジョーの擁護に少し気が楽になったらしい。いつも通り顔を出して調子を窺ってくれるようになったディ・ロイは、グリムジョーが公務で席を外している間、これまで同様良い話し相手になってくれている。元通りといえば元通り。
そんなディ・ロイは、グリムジョーが何度も命を狙われていること、その都度返り討ちにできるよう部屋中に武器を隠していることを教えてくれた。ベッドにも隠してるんだよ、と枕を捲りながら教えてくれた時には驚きもしたが、色々と合点がいったのも事実。

ここにきた時にあてがわれた部屋は、窓がない密室だった。夏は日中暑くて居られるところではなかったが、砂漠の夜は冷えるから夜眠る分には自室を使うことに支障はなかった。窓がない部屋を与えられた意味。きっと、夜刺客が侵入してくるリスクを下げるため。命を、守るため。そこまで考えられてそこを与えられていたのだろう。
逆にグリムジョーの自室には大きな窓があって開放感がある造りになっている。いつでも来いと言わんばかりの挑戦的な彼らしい間取りだ。

刺客に襲われてからというもの、何かと勝手が良いと言う理由でグリムジョーの自室で療養しているが、夜中に彼が何かと応酬している気配は少なからず感じてきた。当初は側近の誰かが来ているのかと思っていたが、どうもそうではなかったらしい(薬のせいで夜中は特に頭がはっきり働いてくれないのだ)。

「怪我が治ったら部屋に戻るから…ベッド占領しててごめんなさい」
「んなこと気にすんな。寝てろ」

言葉はそっけないけれど、声音は大分柔らかだ。当たり前のように頭を撫でられることも慣れてしまった。幼子をあやすように頭を撫でられ、凪はひとつ頷く。そして彼に言われた通り目を閉じれば、またすぐ眠りに誘われることになるのだった。


・・・


「第四皇子が行方不明だ」

その衝撃的なニュースが王宮にもたらされたのは、凪が襲われた翌朝のことだった。朝議で空いた兄王の席を示しながら、家臣たちが落ち着かないそぶりで王の意向を伺うが、王は放っておけの一言しか投げなかった。
後継者争いが当たり前なこの国では、突然王族の誰かが行方不明になることは珍しいことではなかった。ただ今回はあまりにも突然で、第六皇子の元にいる属国の皇女が何者かに襲われたという報と合わせてもたらされたものだったので、それが無関係だとは誰も思えなかった。

お前がやったんだろう、と他の兄王たちに詰め寄られたグリムジョーは、はっ!と片頬を吊りあげて笑って言い切った。

「だったらどうする?」

顎を上げ挑発すれば、途端に王が高く笑い声を上げた。息子が行方不明だと言うのにこの調子だ。腐ってんな、とグリムジョーは兄王たちの言葉を右から左に流してあの夜のことを思い出す。

凪が深い眠りについてから、側近を伴い首謀者の兄王の宮に行った。兄王は自分が送り込んだ刺客が戻らず代わりにグリムジョーが乗り込んできたことで何かを悟ったのか、喚きながらお前のせいでと叫び散らしていた。その兄王の首を刎ねたのはグリムジョー自身だった。頭と胴は泣き別れて砂に埋めた。やられる前にやる。その覚悟があっての行動だろう。やり返されて文句を言われる筋合いはない。

それに、兄王は自分ではなく凪に手を出してきた。
それは何よりも許しがたかった。

「もう気づいているんだろう?」

そう、シャウロンに言われた時になにを、とは問い返さなかった。血まみれの凪を見た瞬間は心臓が止まるかと思ったし、無事だとわかってひどく安堵した。そして恐怖に襲われ泣く彼女と、行かないでと伸ばされた血だらけの手。自覚など遠の昔にしていたのだと思う。あとは自分が認めるか否か。彼女を想えば想うほど危険に晒したくなくて繋ぎ止めるものはあえて作らないようにしていた。しかしそれももう限界なのかもしれない。


「怪我が癒えたら、国に帰るか?」


それはある意味賭けだった。帰ると言えば凪の幸せを祈り帰してやる。しかし、残ると言ったときは。そのときは。

二度と離すものか。
二度と危険な目に遭わせるものか。

驚いた彼女の瞳が大きく揺れたのは、気のせいではないと思う。