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あれから名前は何度かの戦闘と、何度かの交渉に参加した。元老や提督との挨拶も済ませた。ーー余談だが、やはり名前と「お客様向け」の顔ときたら普段とはまるで別人だったので、阿伏兎は一体この小さな体に何人の女が住んでいるのだろうと遠い目をしていて、神威はそれを面白そうに見ていた。また戦いになれば、あの時ほどに長い時間をとることはないものの、与えられた資料は全て目を通していた。参謀とは名ばかりの完全な実働部隊であったが、相変わらずあの細い針を用いて戦っていたし、終われば毎回のように神威に勝負を仕掛けられていた。終わりもいつも同じである。押される名前が神威の最後の一撃だけをうまく往なす。そして名前が負けを宣言すれば戦場に満ちていた殺気は嘘のように引いて、何事もなかったかのように終わるのだった。彼女の動きは、その言葉一言一言に至るまで完璧で、いつしかその戦いは戦いに身を投じた神威が日常に戻るためのクールダウンの役割を果たすようになっていたので、時折戦闘後の機嫌の悪い団長から八つ当たりを受けて大けがを負っていた団員たちが名前に感謝と尊敬の念を持って名字参謀と呼ぶようになるのに時間はかからなかった。


「名前、ここの生活はどうよ」


気づけば阿伏兎は名前をお嬢さん、から名前で呼ぶようになっていた。
阿伏兎と名前は会えば話すくらいの仲だし、そうでなくとも第七師団の数少ない交渉要員として仕事を共にすることが多かった。この部隊は神威への尊敬によって一つにまとまってはいるものの、その神威は自由人で人が綿密に交渉をしてうまくまとめた商談を「相手に面白そうなやつがいた」の一言でめちゃくちゃにしてしまうことも多かったので、名前はこの部隊でそういった神威の暴挙の尻拭いができるたった2人しかいない貴重な仲間だったのだ。ーーとはいえそういう時に胃を抑えながら「やっちまった」という顔をする阿伏兎と、ニコニコ笑いながら見ていたり、酷い時には神威と一緒に暴れ回ったりする名前では根本的なところが違っているだろう。そんな彼女をみた阿伏兎は、此奴はきっと長生きするだろうな、と思ったのだった。


「だいぶね。案外平和だねえ。春雨、それも夜兎の部隊ともなれば四六時中やり合ってるのかと思ってたよー」
「なに言ってんだァ。俺たちは絶滅危惧種なんだ、四六時中そんなことしたら滅んじまうよ」
「それもそうねえ」


間延びした名前の話し方は聞くものを落ち着かせる作用があるようだった。そんな彼女と阿伏兎は珍しくお留守番である。というのも、この星での仕事は殆ど終わり、後は上への報告書を書くだけという段階だったので、それができる2人は戦艦内に残っていたのだ。雑談を交わしながら視線は目の前のコンピュータへ向ける。ーーそろそろ書き上がりそうだなあ、とデスクに置いてあった紅茶のカップに名前が手を伸ばした時だった。


「やあ名前、こんなところにいたの」


荒々しい音とともに扉が開いて、明るい声が響いた。見れば、神威が血まみれで立っている。驚いてカップを取り落とした名前だったが、直ぐにその血が彼自身のものではなく返り血であることに気づいた。それと同時にその瞳が、まるで戦いの最中のように爛々と光っているのにも。どうしたんだろう、と首を傾げる名前の様子を気にかけることなく、神威はまっすぐ名前に向かって歩くとその腕をとった。


「阿伏兎、報告書なら一人で書けるでしょ。名前もらってくから」


オイちょっと待てよ団長、アンタのその血の理由によっちゃあ報告書は1から書き直しだぞ、と後ろの方から阿伏兎の声が聞こえたが、名前を引っ張る神威の足は止まることなく部屋を出て行った。阿伏兎はそれにため息を吐いて、とりあえず状況確認のために他の団員を探すために部屋を出て、神威とは反対方向に歩いて行った。神威がゆく方向には個室ーー団員の生活ようにあてがわれているものーーしかなかったからだ。


一方で神威に連れられる名前はそれなりの期間ここに居るので、当然神威が向かっている方向には部屋しかないことも知っていた。てっきりどこかーー例えば鍛錬場か、あるいは外ーーに連れ出されて戦わされるのではないかと思っていたので、そうしない彼を不思議そうに見つめながら黙ってされるがままになっていた。


つれてこられたのは神威の自室だった。神威は扉を閉めるとその扉に名前を押し付けた。部屋の明かりを着けることはなく、大きな窓から覗く星だけが、ほの暗く部屋を照らしていた。突然のことだったが名前は頭を強く打つことのないように最低限の受け身を取る。そうして見上げれば、目の前の青い瞳が此方を見ていた。腰に左手が回って、右手は頬を撫でた。右手は血まみれだったので、触れられた頬になにか生暖かいものが付着するのを感じた。


「お前、ここにくるまで遊女だったんだろう?ちょっと俺と遊んでヨ」


唇の触れ合いそうな距離で、神威が低く囁くのを聞いた。
ーー炎は、赤く光るときよりも青く光る時の方が温度が高いのだと、どこかで読んだのを思い出した。青い瞳はどこまでも透き通っていて、それはずっと宝石のようだと思っていたけれど、その向こうに見えるのは青い炎なのかもしれなかった。


「そんなに安くは、ないんだけどねえ」


いつもの間延びした声でそう呟いたけれど、神威も彼女の細められた黒い瞳の奥に、何かが激しく燃え盛るのを見た。名前は男性と肌を重ねることに抵抗はなかったし、戦いの終わりに昂る感情が性欲に似ていることを知っていた。それを戦いで潤してきた神威が自分に「それ」を求めることに驚かないわけではないけれど、きっと神威も興味本位なんだろう。
ーーわたしも、興味はある。名前が心の中でそう呟くのと、神威の唇が名前のそれを捉えたのは同時だった。ついばむように交わされる口づけに、名前は両腕を神威の首に回して応えた。少し離れた唇を追いかけるように近づければ、再び触れ合った唇の間から舌が伸びてくるのを感じた。それに応えるように舌を絡めては、名前自身も舌を伸ばして歯列を舐める。吐息が漏れたのは名前か、神威か。


やがて口づけを交わしたままに名前は体を抱き上げられ、2人の体はシーツの奥へ消えて行った。

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