2-10




それ以降名前は食事の時も、会議の時も、どこかぴりぴりとした空気を漂わせていた。明らかに無表情で言葉を発しない彼女に誰もが機嫌が悪いのだと思うくらいだった。


「名前相変わらず小食だネ、もっと食べなくていいの?」
「お腹は空いてないので」


全く気にせずに話しかける神威に対する返答もどこか刺々しい口調だった。


船は、その星で昼ごろに到着した。この星で作られている麻薬の量が、春雨に流れてくる量と食い違っているということを名前が以前進言したために、組織の掃除が仕事の一つであるこの第七師団がかり出されたのだった。まずは工場に直接出向いて話し合いをし、決裂した場合は工場を破壊し、そこにあった情報や麻薬ごと全てを破壊し尽くすことが任務だった。


阿伏兎は名前がこの星で作られる麻薬やその工場のことを聞いた時のことを思い出した。彼女は設備の規模、機械の性能、麻薬の純度や元の花での成分の含有率から計算して導かれる数値と、実際に持ち込まれる数値が5%ズレていると主張したのだ。5%といえど、月に300t出荷されることを思えば小さな量ではなく、また高値で取引されるためにそのズレは金額にすれば大きなものになる。そう阿呆提督に酌をしながら話す名前に、阿伏兎はそんな計算を簡単にやってのける聡明さを驚き、また一体どのような教育を受けたのだろうかと思った。ーー少なくとも吉原で男を悦ばせるためでない教育を受けたとは思えなかったからだ。この任務が成功すれば阿呆提督の中での名前の位置は美しい女、から美しく有能な女に格上げされることだろう。


「ついたネ。じゃあ早速行こうか」
「おいおい団長、まずは話し合いからだからな?殲滅は後だぞォ?」
「分かってるよ、ほら名前も早く行こう。お前は地球産だからちゃんとコートきてネ」
「ええ」


そんな会話を交わして数十分後、5人の団員を連れた一向は問題の工場に立っていた。目の前には抜き打ち視察にきたことに驚いた工場の責任者が、少し怯えたような表情で立っている。社長室のようで、中には純金の器や真っ白い彫刻など、一目みて高級品だと思えるものがずらりと飾られていた。


「それで、今日はどのようなご用件で?」


そう問いかける蛇のような顔をした天人に名前は冷たい目を向けた。ふつうなら名前が話を始めるところなので阿伏兎は黙っていたが、一向に話す様子を見せない名前に阿伏兎が口を開く。不意に、名前が話しだした。


「神威、ちょっとその傘貸して」
「いいけど…」


そういって手渡されるや否や、名前はそれを天人に向けて躊躇なく撃った。バン、と大きな音が部屋に響き、一瞬で天人の命は絶たれた。夜兎でもなく戦闘に長けているわけではないその天人はなす術もなかったのだ。それに目を見開いたのは阿伏兎と神威だ。


「お、お前さん一体…」
「どうせ黒なんだからいつ殺したっていいでしょう」


どこの団長だァ…と阿伏兎がぼやくが、そこで阿伏兎が名前に文句を言う時間はなかった。
音を聞きつけたのか、扉が開きそこにはたくさんの天人の姿があった。皆銃や刀を向けている。阿伏兎はため息を吐きながら傘を構えた。


「珍しいネ名前。機嫌が悪いとは思っていたけどこんなに感情的になるなんて。まあ面白いからいいケド」


神威は無言で返された傘を持って笑った。名前はそれに何も答えなかった。


ーーそれは拷問のような光景だった。
いつもは的を操り最低限の動きで敵を倒し、自らは殆ど動かない名前は、自分自身も含めて20人程の操った敵とともに他の敵を徹底的に甚振っていた。それは決して意識を飛ばしたり、死んだりしないような絶妙な加減で、ただ敵を殺すのではなく痛めつけることだけを目的とした動きだった。工場のあちこちで悲鳴が上がる中で血まみれになった名前はやはり無表情だった。その惨状を阿伏兎は驚いたようにみつめ、他の団員は目を逸らした。殺すためにしか戦わない彼らはこんなにも長時間苦しめつづける様子など見たこともなかった。神威だけはそれを楽しそうに笑ってみていた。


全てが終わったあと名前は更に、操っていた敵の爪を剥ぎ、互いに互いの首を締めさせた。人形の彼らは悲鳴をあげることも苦痛に顔を歪めることもしない。淡々と操られるままにそうして、気づけばみな死んでいた。服はまるで神威が前線で戦ったときのように血まみれだった。工場内はぼろぼろで、機械も人も破壊し尽くされていた。名前はそれを無表情で眺めた。


不意に名前は振り向いて、左に飛んだ。名前が居た場所には神威の右腕があった。
その動きを合図に2人は唐突に戦い出した。いつもの名前とは違い体術やその針は全て神威に向けられるーー操っていた敵はみんな死んでいたので完全に1対1だった。いつも何十と言う敵がいて成り立つその戦いが、名前という地球人一人と神威では成り立つ筈もないのに、神威は明確な殺意をもって名前を激しく攻め立てた。神威は青い瞳を爛々と燃やして、名前は黒い瞳に何も映していなかった。


周りは状況を理解さえしていないような顔をしていたが、慌てて団員が止めようと動きだす。


ぐしゃり、と嫌な音が響いた。神威と名前の間に一人の団員が立っていた。それに神威は輝く瞳を瞬かせ、あり、と呟いた。


「なるほど、逃げながらここにおびき寄せたわけだ。いつもの操り人形の代わりの生贄を作るために」


神威がそう言った。名前は何も返さない。神威は興が冷めた、と呟いて腕を抜き取ると、団員の一人が倒れた。そうして生き残った4人の団員と、何を考えているかわからない表情の神威、頭を抱える阿伏兎と無表情の名前は工場を去っていった。

- 18 -

prevnext
ページ: