3-1




ーーあのくだらないパーティからどのくらい経ったっけ?
神威はあの時のことを思い返していた。神威自身はろくな話をしなかったし、自分の目先の利益しか考えない奴らが目先の利益のためにくだらない政争や密談を繰り広げるための場所だから誰もろくな話はしていない。実際あの後遅効性の毒と思われる物質が原因で第2師団の副団長が死んだとか、どっかで協力関係にある組織のトップが今も目覚めないとか、そんな話もあったらしい。神威にとっては心の底からどうでもよい話だったので殆ど記憶に残っていなかった。


ーー名前が頻繁に休暇を取って宇宙船を出るようになったのはあの後のことだった。
吉原よりも前に彼女がどこにいたのかを知るものはいない。あの時なにかあっただろうことは明白だったが、休暇に際してどこへ行っているかを把握することは仕事の範疇外であり、任務においては相変わらず、それどころか任務外であってもまるでふつうの顔をしている。阿伏兎や他の団員が尋ねたこともあったようだが、散歩だとかいって巧くはぐらかされたのだという。


「任務に影響がでないから許可してたんだって、勿論分かってるよネ?」
「すみません、ついうっかり」


医務室で血まみれのーー何かに切り裂かれたような傷が体の数カ所に残っているーー名前に神威は冷たく言った。名前はいつものぼんやりとした笑顔を浮かべていて、明らかな切り傷を前に転んだなどと幼稚園児でもわかりそうな嘘を吐いている。この師団で医務室が必要になることは滅多にないので、珍しい患者に医師も困ったような表情だ。1日安静にしていれば問題ない、という一言で、じゃあ有給は3日分消えたネと言えば一瞬瞳を曇らせたが、すぐに何事もなかったように頷いた。神威に対し怯えを隠せない医師はーーそれでも夜兎だろうかーーそのまま出て行ってどこかへと消えて行った。


「一体、何を探している?」


きっと何度も聞かれた質問だろう。そして何度も誤摩化した質問だ。今回も同じように誤摩化されるような。


「なにか探してるわけじゃあないよ、宇宙旅行みたいなものかなあ」


予想していた答えと寸分変わらないそれを何故か残念に思う自分がいることに、神威は気づいた。


「じゃあ俺も連れて行ってヨ」


断られると分かっていてそう返した自分自身にも。そして、


「うーん、でもあんまり楽しくないと思うよ?」


案の定返ってきた江戸風の「いいえ」の表現に再び落ち込む自分にも。
血が抜けちゃって少し体がだるいからもう寝るね、そういつものように笑って布団を被り、瞳を閉じた名前に、何も言わずに医務室を出た。


ーーこの感情は知っている。
薄暗い廊下を見つめながら神威は思う。先まで歩けばドアがあって、その向こうには食堂があるけれど、今その扉は閉ざされている。光の一筋と漏れることのないその扉は暗がりの向こうで、神威の目が捉えることはできなかった。後ろを振り返っても、やはり医務室の扉は閉ざされていて、ただ暗闇だけが広がっている。今更それに怯えるような可愛らしい精神で生きているわけではない。そして、名前が此処に居たとしても、彼女だって何か思う訳ではないだろう。彼女の精神に脆いところがあることは神威は知っているが、少なくともそれによって倒れるような軟弱さとはほど遠いように思われる。また彼女は肉体的にも強く、殆ど傷を負わずに一度に何十人、何百人という敵と相対することができる。そんな彼女が珍しく、傷を負っているのを見て。実際神威がそれを見たのはあの雪の日ーー神威自身がつけた腹の傷だけだった。湧き上がった感情は、抱いてはいけないものだと神威は思った。壊すことしかできない。闇の向こうに柔らかな橙色の髪がちらつく。青い瞳が伏せられている。小さな赤ん坊を抱いて。


「…くだらない」


神威は誰に言うでもなくそう呟いた。冷たい声が廊下に響いたが、それを聞く者はいなかった。その後、神威は振り返らずに食堂の方へ歩いていった。なんだかお腹が空いてきてしまった。もう皆夕食を食べ始めている頃だろう。神威は今迄の思考を全て宇宙の向こうへと葬ってしまってから、今日は何を食べようか、と色々な食事を頭に思い浮かべた。


ーー守りたい、なんて。
彼が絶対に、抱いてはいけない感情だったから。

- 21 -

prevnext
ページ: