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何事もなく戻ってきた名前と神威は、元々休日であったので誰かにお咎めを受けることもなかった。阿伏兎だけは不思議そうな顔で2人を見ていたが、2人は何かを語ることはなく、また2人はあまりにいつも通りだったので阿伏兎は何も聞くことはなかった。名前は戦艦をでることもなくなって、相変わらずマイペースな名前に阿伏兎がため息を着いたり、自分勝手な神威に阿伏兎が胃を痛めたりする日常が戻ってきた。


「…っ、そろそろ…っ!」


薄暗い部屋でシーツの擦れる音とぐちゃぐちゃとなにか粘着質の液体をかき混ぜるような音に紛れて小さな囁き声が響く。下に横になる女のつま先が伸びると、音は一層大きくなった。


「…あぁ…!」


高い声が響いて、女は痙攣した。そうしてだらりと倒れる。男はそれをみて、少しだけ明かりを強くすると、壁には2人の男女の陰が映った。その陰は少しの間を置いて一つに重なり、ベッドが先ほどよりも大きな音を立てる。神威は、M字に広げられた名前足の間でピストン運動を繰り返しながら、名前の唇を荒々しく奪った。舌が絡まり、神威の首には名前の腕が回される。少し汗ばんだ体が密着しても腰の動きが落ち着くことはない。


夜は長いようでいて短い。律動が続く間は時間を失う程に没頭するが、終わってみれば一瞬のようにも感じられる。
ゴミ箱に投げ棄てられたゴムが6つを数えた頃、2人はベッドに隣り合って座った。シャワーを浴び終わり、行為で上気していた体は水分の蒸発で少しだけ冷えている。体を寄せ合えば、少しだけ暖かい気がした。


2人が共有しているものはそう多くはなかった。知っているのは、お互いが何か、心の奥に弱さを隠していることだけだった。神威はあの星についていくことでそれが何かを掴めると思ったが、実際には彼女の過去そのものであるはずの生み出された組織を前に、彼女の奥に聳える壁の向こう側を見渡すことはできなかった。その彼女を知ろうとする感情を神威は知っていた。神威は口を開いた。


「答え合わせしたいことがあるんだよネ」
「…ああ、わたしのこと?」
「もちろん」
「どうぞ」


神威は台本でも持っているかの如くすらすらと話した。
ーー名前は人体実験によって生み出された兵器である。おそらく脳か脊髄かどこかに細工をして、自分の体に送る電気信号を代わりに外へ送り出すことができる。細い針は今も春雨においてオーダーメイドで作られているが、材料自体は廉価だし、針の精度も対して求められていない。ただ電気を受信することさえできれば、そして頭骸骨の向こうにある脳に届きさえすればよい。先ずそれは敵の脳から各運動器官への信号伝達を疎外する。そうしてそれはさながらアンテナのように名前から発される電気信号を受信して、疎外された信号の代わりに名前から送られた信号の通りに動きだす。アンテナは受信専用で、相手からの情報を受け取ることができないので名前はいつも視界に映るところにだけ敵を配置した。おそらく組織ではその操り方だけでなく、兵法や他の教養を学んだのだろう。人数や状況に応じて戦略を決め、その配置と動きをトップが完全に統率できるならば、そのトップの頭脳が優れている限り最強の軍団になりうる。個が完全に排除された軍隊はあたかもソレ一つが大きな個であるかのように振る舞えるからだ。体は、筋肉量の差よりもその筋肉の使い方の方が圧倒的に強さと関係が深いから、動かし方さえ知っていれば誰だって一蹴りで人を殺すことができる。はじめからそれを知っている人間が完璧に操るならば、操られる側がどんな貧弱な人間であっても、多くの場合複数集まれば最強の兵器になりうる。


「さすがだねえ、完璧じゃん?」


名前は驚かずに、笑っていた。


「このくらいはお前が人体実験の被験者だったということさえ分かれば簡単だヨ。元々戦闘については予測がついていたんだ」


そう言う神威に、名前はなるほどねえといつもの調子で一言返した。


夜は静かに過ぎてゆく。宇宙を漂うこの船の中で、朝も昼も、労働や食事の目安以上の意味を持たない。だから同じ景色をある時には朝と呼び、ある時には昼とよび、また別の時には夜と呼ぶ。戦艦の外はいつも同じように星空が広がるが、戦艦の中では少しずつ、しかし確実に時が流れている。それは時折失っては再び戻る日常において、何かを確実に変えてゆく。たとえば神威と名前が共にする時間が増えていったように。神威が名前に何らかの感情を強めてゆくように。雪の降る場所では2人で眠ることが増えたように。


ーー組織は様々な形で様々な兵器を生み出し、それらを一つ箇所へ集めた。ちょうど巫蠱の呪術と同じように。互いに争い、食い合い、そして最後に生き残った1匹を用いて世界に毒を盛る。その計画において選ばれた蠱を0号と呼んだ。組織はそれで大きな星や犯罪組織と渡り合おうとしたが、それには誤算があった。…つまり、生き残った1匹がその組織の誰よりも強く、そして賢かったために、その1匹が組織に自発的に従わなければそれを操ることができないということ。そうして組織は一度滅び、残った蠱は野へ放たれた。


「そうして生き残ったのがアンタってわけだ、名前」
「そうだねえ、一応そういうことになるよねえ」


名前は口を閉じた。少し躊躇って、続きを話しだした。


ーー蠱は自由を勝ち取ったが、そこには代償があった。実験によって脳に埋め込まれた厚さ2ミリの端子はその薄さでも脳に確実にダメージを残した。その力の代わりに生み出されたであろう「なんらかの」障害を予告したのは組織についていた若い医者だった。その障害はずっと姿を見せなかったので、いつしかその言葉は忘れ去られていったが、蠱がそれを忘れることはなかった。そしてその予言はある日唐突に蠱にーー名前に襲いかかる。


「障害…?」
「まあね」
「へえ…それはどんな?」
「それは…まあまたいつかね」


神威が名前の瞳に怯えを見たのは、2度目のことだった。


閉ざされた門も叩き続ければ、いずれ開かれる。
たしかに流れる時の中で神威が、そして名前が知ったことだった。神威の感情を察する名前が、叩かれた扉を開くことの意味を名前は知っていた。そして神威がその感情と向き合おうとしていないのと同じように、名前も自分の感情には気づかない振りをして。それでも、そのまま強く問い正すことなくシーツに潜って、隣に互いの存在を感じながら眠るのは悪い気分ではなかった。2人は互いを知らないにも関わらず、多くの感情を共有していた。

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