Feelings for him



街へ来てすぐに取った部屋はエアリスとティファ、わたしが3人で泊まる少し広い部屋だった。使い道がなく立てかけられていたロッドのそばにあるベッドへとそっと体を下される。


「……あ、ありがとう」


まだ少し心臓の動きがいつもより速い。
あの巨大な石像の山から街へと下り、宿へと歩くまでの時間はただ無言で俯いていた。等間隔で感じる揺れは極力抑えてくれているのを感じられる優しいもので、それが少し心を鎮めてくれた。それでも異性に触れられることの少ない——スピラでは異性どころか200年以上人間と関わりがなかったけど——わたしには少し刺激が強い。


「高いところでないなら、何が?」


内心の混乱を必死に隠してお礼の言葉を述べれば、返ってきたのは凪いだ眼差しと、そんな一言。少しだけ、意外な言葉。


「…ヴィンセントは、あまり他人のそういう個人的な事情に興味がないのかと」
「……そうだな、すまない」


思わずそう返すと、ヴィンセントはそれに少し驚いたようにして、俯いた。
——返答を間違えてしまったのかも。
直感でそう思った。ヴィンセントが俯いても、わたしはその下に仰向けに横たわっているので、その表情がよく見える。何かを悔いるようにふ、と視線を逸らして、くるりと体を反転させる。一歩踏み出したところで——その真紅のマントの、端を掴んだ。


「…わたしは召喚士ハルクのガードだった。ハルクは、究極召喚獣——わたしを、手に入れたあとに、わたしの目の前で命を絶った」


なんで話そうと思ったのかは分からない。
隠していたかと言われれば、そうではないと思う。ただ誰にも聞かれたことがなかった。元々わたしがどこにいたのか、知っている人は今旅をしているみんなだけだし、彼らも詳しく語ろうとはしなかったし。


だから多分、たまたま今、ヴィンセントに聞かれたから、答えているだけ。


「ハルクは…麻の縄を、岩のでっぱりに引っ掛けて、首を吊った。わたしはそれをただ…みてた」


忘れたことなんてない。
たくさんの人を救うはずだったその命が、誰も救わず、消えてゆくその瞬間を。
わたしの死がただの虚無に変わった瞬間。


「ハルクはね、まっすぐわたしを見て、言ってた」


——こんな旅、始めなければ。
——君と、出会わなければ。
——僕が、生まれてこなければ。


「…その麻の縄が首を締める瞬間も、それで彼が命を…落とす、瞬間も、その縄がいつまでも切れずに風に揺れるたびにミシミシと軋むのも、全部、最後まで見てて、」


そっと、マントを掴んでいた指を離した。目尻にそっと触れると、溜まっていた涙が指を伝った。彼の話をして涙がでるなんて、思っていなかった。——泣くことなんて、許されないと思っていた。


「…ごめんなさい、突然」


エアリスやティファはそろそろ戻ってくるだろうか?コルネオやユフィ、タークスたちはどうなっただろう?関係のないことを考えて気持ちを紛らわせようとするけれど、一度流れ始めた涙を止めるのは難しい。早く泣き止まないと、ヴィンセントに申し訳ない気がした。突然泣かれたって、彼も困るだろう。


少しの間があって、ヴィンセントは何を考えているのか無言でその場を動かない。
やっとの思いで涙を止めると、視線は下に向けたまま、口元でだけ笑顔を作る。


「…とにかく、縄の音が少し苦手で、」


ヴィンセント?
思わず逸らしていた視線を向けて、息を呑んだ。


「…っ」


手に何かが触れたので、それを確認しようとしたはずだったんだ。
いつの間にかしゃがみこんでいたヴィンセントの顔が、すぐ目の前にあって。無表情のそれは氷の彫刻か何かのように美しいけれど、触れたら溶けてしまいそうな儚さで。瞳だけが、何かを伝えるように強くわたしを貫いている——わたしを、見ている?


「ヴィン、セント」
「…」


細い指が、そっと目尻の涙の跡をなぞる。
その目はわたしを通り抜けてもっとずっと遠くの——遠くの何かを見ているような、そんな気がした。そっとその指を掴むと、驚いたように一度びくりと反応して、すぐに離れてゆく。それに少しの名残惜しさを感じたけれど、


「ヴィンセント?」
「……すまない」


お互い、今日は謝ってばかりだ。
立ち上がったヴィンセントは、こちらを顧みることもなく、部屋を去って行った。


「…忙しないなぁ」


ヴィンセントが、じゃない。わたしが、だ。
10代の女の子じゃあるまいし、いちいちときめいてみたり、泣き出したり、寂しがったり。——まるで、


「ユリア!」


静かに閉められたはずのドアは大きな音を立てて再び開かれて、そう名前を呼ばれる。
体がびくりと震えたのがわかった。——わたしは今一体何を、


「エアリス、ティファ」
「大丈夫だった?怪我はない?」
「ヴィンセントにも何もされてない、よね?」


ティファとエアリスがそれぞれ心配してくれるので、苦笑いで大丈夫だよ、と返す。エアリスは少し頰を膨らませていた。怒ってるみたいだ、思い当たる節はもちろん、ある。


「あの、危機感が足りてなかった。迷惑かけてごめん」
「迷惑じゃないよ。心配。心配したんだよ」


エアリスは表情を変えずにそう返す。
——心配。


「……心配かけて、ごめんね」


自分でそう言って、心が温まるのがわかった。
エアリスはニブルヘイムで再会した時からずっと、わたしのことを心配してくれる。それはとても特別なことに思えた。この世界にくるまでずっと一人だったから、心配してくれる人なんて、ずっとずっと、いないことが当たり前で。


そこまで考えてふと思った。——ヴィンセントも、心配してくれたんだろうか?
ニブル山に入る直前に、装備もなしに山を越えられるのか、と問われたときのことを思い出す。あの時もそう、同じことを思ったんだ。いつも冷めた風に人と少し距離を取っているけれど。


「…ね、ヴィンセント、かっこよかったね?」
「、え?」


突然、自分が考えていた男の名を呼ばれて、思わず声が裏返ってしまう。困惑するわたしをよそに、ニヤニヤと笑うエアリスと、それにうんうんと頷くティファ。


「ずっと思ってたけど、ヴィンセントとユリア、仲良いよね」
「てぃ、ティファ?」
「やっぱりティファもそう思うんだ!私もそう思ってた!ねえねえ、好きなの?」
「…え、わ、わたし?」


心臓が嫌な風にどきりと音を立てた。なにかやましいこととか、隠していることを暴かれたときと同じように。


——だってそれがまさに、エアリスとティファが入ってくる直前に考えていたことだったから。


「そういうのじゃ、」
「え〜、ほんとう?でもユリア、照れてた、よね?」


ヴィンセントに助けられた時。そう笑うエアリスに、いよいよなんて返せばいいのか分からなくなってしまう。助けを求めるようにティファの方を向いたけれど、ティファもニコニコと楽しそうに笑っている。


「ヴィンセント、王子様みたいだったよね」
「そうそう!おとぎ話みたい!ね、お姫様?」
「…もう、からかわないで。ユフィは?マテリア返ってきた?」
「ユフィもちゃんと、解放されたよ。マテリア、返ってきた。これユリアのもの、だよね?」


なんとか話をそらすと、エアリスは少し不満げな表情を浮かべたけれど、これはこれで大事な話だったからか、素直にポケットからいくつかの球体を取り出した。それが全て自分が育てていたそれであることを確認すると、やっと起き上がって、ベッドに立てかけてあったロッドと、身につけていた腕輪にそれを装着する。——なくてもいいとはいえ、神羅兵がそこら中を徘徊するウータイエリアでそれを見せるのはすこしリスクが大きい。だからマテリアが手元に戻ってきたのには大きな安心感があった。


「ユフィは今は?」
「…ユフィ、ウータイが負けて神羅に黙って従うようになったのが嫌だったんだって。それで、マテリアの力でまた強いウータイを作りたかったって」
「…そっか」
「今は家に戻ってるけど、また仲間として戻ってくるかも」
「…なるほどね。ありがとう」


今日は休もう?
そう笑うティファに従って、エアリスも支度を始める。ウータイにはいわゆるファストフードが多く、わたしの分も含めていくつか夕食になるものを買ってきてくれたらしい。ベッドから足をだすと、今度こそ無事に立ち上がることに成功する。


「はい、ユリアの分」
「ありがとう、エアリス」


旅が始まってからそう日数が経過したわけではないけれど、女子3人だけで——ユフィがいないのは残念だけど——食事をするのは初めてかもしれない。特に、エアリスとはよく一緒に話していたけれど、ティファとゆっくり話すのは初めて。


「ユリアはずっと7番街にいたんだよね?」
「5年間はね。そういえば、ティファもビッグスさんと知り合いなんだよね」
「…うん。ビッグスがね、ずっとユリアの話してくれてた。優しくて美人で、あの店で飲むコーヒーは他のどこで飲むコーヒーより美味しいんだって」
「ビッグスさん、そんなこと…」


そんなに絶賛されていたとは思わなくて少し恥ずかしくなる。
スピラでは当たり前にあった、機械を使わないコーヒーの淹れ方——炎を起こして、サイフォンを用いて入れるコーヒーは、ミッドガルではなぜかほとんど見かけなかった。コーヒーメーカーと呼ばれる機械に挽いた豆を詰めておけば、ボタン1つでコーヒーが淹れられるらしい。ミッドガルに来てすぐの頃は、そんな当たり前の日常でさえスピラと大きく違って戸惑ったのを覚えている。


「わたしは他の店でコーヒーがボタン一つ押すだけで出てくるのに、すごくびっくりしてたよ」
「あ、それ、ビッグスから聞いた。ユリアのコーヒー、不思議な機械を使って淹れるって」
「サイフォンって言うの。スピラではふつうだったんだけど…」
「ビッグス、いつかあれ使えるようになりたいってじっと見てたけど結局わけわからなかったって言ってた」


なんだか、この旅が始まるより前に戻ったような、そんな気持ちになった。ティファもビッグスさんの思い出を楽しそうに語っていて、エアリスはそれを、やっぱり楽しそうに聞いていて。


「ビッグスさんって、ユリアのこと好き、だった?」
「えっ?」
「…ふふ、どうだろうね?」


エアリスが笑いながら言うのに思わず瞳を瞬かせたが、それにティファも笑ってそう言うので、どうしたらいいかわからずにオロオロしてしまう。なんだか年下の二人に、今日はずっと揶揄われてばかりのような気がした。


「…もう、またそうやってわたしのことからかう」
「ふふ、だってビッグス、ブリッツに行くときはすごく楽しそうだったよ?」
「いいなあ。ね、ユリアはビッグスさんのこと、どう思ってたの?」


エアリスのその言葉に、赤いバンダナを巻いた爽やかな青年の姿を思い出す。
——わたしだって、あの人がカフェに顔を出してくれるのが嬉しかった。恋愛とか、そういうことを考える余裕はなかったけれど、たまにやってきては美味しそうにコーヒーを飲んでくれる、大切な常連の一人だったから。


「…まあ、いつもきてくれてありがたかったよ。コーヒー美味しそうに飲んでくれるし。でも恋愛とかは…そんな余裕なかったし…」
「ふぅーん。じゃあ、ヴィンセントは?」
「ヴィンセントは…」


思わず流れで、ついさっきまでここにいた、ヴィンセントのことを思い出してしまう。すぐそばで、静かに涙のあとを——


「っエアリス、だから何もないって言ってるでしょ」
「…ざんねーん。ついでに聞けるかと、思ったのに」
「…ごちそうさま。シャワー浴びてくる」


少し拗ねた口調でそう言うと、エアリスは笑いながらごめんね、なんて。可愛いから許すしかないのだけど。