Machina vetita


しばらくベッドに座って部屋をぼんやりと眺めていると、部屋をノックする音が聞こえた。慌てて顔を平静に戻す。エアリスだろうか。そう思って立ち上がって扉を開く。


「エアリス、どうし…」


——ちょっと待ってて、って、そういうこと?
扉の向こうを確認して、固まった。


「…エアリスが、此処を訪ねるように、と」
「…ヴィンセント」


名前を読んで、瞳を瞬かせることしかできない。
ヴィンセントはいつも通りの無表情だが、その瞳には戸惑いが映っていた。——エアリスに何か言われたのかもしれない。


「…エアリスは?」
「…私は部屋を追い出されたので詳しくは知らないが…クラウドといるのでは?」
「…なるほど…」


ヴィンセントとクラウドは同室だったのか。混乱した頭でそんなことを考えた。
ぼうっとヴィンセントを眺めていて、不意に右手になにか紙が握られていることに気づく。わたしがそれを見ていることに気づいたヴィンセントがそれを差し出した。


「…エアリスが…これを」
「…それは?」
「…指定された時間に必ずここへ行くように、と」


ラウンドスクェアと書かれたキラキラとした紙には時間が書かれている。
ラウンドスクェア——巨大な円形の乗り物だったか。ゴールドソーサーの景色を一望できる人気アトラクションだと聞いていた。


「…これ、あと30分だけど…」
「…行ってみるか?」
「…とりあえず、受付で聞いてみる?」


二人で顔を見合わせて、部屋を出て先ほどまで座り込んでいたフロントを訪ねると、吸血鬼のような格好をした係員がその姿には似合わない優しげな笑顔で丁寧に教えてくれた。


「こちらはゴーストホテル宿泊者特典のファストパスですね。夜のゴールドソーサーを心ゆくまで楽しんでいただくため、指定された時間にラウンドスクェアを訪ねていただきますと待ち時間なしに観覧車が楽しめるのです」


観覧車。ラウンドスクェアの巨大な機械の名前だろうか。
確かにあの周辺はいつも客で賑わっている印象がある。並ばずに乗れるということはそれなりに価値のあるものなんだろうし——そう考えながら傍に立つ男を見上げた。


「…えっと…時間まで、チョコボレースでも見ていく?」
「…私は構わないが…」


これは一体なんなんだろう?
互いに戸惑った表情を浮かべて、ひとまずチョコボスクェアへと歩き出す。わたしは一体今何をしているんだろう。チョコボレースを見たかったのは確かだけれど——ミッドガルにいた頃にチラシを見かけて気にはなっていた——こんな空気でまともに見れるんだろうか。


(…まあ、なるようになるか)







ホテルの入り口から各アトラクションへは直通の通路がある——少し心臓には悪いけれど。チョコボスクェアへつくと明るい電飾がわたしとヴィンセントを出迎える。キラキラした場所が似合うとはお世辞にも言いがたい二人だったので、肩の狭い思いで受付まで歩くと、またキラキラとした笑顔を浮かべたスタッフにチョコボ券の案内を受けた。


「…全然わからないけど、どうしよう?」
「…ひとまず適当に買って1試合見てみればいいだろう」
「なるほど」


ヴィンセントに言われるまま観戦券代わりとばかりに適当な券を買って着席する。
夕方のゴールドソーサーは、周辺にはゴーストホテル以外に宿泊地がほとんどないにも関わらず賑わっていて、軽快な音楽の流れる場内ではチョコボたちが出走を待っている。


「…賑やかだね」
「…ああ」


煩わしげに顔を顰めるヴィンセントに小さく笑う。…たしかに賑やかな場所の似合わない男だ。もう少し楽しんだっていいのに、そう思ったけれど、ふつうに考えればヴィンセントがここに立っているだけでも奇跡的なのではないかと思うし、付いてきてくれただけでも十分だと考えるべきだろうと思い直して出走を待ちながら飛び跳ねているチョコボたちへと視線を戻した。


レースが始まるとチョコボたちが一斉に走り出す。
華やかな雰囲気に釣られて少し明るい気持ちになり、一番前を走るチョコボを見つめていた。赤い服を着た騎手はどんどんと加速してゆくが、途中で失速してだんだんと後ろのチョコボが迫ってくる。そう長くもないコースをチョコボたちはあっという間に駆け抜けて、勝敗が決まった。


「あの黒いチョコボ、速い…」
「…山川チョコボか?」
「山川チョコボ?」
「山チョコボと川チョコボの交配種だ」
「…山チョコボと川チョコボ?」
「スピラにはいなかったか?」


いなかったと思う。
そもそもスピラではチョコボは乗って移動するよりも動力源にするほうが主流だった。船の地下で何匹ものチョコボを走らせて、その動力で船を動かす。陸地の少ないスピラ南部や小さな島であるベベルでは船はなくてはならない存在だった。


チョコボに乗れる場所は飼育がなされているミヘン街道だけだろうか。ナギ平原には野生のチョコボが生息していて、練習すれば乗れるようになってレミアム寺院まで楽に行けるのだと昔生きていた頃に話した召喚士が言っていたような気がする。でもどちらにせよチョコボを使ったレースは見たことがなかった。スピラにあれば大人気だったかもしれない。——スピラにはまともな娯楽がブリッツくらいしかなかったので。


「チョコボレースがスピラでも盛んだったら、色々なチョコボが開発されていたのかも」


2試合目を眺めながらそう呟く。
ランクの下がった今回の試合には先ほどの山川チョコボはいなかった。試合はより混然としていて誰が一位だったのかもよくわからない。そんな試合を1つ、2つと眺めていると時間はあっという間に過ぎてゆく。


気がつけば、気まずい空気はどこかへ消えていた。結局1枚も当てられず紙くずとなったチョコボ券を片手に二人で苦笑い。


「…そろそろ時間かな」
「そのようだな」


——どうしてこんなに何も言わずに付いてきてくれるんだろう?
内心でそんな疑問を抱えていたが、口には出さなかった。きた時と同じ派手なライトの灯る入り口を抜けて、ラウンドスクェアを目指す。トンネルを抜けたりエレベーターを上ったりしていると、内部構造は全然わからないけれどあっという間にたどり着けてしまうのが不思議だ。


開けた屋外のそこでは、支柱もない巨大な円板がゆっくりと回転していた。その前に長い行列ができている。仕組みのよくわからない巨大な機械に思わず立ち止まった。


「…どうした?」
「…いや、大きな機械だなと」
「いいのか?」
「…何が?」
「…機械が、嫌いなのでは?」


ヴィンセントの言葉に思わず瞳を見開く。


(…よく見てるな)


ヴィンセントは無表情の奥で気遣いを滲ませてこちらをじっと見ている。少し考えてから、口を開いた。


「…前に話したの、覚えてるかもしれないけど…スピラでは機械は禁じられた技術だったんだ。『シン』は機械文明を作り上げた人間への罰だって…信じられていたから」
「…ほう」
「『シン』は人間への罰だから…人間が罪を償うまではずっと復活し続けて、街が大きくなるとそれを破壊する…」


——結局のところ、どこまでそれが真実なのかはわからなかった。
文明を破壊する何らかの——プログラムのようなものが『シン』に含まれているのはおそらく正しいのだと思う。けれど、エボン教の全てが正しいわけではないことは——ベベルから時折ナギ平原へと投げ捨てられる機械を見ていればわかる。それらは壊れても自己修復を繰り返し、ナギ平原を闊歩している。


「…まあこれはスピラで広く信じられている宗教が教えていることで…その宗教には色々と裏があったし、結局のところはよくわからないんだけど」


なによりももう5年もミッドガルで生活していたら、いちいち機械に嫌悪感など抱いていられなかった。たしかにプレートの上へ行くのは大きな抵抗があったし——今も目の前にある巨大な機械に自分が乗り込むのかと思うと足が止まってまうわけだけど。


「…まあ、だからちょっと抵抗はあるけど…まあ、大丈夫」
「…そうか」


内心で考えていることを悟られないように、なるべく淡々と話し続けたけれど、細められたヴィンセントの瞳の向こうに灯るのは同情だろうか。感情がはっきり読めるほどにはヴィンセントのことをよく知らない。


「…そろそろ行こう?」
「ああ」


奇妙なデートだと思う。
一緒にいたくないと言えば多分——嘘になるんだと思う。認めないようにしてきたことだけど、だんだんと否定できなくなっている自分がいた。それでもまだ、この想いには気がつきたくない。


——だから。エアリスに言われて、仕方がなかった。そう自分に言い聞かせた。


相変わらずわたしやヴィンセントには場違いなくらい明るく華やかな世界が広がっていたけれど、そんな喧騒の中、楽しそうなカップルや家族たちの横を静かに歩いていった。