From that day on
この街、ミッドガルに突然やってきてから、5年が経った。
巨大な板はプレートと呼ばれて、あの上にも街があるらしい。見たことはないけれどみんながそう言っていた。テレポで遊びに行ってもいいかもしれないと何度か思ったけれど、日々を生きるのに精一杯で結局のところそんな余裕なんてなかった。――それに、正直に言えばあまりに発展した文明に戸惑っていた部分もあって。プレートの上の、街なんて。怖くて行く気にはなれなかった。
「いらっしゃいませ。ああ、ビッグスさん」
「おう、ユリア。コーヒーもらえるか?」
「はい。少々お待ちくださいね」
7番街の片隅に小さなカフェを開いて数年。
初めはわからなかったこの世界のことも5年の間に勉強した。店は小さくいつも閑散としていたけれど、何人か常連さんがいて、時折食料も分けてくれる。ビッグスさんもその一人だった。
「最近は魔晄炉のテロが続いていて忙しないですね、コーヒーです」
「…ああ、そうだな。ありがとう」
話題を間違えただろうか。少し嫌そうな――というよりは、気まずげな表情を浮かべた常連の男をみてそう思う。そっと離れて厨房に入ると、シンクに溜まった食器が視界に入った。
(…いけない、洗わないと)
蛇口を捻るだけで出てくる清潔な水を皿に流しかけながら、考える。
5年間、わたしの体は全く変化していない。
怪我をすれば血は流れるけれど、それはあっという間に塞がってゆく。
なるべく隠して生きてきたけれど、この体が生きた人間の肉体でないことは明らかだった。スピラでは現世に留まった死人だとか、モンスターとか、あるいは召喚獣とか。そういうものは幻光虫が体を再現する。この世界では魔晄と呼ばれるエネルギーが、どうも幻光虫のような役割を果たしているように見えた。スラムでは色々なところでモンスターが出るが、あれは倒すと緑色の光を放つ。それも魔晄らしい。
――わたしもあれなんじゃないか?
それがわたしの、わたしを説明する中で最もそれらしいものだった。
モンスター。あるいは、召喚獣。証明できるものは何もないけれど。
「ユリアの淹れるコーヒー、いつも美味いよな。ありがとよ」
「いえ、こちらこそいつもありがとうございました。またお待ちしてます」
皿洗いに没頭している間にだいぶ時間が経過してしまったらしい。ビッグスさんが会計を支払って店を出て行った。見送りに扉を開けると、プレートの下に見える低い空は赤く染まっている。
「今日はそろそろ、閉めちゃおっかな」
誰にいうでもなくそう呟いて、ドアにかけられたプレートをひっくり返す。「closed」と書かれたそれを確認して、扉を閉める。
「…また枯れちゃったか」
窓際に飾ってあった観葉植物を手にとってそう呟いた。
魔晄はライフストリームとも呼ばれ、これはこの星を生かすエネルギーらしい。それを搾取し続けることで星は死んでいく。そう考えている人もいるという。
いや、この街に生きる人は皆、多かれ少なかれそれには気づいているんだと思う。
それでもこの生活を手放せないから、誰も表立って言わないだけ。スラムには雑草の1つも生えない。この世界で最初に訪れた教会に咲いていたあの花はなんだったんだろう?そう思ってしまうくらいに、ここではちょっとした植物さえすぐに枯れてしまうのだった。
――ああ、そういえば。
教会のあった5番街へは行ったことがないけれど、あの教会で聞こえていた不思議な声は、教会を離れてすぐに聞こえなくなって、以降は一度も聞いていなかった。エアリスとの出会いは夢だったのでは?そう思ったこともあったけど、夢だと言い切るにはあまりに強烈な記憶なのも事実だった。
なぜここにいるのか、この体はなんなのか、あの声はなんだったのか。わからないことはたくさんある。けれど一方で、一つ確かに思うことがあった。
この身は人の体と違っていても、少なくとも人の体のような見た目をしていて、感覚もある。食事を取らなければお腹が空くし、すぐに治るといっても傷つけられれば痛みを感じられる。まるで生きた人間のように。
きっとここへきたことには何か意味があるはずだ。それを探して、今度こそ。
今度こそ、間違えずに、戦えたら。
眠りを欲する体は時にわたしに愛した人の悪夢を見せて苦しめるけれど、それはここで「生きて」いるから感じる苦しみなんだ。何もできなかったあの頃とは違って。
「なんでわたしはここにいるんだろうね?」
枯れた観葉植物にそう話しかけてみたけれど、やっぱり答えはなかった。
突然やってきた世界で、毎日は穏やかに続いていた。
この世界のこと、歴史のこと、色々なことを勉強して、ここにきた意味を探しながら、カフェでお金を稼いで。それなりに充実した生活をしていたと、そう思う。
けれど、それが崩れたのもあまりに突然だった。
柱の方で銃撃戦が繰り広げられている。
はじめにもたらされた情報はそれだけだった。だから皆、家へ帰ったんだ。部屋に籠もれば巻き込まれないと、そう思っていたから。その日わたしが外を歩いていたのは生への執着が薄いというか――どうせ死なない、そう思っていたからだった。8番街に豆を仕入れに行けば7番街スラムの銃撃戦のことなんて誰も知らなくて、いつもの日常が続いていた。
突然遠くから、大きな爆発音が聞こえた。
それを皮切りに周辺が大きなパニックに包まれる。街を歩いていた人々が一斉に炎の上がった場所――7番街の方から離れるように叫び声をあげながら走ってゆく。
「っ…何が…!?」
ガラガラと大きな音が響いて、ゆっくりとスローモーション。
――プレートが上から、降ってきた。
家が、工場が、地面が。
全てが空から降り注いで。
今まで以上に大きな音がミッドガル中に轟いた。
「…うそ…」
地面にぶつかったそのがれきたちがスラムを壊してゆく。
一部はわたしのいる8番街の方も浸食して。
やがて、あちこちが炎に包まれた。
わたしはそれを、ただ呆然と立って見つめていた。
脳裏に、スピラにいた頃の記憶が蘇る。
木でできた家々が重力魔法でまるでおもちゃみたいに壊れて、吸い込まれて。建物も、そこに住まう人の命も、何もかもが巨大な暴力によってものの一瞬で破壊し尽くされる。人間や家が舞い上がって竜巻のように円を描いて空へと舞い上がり、やがて空から降り注ぐ。
後に残るのはただ、静かに寄せて返す、波ばかり。
「――僕は召喚士になるよ。もう二度と、この街が壊れてしまわないように」
海の遠くをずっと見つめていると、大好きだった優しい声が脳裏に響いた。