Battle symphony
「しかしよ…こんなちっせえ石が地球の未来を左右するなんてな」
「すごく、嫌な感じはするけど…」
「そうか?オレには全くわからねえがな」
バレットはその黒い板状の小さなマテリアをプラプラと摘みながらそう言った。そのマテリアをとりまく力はこの地に噴出するライフストリームよりもよほど強大に感じられたけれど、それはこの竜巻のように目には見えない。
「…強い力がマテリアを中心に渦巻いている…わたしたちが持ってるマテリアとは比べものにならないくらい…」
「ユリアにはわかるのか?」
「うん…感じる…かな」
初めて会ったとき敵を見るように見つめていた瞳は今はもう消えて、バレットはわたしの話になるほどと頷きながらそのマテリアを両手で持ち替えた。
「ただ待ってるだけ、ゆーのも…もどかしいですわ」
「そうだね…大丈夫だといいけど…」
「クラウドがどうなったって、ここに黒マテリアがありゃいんだろ?」
「…お前が誰にも渡さなければな」
ヴィンセントの静かな言葉に、馬鹿にするな、とバレットは怒鳴ったが、その場にいた人々は皆それに不安げな表情を浮かべる。セフィロスが——あるいは、ジェノバが簡単に黒マテリアを渡してきたのは、自信があるからだ。それを再び、自分の元に戻すことができるという自信が。
不安が皆の間に広がった、その瞬間だった。
この場に残っていた4人のちょうど中心から眩い光が広がって、思わず瞳を閉じる。
「っなに!?」
思わず叫ぶが、他の仲間たちからの返事はなかった。
眩い光はまだあたりを包んでいて、瞳を開けることもできない。何か不穏なものがあたりに立ち込めるかわりに、仲間の気配は遠ざかっていった。
(——一体、何が……)
ようやく光が収まり、ゆっくりと瞳を開くと、周囲にいたはずのバレット、ケット・シー、ヴィンセントの姿はなかった。しまった、と反射的に舌打ちをする。
ケット・シーとヴィンセントはともかく、バレットと引き離されてしまってはまずい。
すぐに探さなければ、そう思って歩き始めた瞬間、わたしの身長よりも少し高いくらいの岩の影に誰かがいるのに気づく。影の向こうから歩いてきたそれをみて、思わず立ち止まった。
「——やあユリア、久しぶりだね」
「…っ」
微笑む男に、息を呑んだ。
「……ハルク、」
いつもみていた夢とは違う。わたしはここにまっすぐ立っていて、ライフストリームの強い風を感じることができ、そして目の前にははっきりと——あの時、死ぬ直前にみたその姿が見える。一度も忘れたことのない、忘れることのできないその姿で、不気味なほど静かに笑って。
愛したはずの人が目の前にいるのに、ただ怖かった。
体が震えて、うまく動かなくて。そんなわたしに動じることもなく、ハルクはそこにいた。
「どこへ行こうとしてるんだい?」
「…ぁ、」
「助けに行こうとでも、思ってたの?」
ふふ、と控えめに笑うのはハルクの癖のようなものだった。そうやって鼻にかかるような声で小さく笑うのが好きだった。でも、どんな仕草も今は、わたしの恐怖を煽るばかりで。
ぺたり、と座り込んだ。体中の力が抜けて、動けない。
「ねえ、ユリア?」
ハルクはゆっくりとわたしに近づいた。
わたしたち以外誰もいないここは、不気味なくらいに静かだった。ハルクのよく通る透き通った声がまっすぐに私の心を突き刺してゆく。決して癒えてはいなかった古い傷からどくどくと血が流れ出るのがわかった。
「…わ、たし…」
「君に誰かを救えると、本気でそう、思っているの?」
目の前で立ち止まったハルクを茫然と眺めることしかできない。つ、と瞳から頬に一筋の涙が伝った。それを見たハルクが——笑みを深めて。ゆっくりとしゃがみ込むと、触れ合いそうなくらいの距離まで顔が近づく。その冷たい瞳に、焦燥しきった表情のわたしが写っていた。
その顔がわたしの耳元へ寄せられる。彼が動きだすたび、わたしの体はわたしの意思を無視して大袈裟なくらいにびくりと震えた。
「——じゃあ、僕を救ってみせてよ」
「っ!」
思わず、目の前にあったハルクの体を思い切り、突き飛ばしてしまう。
反動で体が倒れて、少し尖った岩にぶつかった背中に痛みが走ったけれど、構わずに後ずさった。
「僕を拒絶するの?ねえ、ユリア、君が?」
「っあ、ぅ…」
「君が僕を——殺したのに?」
心に何度も何度も突き立てられる鋭いナイフが、わたしから思考を、記憶を、使命を、何もかもを奪ってゆく。その表情に見合わない邪悪な悪意が、わたしにまっすぐに向けられている。それだけで、わたしの体は金縛りに遭ったかのように動かない。
「ねえ、僕と一緒に『もう一回』死んでよ。この星で一つになろう?」
——君の力を僕にくれれば、君は眠れるだろう?
もう、何を言ってるのかもよくわからない。ただ止まらない涙を拭うこともできずに、そう微笑うハルクがこちらへ近づいてくるのを、ぼんやりと見つめていた。
茫然自失のわたしを現実へ引き戻したのは、新しい声だった。
——ユリア。
(…エアリス…?)
突然頭に響いた聴き慣れたその声に、瞳を見開く。
ふわりと、背中に優しい風を感じた。——ライフストリームの流れ。この星を守るための力。途端に星の声が耳に届いて、今までそれさえ聞こえていなかった——遮断されていたのだと気がついた。
——それは、ユリアの記憶。わたしには何もできないけど、ユリアなら大丈夫、でしょ?思い出に負けて、諦めたりしない、よね?
わたしを信じてくれる、大切な人の声。
怒っても恨んでもいない、ただ、信頼だけが伝わる、強い声が、わたしの体の震えを止めた。
それに気がついたのか、ハルクがなにか煩しそうな表情を浮かべる。
星の怒りが頭に流れ込む——あの黒マントたちや、セフィロスや、クラウドの近くにいた時と全く同じように。
「ジェノバは…過去の幻影を見せる…」
エアリスの生家で見た映像を思い出した。
過去の幻影。ジェノバにはおそらく、擬態能力がある。過去の記憶の中にある大切な人となって現れて、ウイルスを与えるという。
だから、目の前にいるのはハルクであって、ハルクではない。
——きっといま戦わなければならないのは、わたし自身なんだ。
エアリス声はもう聞こえないが、その優しい風は体に感じられる。彼女がわたしを信じて、星を守るために力を貸してくれている。そうわかるだけで、力が戻ってくる。立ち上がって、まっすぐにハルクを見つめた。
生きていて、いいんだよね?君を、守れなかったわたしでも。
心の中で、エアリスにそう問いかけた。風がふわりと、わたしの背中を押した。
「…ハルク、わたしは、あなたのことを忘れるつもりはない」
「それは僕と一緒に死んでくれるってこと?」
「…ううん。わたしはわたしの罪を背負ってここで生きていく。星を救うことも、諦めない」
——これが、わたしの君への思い。
そう心で呟いて、力を解き放った。わたしのハルクとの絆によって生み出された力、究極召喚。6枚の羽と炎の剣を持った天使、セラフィム。
「…またね」
炎の剣で、目の前の男を斬りつける。
ハルクからは血は流れず、斬りつけたところから緑色の光が立ち上った。
「また僕を殺すの?今度は君の手で?」
「…違うよ。わたしはハルクを、忘れない」
過去の記憶を消すわけじゃない。
ジェノバは倒す。けれど、罪は捨てられないから。フレアを放って、爆発の向こうにいるそれに再び斬りかかった。
「…残念だな…ユリア…もう少しで…」
彼は最後まで言い終える前に、ライフストリームの流れに溶けて消えていった。
そこでようやく、召喚を解いた。
「っ、2連続で召喚するのはやっぱり大変だな、」
ふらり、と体が揺れて硬い岩場に膝をついた。
体が倦怠感を訴えているのがわかる。それでも立ち止まっているわけにはいかないので、自分にケアルガをかけて無理やり立ち上がった。
そのとき、聴き慣れない声が背中から響いた。
——へぇ、これがお前の言ってた親友、か?
明るい男の声だった。
——うん、そう!かっこいいでしょ?
——そうだな。…な、ユリア、だっけ?
クラウドをよろしくな。
男の笑い声を残して、二人の気配が消えた。
「…ザックス、かな?」
ライフストリームの流れの一部になっても、エアリスと一緒にわたしやクラウドを見守っている人。
「…わたしによろしく、なんて言われても、なぁ」
ハルクを倒した今、もうクラウドが「何」だったのか、殆ど答えは出ている。
クラウドはきっとセフィロスに黒マテリアを渡すだろう。
「とりあえず、行くか…」
周囲には誰もいない。きっともう先に行っているのだろう。
——追いかけなければ。