what she left for us



しばらく触れていた唇がようやく離れて、気がつけばヴィンセントは椅子から離れてわたしの寝ていたベッドの淵に座っていた。無理な体勢を強いてしまっていたと今更気付いたけれど、何も言わず隣にある彼の肩に寄りかかる。


「……みんなは?」
「村で……情報収集を」
「村?」


そういえば此処はどこなのだろう。飛行中なのか、どこかへ着陸したのか。狭い部屋には窓はなく、外の様子は伺えない。廊下の外に人の気配はなく、しばらく誰かが通りがかるような物音もなかった。


「今私たちがいるのはコスモキャニオン……星降る峡谷」
「コスモ、キャニオン」


星命学の発祥の地。神羅カンパニーも特別視している、この星の知識が集められる場所。行ったことはなかったけれど、まだ7番街が健在だったころにその写真を見たことがあった——とても美しい場所だと思ったのを、覚えている。


「降りる?」
「…目が覚めたら連れてくるようにと…ティファに言われている」
「じゃあ急がないとね、とっくに目も覚めてるのに、わたしたちだけ此処でサボっていたら怒られちゃう」


戯けたように言って笑えば、彼の口元が小さく緩められてそうだな、と呟いた。


いつだって離れる瞬間は名残惜しく感じてしまう。立ち上がる彼に思わず伸ばした手は黒い手袋をつけた彼の右手に捕われた。驚いて見上げると、そこには優しい色を灯した瞳。


「…置いてゆくわけではない」
「……うん」


彼はその本心をいつも婉曲した言葉の向こうに隠して、そのくせひどく優しくわたしに触れる。わたしはそれに勝手に期待をしては、離れられなくなってゆくのだろうとぼんやり考えた。彼の指がわたしの手を強く握って引き上げる。立ち上がったわたしの腕を引いて、彼はわたしを飛空挺の外へと連れ出した。


「……綺麗……」


飛空挺の外で空は黄昏、真っ赤に燃える太陽が、そしてそのはるか上に輝く赤いメテオが赤い大地をさらに燃え上がらんばかりに照らしていた。険しい崖の狭い棚や洞窟にぽつぽつと家が建てられて、この広大な大自然と共生するように人々が暮らす様子が窺える。写真で見たのよりずっとずっと、美しい景色。あの不気味なメテオの光さえなければきっと、ため息をつくことしかできないような、壮観さ。今はそれがわたしを現実に繋ぎ止めて、ヴィンセントの方へと顔を向けた。


「みんなはどこにいるんだろう?」
「おそらく、ブーゲンハーゲンのところだろう…」
「ブーゲンハーゲン?」
「この村の長老……天文台にいるはずだ」


繋がれた手を再び引かれて、峡谷の中を迷わず進んでゆく。ヴィンセントとは彼が目覚めてからのほとんどの時間を共に過ごしてきたけれど、その中でこの地を訪れたことはなかった。その割にこの土地のことに詳しい彼は眠りに就くより前に此処へきたことがあるのだろうか。


「ヴィンセントはコスモキャニオンに来たことがある?」
「ああ……タークスだった頃に、何度か」
「へえ、意外だ……」
「ブーゲンハーゲンは機械を好む……昔から神羅にとっても大事な顧客だった」
「機械を?」


天文台に向かっているのだと言っていた。この世界に負けず劣らず美しい星の見える広大な空が広がるスピラにはないもの——それは機械を使うからだ。崖の一際高く、街が一望できる頂上に見えるプロペラと、望遠鏡。目指している方向からしても間違いなく天文台とはあれのことなのだと思う。それは周囲の家々と比べると異質だけれど、この街の自然に不思議と溶け込んでいる。


「あの老人の中では科学と星がともに生きている……」
「科学と星が、ともに……」


科学も技術も禁じられた世界たるスピラではそれは自然とは切り離されたなにか不気味なものでしかなかった。この世界にきて暫くの間も、科学とか技術というのは魔晄炉を連想させるもので、それにいい印象を持ったことはない。


けれど。ロケット村でシドが語ったことを思い出す。科学の力が星を救うかもしれない、と。そして、魔晄炉の危険性を説くこの地では科学が星と共存している。


この世界にくるまで考えもしなかったことばかりだった。天文台からはどのような景色が見えるだろう。それを考えて胸が踊るだなるなんて、5年前の——いや、1ヶ月前のわたしにとってさえきっと信じられないことで。


崖を繋ぐ階段を上り、洞窟を抜け、梯子を登った先にようやく崖の頂上にたどり着く。村を見下ろせば、夕暮れのコスモキャニオンの街はどこかノスタルジックで美しい。隣に立つ彼の赤いマントが風に揺れて、夕日と赤い大地に溶け込むようにどこか遠くを見下ろしている。


「……行くぞ」
「うん……」


村に背を向けた瞬間にまたふわりと舞い上がる赤。あのメテオの怪しい光よりもずっと優しく、強く燃え上がる炎のようなそれを暮れかけた空の下で靡かせている。ただその後ろ姿にさえ、胸が高鳴って。


——-だから彼のそばを離れたくはない。それがどれだけ苦しかったとしても。







「ヴィンセント、ユリア。目は覚めたんだな」
「うん、心配かけてごめんね。多分わたしの体はこの星のライフストリームがないところでは維持できないんだと…おもう……」
「体が消えかけた時はどうしようかと思ったぜ」
「体が?」


バレットの言葉に思わず瞳を瞬かせた。
そういえば、今更になって自分がどうやってあのロケットの中から脱出したのかについて何も聞いていないことに気づく。思わずヴィンセントの方へ視線をやると、彼もそれを説明し忘れていたのに今気づいたようで気まずげに視線を逸らしていた。


「ほう、ライフストリームを?たしかに不思議な力を感じるのう」


割り込むように入ってきた知らない声。振り向けば、小さな老人が半球のようなものにのってふわふわと浮かんでいた。


「ブーゲンハーゲンさん、ですか?」
「いかにも。お嬢さんはセトラかの?」
「……いいえ、違います。星の声は聞きますが、セトラではありません。わたし、スピラから来ました」
「スピラからとな。それはまた珍しい場所からの客人じゃの。こんな時でなければ盛大にもてなすのじゃが……」


不思議な人だった。スピラのこともわたしのことも、初めからすべて知っているのではないかと思わせる何かがある。この不思議なドームの下で、どこか神秘的な雰囲気さえ放っている老人をまじまじと見つめてしまった。


「……とにかく、今はメテオが先かの?」
「そう、だな」


ブーゲンハーゲンさんはわたしに向けていた体を元にもどして、ここにいる皆に向けて語るように話し出した。


「どうじゃ、さがしものは見えてきたかの?」
「さがしもの?」
「オイラたちの心の中に、忘れているものがないか探してるんだ……」
「忘れてる、もの……」


——エアリスの、こと?
わたしがぼそりとそう呟くと、皆が一斉に顔を上げてわたしの方を見つめた。どこか居心地悪く肩を竦めながら、続きを話す。


「眠っている間に……エアリスの夢を見て、それで……」
「実は、俺もエアリスのことを考えてた」


クラウドが割り込むようにそう話し出した。青い魔晄の瞳は真剣な色を灯していた。わたしに向けられていた視線がクラウドに移ると、彼は続きを話し出す。


「いや……そうじゃない。思いだしたんじゃない。忘れていたんじゃない。そんなのじゃなくて……なんていうか…… エアリスは、そこにいたんだ。いつも、俺たちのそばに。あまり近すぎて、見えなかった。エアリスのしたこと……エアリスの残した言葉……」


——私も、俺も、と頷く仲間たち。


「夢の中で、エアリスに訊こうとしたんだ…神殿で、何をやろうとしていたのか」
「……そうだ、それだ。俺たちはそんなことも知らない」
「エアリスは言っていた……わたしの役割と、エアリスの役割はちがうって」
「ああ、俺もきいた…セフィロスのメテオを止められるのは自分だけだって……」


クラウドとわたしは他の誰よりもエアリスの近くにいた。思い出せば溢れるように押し寄せる、彼女の記憶。今はまだ思い出すたび、悲しみが胸を満たしてしまう。俯いたわたしの左手を、大きな手がそっと包んだ。


「……ありがとう」


ヴィンセントは何も言わないけれど、その掌からは優しさが伝わって、だから悲しみに支配されそうな心は少しだけ穏やかに。そっと、その手を握り返す。


どうして古代種の都に彼女はいたのか。彼女を失った悲しみから考えずにいたそれは、ついさっき彼女に直接尋ねて、けれど答えを聞くより前に目を覚ましてしまった。けれど、あの場所は、そしてあの神殿は今も変わらずあの場所に残されているはずだから。


「……行ってみれば、わかるかな」


呟くようにそう言った。


「そうだよ。あの場所にもう一度、だね」


レッドXIIIが同調するようにそう返して、皆もまた頷いて。まだ悲しみの記憶が色濃く残る場所だけれど、それでも。