Please just sleep with me.



静かな怒りを湛えたその姿がゆっくりと、元の姿へと戻ってゆく。体が少しずつ肌色を取り戻して、赤いマントが揺れ、完全に彼の姿に戻ると、ヴィンセントは小さな、小さな声で呟いた。


「宝条……永遠に眠れ……」


大きな激情を必死に押し殺したような、硬い声だった。俯く顔の向こうに赤く光るその瞳の冷たさは先ほどから微塵も変わらなくて、そっと瞳を逸らす——怖い。ヴィンセントがどれだけ恐ろしいモンスターに変身しようと一度も抱いたことのない感情が今、わたしの胸を支配していた。誤魔化すように、逃げるようにティファとクラウドの方を向いて、口を開く。


「とにかく、シスター・レイは止まった、んだよね…?」
「う、うん……でもまさか、こんなこと……」


皆それぞれに衝撃を受けている。唐突に明かされたセフィロスの出生の秘密について。ヴィンセントは一体どんな思いで此処に立っているのかはわたしには、想像もできない。


「……とりあえず、飛空挺に戻るぞ」


うまく回らない頭で、冷たい心臓を抑える。自分自身が何を考えているのかもよくわからない。ただ、クラウドのその言葉に、言われるがまま足を動かし始めた。


社長が死んで、スカーレットもハイデッガーもいなくなった今、もうミッドガルの街の警備体制はほぼないも同然。命令が届かなくなった現場では兵服を着た男たちが混乱の中で彷徨い、わたしたちが——きっと見かけたら真っ先に撃ち殺せと言われているだろう私たちが街中を堂々と歩いていても気にも留めず、街は騒然としていた。


「飛空挺、ミッドガルのすぐ郊外に停まってるらしいですわ」


PHSで連絡をとっていたケット・シーがそう告げた。


「スラムまで降りれば多分わたしが……テレポで外まで、出られると思う」
「ここからではいけないのか?」
「わたし、知ってる場所でしかテレポ、使えなくて……8番街スラムはよく行っていたからたぶん大丈夫、だけど」


なるほどな、と頷いたクラウドはまた前を向いて歩き出す。ケット・シーが先頭を歩き、そのすぐ後ろでクラウドとティファは何かを話し込んでいた。わたしはと言えば、そのさらに後ろをヴィンセントと二人で歩いていて。ふたりの間に会話は、ない。


どう、声を掛けたらよかったのか、わからなかった。あの時も、今も。
時折ちらりとヴィンセントに視線を向けるけれど、彼は相変わらず冷たいその双眸を真っ直ぐ正面へと向けて、固く口を結んでいる。


薄暗い螺旋トンネルが長く、スラム街がずっと遠く、感じられた。


(……あの、姿は、)


彼が一瞬見せたあれは、なんだったんだろう。今までにみたことのあるモンスターたちとは根本的に違う——何か別の力を感じる姿。彼の中に燃える激情以上にそれがわたしの心を不安定にさせていた。心拍数の落ち着いた今もまだどこか嫌な感覚が全身に纏わりついて離れない。


「やっとスラムが見えてきたね」


思考を止めたのは、前を歩くティファの声だった。


「ああ、大変な一日だったな……」
「ここ最近はずっとそうだよね。ユリア、最後まで力使わせちゃって申し訳ないけど……」
「ううん、大丈夫、まだ余力あるから」


螺旋トンネルの出口周辺には誰もいない。ここでなら突然人が数人消えたところで騒ぎにはならなさそうだ。そう確認して瞳を閉じる。ふ、と空気の変わるのを感じて瞳を開けばそこはもう、プレートの外側で。思いの外すぐそばに、飛空挺が停まっていた。


「ありがとうございますユリアはん。ユリアはんがいなかったら今日はウォールマーケットでホテル泊だったかもしらへんな」
「それはそれでゆっくり休めてよかったかも」


ケット・シーはわたしの言葉に笑った。——別に冗談を言ったわけじゃあない。事実あの日、七番街がなくなった日の夜はウォールマーケットのホテルで一人、夜を明かしたわけだし。


それから30分かけて飛空挺の前まで到着するとすぐ、入り口が開く。奥には現場に向かわなかった他のメンバーたちが勢ぞろいしていた。


「5人ともお疲れー!」
「ユフィ!ありがとう、待っててくれたんだ」
「ま、まあね!マテリア見つけた?」
「作戦の結果は聞かないのか?」
「……あ」


ふふ、と、思わず小さく声を漏らしてしまう。しばらく着陸していたらしい飛空挺の中でだいぶ元気を取り戻したユフィはどんな時もいつもと変わらぬ明るさでわたしたちを出迎えてくれるから、どこかほっと安心感を覚えた。どこか、家に帰ってきたような気持ちにさせられる。


「宝条は死んだよ。ついでにスカーレットとハイデッガーもね」
「スカーレットにハイデッガーだ?戦ったのかよ」
「そうだよ、バレット、大変だったんだから!すごく大きな機械に追いかけられて……ね、ユリア?」
「そうだね、対ウェポン兵器だって言ってた」


なるほど、と頷くバレットにクラウドがとりあえず今日は休もう、と声を掛けた。シスター・レイを無事止められたことがわかったからか、皆少し安心した表情で個室の方へと消えてゆく。ティファは相当疲れていたのか、おやすみと声をかけると真っ先に歩き去っていった。


そうして立ち止まっていたわたしの隣から、何も言わずに歩き出したヴィンセントが最後尾について消えてゆこうとするのに思わず、声をかけた。


「ヴィンセント!」


ヴィンセントは無言で振り返る。神羅ビルで見たあのモンスターの姿がそれに重なって、体が小さく震えた。


「……あの、部屋に……部屋に、こない?」
「……」


燃える激情はいまだ、彼の瞳の奥に見え隠れしている。彼がわたしのその言葉に何を思ったのかはわからないけれど、何も言わずにコクリと頷いて道を譲るように脇に寄る。個室へ繋がる扉の向こうへゆくとヴィンセントは、静かにわたしの後ろに付き従った。


歩き出すとすぐに、ここへ戻ってくるときと同じ気まずい沈黙が再びふたりの間に落ちる。初めて歩いた螺旋トンネルの時と同じくらいに、何度も通ったはずのこの通路も嫌になるくらいに長く、感じた。


「……あの、す、わる……?」


ようやく部屋にたどり着くと小さくため息を吐いてしまったわたしの、おどおどとした言葉に彼は何を思っただろう。閉ざされた扉に鍵を掛けてそっと、右手でわたしの頬をなぞった。


「……すまない」
「……えっと、」
「怖がらせるつもりはなかった」


瞳を逸らした彼の気まずげな声が、そう告げた。


「大丈夫、だよ……怖かった、けど、でもそれ以上に心配で」


うまく言葉にできないもどかしさが、胸に痛い。
声を掛けていいのか、掛けるべきでないのか、何を、言えばいいのか。
わたしは何を考えているのか。


何も、何も分からないままここまで連れてきてしまった。だからそれ以上何も言えずにまた、黙り込んでしまう。ただ、そう。心配しているのだと、それだけ、伝えたかった。


怖かった。宝条に向けるその激情も、あの見たことのない姿も。それから変わらぬ苛立ったような彼の纏う雰囲気も。でも、それでも。それでも、彼がどんな思いで宝条の言葉を聞いていたのか——それを思うと何もせずには、いられなかった。


「……お前も今日は疲れただろう。もう寝ろ」
「あ……ごめんなさ、」
「そういうことではない」


何も言わずに話を終わらせようとする彼に、失望されてしまったんじゃないか、なんて心臓がヒヤリと冷えるのを感じて、思わず口にした謝罪の言葉は、けれど、少し柔らかくなった彼の表情と声とに遮られた。


陶器のように滑らかな肌が近づいて、柔らかな唇がわたしのそれと一瞬だけ触れ合ってすぐに、離れていった。


「……此処で眠らせてくれ」


——お前の隣で。
懇願するような声が鼓膜を揺らして、その振動はわたしの心臓を切なく揺さぶる。そんな風に言われてわたしが、どんなに怖くたってそれを拒絶できるわけ、ない。固い表情のまま頷くと、頬を撫でていたのとは反対側の手がそっと、壊れ物に触れるように優しくわたしの背中を抱いて、緩く抱きしめられると、冷たい彼の体が小さく震えていることに初めて、気づかされた。


怖いのはきっと、わたしだけじゃあ、なかったんだ。


「……うん、今日はもう、寝よう」


何も言わなくてもいい。わたしを求めてくれていると分かったから、もう。
抱き合ったまま静かにベッドに座って、そのまま倒れ込む。やっぱりこのシングルベッドは少しだけ窮屈で、それがとても、心地いい。