Calling.



「助っ人が入ったからよ、少し楽になったんだよ」
「助っ人?」
「詳しいことはナイショだぞ、と」


ニヤリ、と笑って人差し指を唇に当てたレノにあっそう、とため息を吐いた。この五番街が一般社員も含め社宅の多いエリアらしく、避難が最も遅れているのもここなのだと隣の六番街の避難誘導を終えたらしい彼がここへやってきたのはつい先程のことだった。


「結構みんな、聞いてくれないものだね」
「そりゃああれだけ騒ぎ立ててもまだ上に残ってる奴らなんてそんなもんだろ。でもお前ら石とか投げられないだろ?マシな方だぞ、と」
「……石?」
「タークスは色々やってきたからな」


特にスラムでは。そう付け加えた彼になるほどね、と頷いた。いちいち詳しく聞かなくたって分かる。わたしだって七番街スラムに住んでいた——いくら五番街が一番人が多く住んでいるからといって、七番街にだって人は住んでいたはずだ。プレートの下に住んでいた人々も、そして上に住んでいた人々も。皆あの一瞬で全てが奪われてしまったし。タークスは人攫いとか、もっと色々な後ろ暗いことをやる部署、みたいだし。


「おし、そろそろ行くぞ、と」
「……まあ、がんばれ」


背中に向かってそう声をかけると飄々とした彼は右手を小さく上げて道の向こうへ消えていった。人通りの少ない住宅街でわたしも立ち上がって一度、伸びをする。五番街の避難誘導を始めて3日目。スラムを罵倒する人、もう星が終わるのならと、自分の死を受け入れたようにここへ留まることを決めた人。避難したくともできない人。そう多く人の残ってるわけではないこの住宅街でも、朝から晩まで家々を回っていればずいぶんとたくさんの人に会ったものだった。避難時の混乱で怪我をした人はヘリで、ミッドガル近郊に急ごしらえで作られた仮設の医療施設へ運ぶけれど、そもそもの人員が少ないのでできることはあまりに限られていた。


「……避難誘導、なんて言ったって、わたしにできること、全然ないなぁ……」


はじめは数日前に避難がおわっているはずの区域を回っていたから異様なほどに静かだった街並みも、先へ進むにつれてものものしい雰囲気が漂いだしている。不安げな表情の家族、泣き喚く子ども、それを煩しげに見る若い男。みな余裕なんてない雰囲気のままで駅へ歩き去ってゆく。わたしは彼らを笑顔にすることも、その不安を解消することだってできなかった。それはわたしがここにいるから——仲間と、大空洞へ行かなかったから。きっと大丈夫、信じてる、わたしは、信じられる。でもそれは、彼らが共に短くない時間を過ごした仲間だから、で。知らないわたしの言葉を一体だれが、信じてくれるだろう。


わたしの考えを遮るように、PHSが着信を告げた。知らない番号——市外局番からして、ミッドガル市内のようだけれど。誰だろう、と通話ボタンを押せばユリアさんでしょうか、といつか聞いた深みのある低い声が鼓膜を揺らす——ああ、リーブだ。


「うん、何かあった?」
「ええ、そうなのです。実は……」


リーブがひとり神羅本社に残って一日中ラッシュ状態で走り続ける電車の動きや、現場の状況、プレート上からスラムまでの全てを管理しているというのはタークスから聞いていた。ケット・シーは大空洞へゆく。一体どうすればそんなことが可能なのかとも思ってしまう。そんな彼が話し出したのはここへ訪れてから一度もまともに歩いていなかったスラム街の状況だった。


街は今、プレート上の市民と元々のスラムの住民とでほとんどパンクしかけている。そう多くない都市開発部門の彼の部下たちがどうにか仮設の住居を建ててミッドガル市民の住居を作っているらしいけれど、もともと過密状態だったスラムにさらに人を増やす、それもプレート上の住民ともなれば、無事に済むわけがないのはたしかに、わたしにだって想像できることだった。


「……な、るほど……」
「困ったものです……しかしこのままにはしておけません」


ユリアさん、頼めませんか。そう尋ねるリーブに思わず、黙ってしまう。行くのはいい。けれど、じゃあ、その諍いをわたしが、止められる?そんなわけ、ない。この街で、下へいくことを拒む市民をただの一人だって説得できてない、わたしが。


「……とりあえず、行っては、みるけど」
「すみません。なるべく怪我人を出さないようにお願いしたいのです」
「……努力は、するよ」


リーブはわたしの不安げな声に何かを感じ取ったのか、少し黙り込んだ。けれど忙しい彼にはきっとこの件にこれ以上割ける時間もないのだろう。詳しくは下で部下が待機していますのでとにかくまずは四番街スラムへ、と、それだけを告げて電話は切られた。


「……はぁ」


ため息を吐きたいのはリーブの方だろうとは思うけれど。とりあえず駅の方へ急ごう。ユフィには、連絡を入れておいたほうがいいかもしれない。一度閉じたPHSをもう一度開きながら駅の方へと、歩みを進めて。


「——は?スラム街?」
「うん、大変みたい」
「まあ、こっちは別に……ああー!だから!この非常事態に何言ってんだくそジジイ!」


……ああ、ユフィも、大変そう。「ごめんねー、そういうことだから!」と、どういうことだかはわからないけれど通話は切れて、今度こそPHSを仕舞い込む。わたしがしているのと同じ戦いをきっとユフィもしていて、ヴィンセントも。ああ、そうだ。


「ヴィンセント!」


駅の方へ近づけば見慣れた背の高い影。彼の周りでは人々もどこか緊張した風にして、彼の指示には従っているように見える——威圧感というか、オーラの、ある人だから。静かだけれど、彼の話を聞かなければならないと、思わせるような。振り返った彼の赤い瞳が一度、瞬いた。


「……ユリア、なぜ」
「うん、ちょっと、リーブから用事を言いつかって」
「……そうか」
「四番街スラムに行かないといけないみたいで……」
「それなら……次の電車が五番街スラムに止まる。そこから歩くのが早いはずだ」
「なるほど……ありがとう」


小さく頷いたヴィンセントは何かを迷うように右手をわたしの方へ伸ばしたけれど結局、引っ込めてしまう——頭でも撫でようと、してくれたのかな。気疲れしたような表情をしているかもしれない。瞳は心配げにわたしに向けられたままで。大丈夫だと伝えたくて笑みを作った——嘘じゃない。ヴィンセントの顔を見ていたら、もっと頑張ろうと、そう思える自分がいるから。


「今日はスラムで一泊かも」
「……そうか」
「電話持ってないんだよね」
「ああ……機械は苦手だ」


ふふ、と思わず笑みをこぼすと気まずげに瞳が逸らされる。そこでちょうど、電車がホームへと到着した。「またな」と低い声が呟くので、同じようにまたねと短く返すと、スラムを目指す住民達とともに電車へと乗り込む。ヴィンセントはちらちらとこちらへ視線をよこしながらも人を別の車両へ分散させたり、ちゃんと仕事を、してるみたいで。ぎゅうぎゅう詰めの車内では誰も会話をする余裕なんてなく、ただむんむんとした熱気と息苦しさが、狭い箱の中を支配していた。駅のホームに溢れる人が半分くらいになったころにようやく、扉が閉じる。動き出した電車の向こうで、赤いマントがひらひらと揺れているのが遠く見えた。