つめたい笑顔



二度目の邂逅は「恋人」のいないところで起きた。


「…あ」


思わず小さな声が漏れた。


あれからしばらくして「恋人」は海外へ出張へ行ってしまった。どこへなんのために行ったのかは「わたし」は知らないはずだから、彼はどうしてるんだろう、と考えながら休日のカフェでぼんやりとカウンターに座って、窓の外の道ゆく人々を眺めてる。あ、あの服可愛い。どこのブランドだろう?とか、あのカップル、幸せそうで羨ましいなあ、とか、そんなどうでもいいことを考えながら時間を潰すだけの、なんということのない昼さがり。


もうじき、始まるかもしれない。彼の家でテーブルを囲んだときに小さく呟いた彼の真剣な表情を一瞬だけ思い出して、すぐに頭の隅に追いやった。今の「わたし」はそんなこと、知り得るはずもないから。余計なことを考えていると何かあったときにリスクになってしまうから、演じている間は知らないはずのことは一切考えない。それはわたしの信条でもあった。


ふいに、隣に影が差して誰かが座った。そこにいたのは見覚えのある男で。


「…失礼、私に何か?」


不思議そうに首を傾げる斜め前の男性――島崎。
名前「だけ」は知っている、けれど「何も知らない」ただの恋人の、同僚。声を漏らしたこと自体は別に不思議ではない、よね。そう考えて笑みを作った。何も知らないただのOLの笑顔を。


「あっ、突然すみません。前にお会いしたヨシフくんの職場の同僚のかた?ですよね。」
「ああ、あの時のノーマルの…」
「ノーマル…?」
「いえ、こちらの話です。その節は失礼しました」


相変わらず口調は丁寧だけれど、あの時の柔和さは影を潜めていて、同じ顔なのに別人かと疑ってしまう。どこか――冷たい、空気を纏っている。まるでわたしみたいな人間が話しかけてきたことが彼にとってプライドに障った、とでも言うかのような。


「それで、なにか御用ですか?」
「いっいえ、そういうわけでは……」


用がないならわざわざ話しかけないでくれ、という心の声が聞こえてきそうだった。賑やかなカフェでなんということもない会話をしているはずなのに、周囲の喧騒がどこか遠くに聞こえる。一筋の冷や汗が、額から頬を伝って流れ落ちた。コーヒーの中身はまだ半分残ってる、けど。恐怖で表情が強張るのを感じながら、なんとか口を開く。


「いえいえ、こちらこそ今回はわたしがプライベートを邪魔しちゃったみたいで、ごめんなさい…わたしもう帰りますね」


慌ててカバンを持とうとするのに、手が滑ってうまくいかない。もたもたと机に広げていた手帳を閉じていると隣からはくすりと小さな笑い声――それはどちらかというと、嘲笑するような響きをしていて、また体が固まってしまう。なんとかカバンのふたを閉めて、それでは、と声をかけると、返事も聞かずに早足で店を出た。


またふわりと、あの日とおなじ香水の香りが鼻を掠めた。


(……とにかく、家に、家に帰らないと、)


爽やかな秋晴れの空の下、暑くもなく寒くもなく過ごしやすい心地のはずなのに、背中はじっとりと冷や汗で湿っている。下を向いて歩くと賑やかな繁華街では何度も誰かの肩にぶつかってその度迷惑そうに顔をしかめられたけれど、気に留めるような余裕も、頭を下げるような余裕もない。ただ機械的に足を動かして、駅に向かって歩き続けた。電車に乗って、駅について、さらに歩いて、5分。自宅の扉の鍵を閉めると背中をくっつけてずるりと、座り込む。


「……なに、あのひと、」


怖い。素直に抱いた感情だった。あんなに、そう、あんなに冷たい顔が、ふつうの人にできるものなの?――ふつうじゃ、ないから、なのかも、しれないけど。まともに敵方の人間と関わるのなんて初めてだったから、ああ、そうか、あれがテロリストなのか、なんて、そんなことを、思ってしまった。突然それが現実味を持って、感じられてしまった。それが、ひどく、怖かった。


島崎亮。盲目の、享楽主義者。
超能力を持たないわたしのような人間に対してはきっと、なんの興味もないから。だからああして取り繕う必要もないと、冷たい顔を見せたのかもしれない。わたしのことを「ノーマル」と呼んだ彼はきっと、能力の有無で人間を二分している――「爪」のやっていることには特に興味がなさそうだというヨシフさんの言葉は事実なのだろうけれど、彼のそれは「爪」の思想と完全に合致していた。きっとわたしのことは「ノーマル」としか認識していない。それ以上のことにはなんの興味もないし、わたしのような人間のことは虫けら以下くらいにしか思ってない。もちろん、わたしの仕事を考えればとても都合のよいことだった、けど。


ふと、バーで少しだけ話したときのことを思い出す。


――綺麗な方ですね。


今更になって気づく――あの男、目が見えないのに。
なんて、馬鹿馬鹿しいんだろう。


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