ディア・マイ・リアリティ



「なんだろうなぁ…なんだかなぁ…」


日が昇ってからの現場検証は警察の管轄、らしい。
首都の夜はビルや街頭の明かりでいつも明るいけれど、今日はこんな事態だからかいつもより暗くて、普段はあまりみることのない星が瞬いている。大通りをゆく車の通りもいつもよりずっと少ない。しばらく待ってようやく通りがかったタクシーに右手をあげると、路肩に止まったそれに乗り込む。行き先を告げるとかしこまりました、と告げた運転手は寡黙な人のようで少しだけ安心した――今日のこととか、聞かれたって、困るし。


この仕事をしているとこうして日付を回って終電のない時間帯にタクシーを拾って帰宅することはままあるけれど、今日はいつも以上に静かな道を静かに走り抜けてゆく。つい数時間前まではもう日本は終わりだとまで思っていたのに、終わってみれば本当にあっさりとした終わり方だった。総理大臣は調味タワー付近で警察が保護して連れ帰り、今後の対応は政府が超能力の存在を公表するかどうかで変わるためひとまず2日程度は自宅待機。これだけのことがありながらなお隠し通そうとしたところをみるにまあ、隠蔽だろう。そうなると能力者を罪に問うことは難しい――幹部どころか総理誘拐の実行犯さえ罪には問えないかもしれない。


「……それってどーよ」
「何か?」
「あっ……すみません、なんでもないです」


思わず漏れた声に運転手が反応したが誤れば何も言わずに運転を続ける――いっそ無愛想すぎるのでは?と思うけれど、根掘り葉掘り聞かれるよりはずっとマシだと思い直した。


それにしたって、わたしのこれまでの仕事ってなんだったんだろう。ヨシフさんとの会話も途中だったのに。結局強い人が勝つんだ、圧倒的な力の前で無能力の一般市民のコツコツとした努力なんて何の意味もない。まあ、絶対に有給をとるぞと思っていた中で本当に休暇が降ってくるとは思っていなかったから、棚からぼた餅と言ったところでもある。何があったのか詳細は調べないとわからないけれど、きっと曖昧なままに終わらせてしまうんだろう。突然飛んで行ったタワーとか、タワーのあったはずの場所に突然現れた巨大な植物とか、何もかもが今も世界中のインターネットを騒がせているけれど。


ーーまあ、いっか。
そうやってみんながネット上で騒げるのは「爪」が壊滅して、彼らの企みが失敗に終わったから。わたしたちの仕事はほぼ無意味だったけど、結果として皆守られたんだし、わたしが何を考えたってこれから何かが明らかになることも、明らかにさせてもらえることもないだろう。考えるだけ無駄ってわけ。


それからはもう、無言でぼんやりと外を眺めるばかりで。いつの間にかタクシーが止まって、運転手に声を掛けられるまでぼうっとしていた。お客さん?と声を掛けられるのにびくりと反応して初めて、ああわたし結構疲れてるんだな、と気づかされた。


「7000円で大丈夫ですか?」
「かしこまりました」


札を渡して小銭を受け取ると、カバンを持って車を降りた。家の前で降りるのはなんとなく怖いのでいつも駅前で停めてもらうことにしている。今日も同じように駅のロータリーで下ろされたけれど、なんだか素直に家へ帰る気分にはなれなかった。駅から家へ向かう方とは反対方向に歩くと、いくつかの飲み屋やカラオケ、ラーメン屋などが並んでいる。もう夜も深いけれど、まだ数軒は空いているはず。最悪コンビニで酒でも買って帰ろうと思っていたのだけれど。


「…流石に今日はやってないかぁ」


コンビニとカラオケの看板だけが光っている。シャッターの降りた店には臨時休業の文字。味玉市からはだいぶ離れているけれど、それでも昼間の件では日本全体が不安に包まれていたと思う――公安の中はもう絶望さえ漂っていたわけだし。仕方なくコンビニに入って安いウイスキーとつまみを買うとそのまま店を出た。


終電も終わり電気の消えた薄暗い駅前を通り過ぎれば、家はすぐに見えてくるはずだった。通い慣れた道だし、間違えるわけもない。けれどその道端に、アパートの目の前の電柱に這い蹲って腹を押さえ、気を失っている男の姿を見つけて思わず、立ち止まった。


「……島崎……!」


どうしてこんなところに。傷だらけで眠り続ける男が答えるわけがないとわかっていても、思わずそう呟いてしまう。近づけば肌には細かな傷が残り、シャツには血が滲んでいた。救急車、そう考えて咄嗟に携帯を取り出したけれど、彼は総理誘拐の実行犯で、そもそも爪の幹部。簡単に病院へ連れて行くわけにはいかないと思い直して携帯を仕舞い直した。……まあ、テレポーターだし、病院で何かあってもすぐに逃げられてしまいそう、だけれど。なら尚更、目の届くところに置いておくべきなのでは、と冷静な思考が働いた。


無言で、彼の肩に体を差し込み、無理やり立ち上がらせる。まだ目を覚まさない。
女は気合。一言自分に言い聞かせると、どうにかして男を支えたままゆっくりとマンションの中へ。エレベータへ。そして鍵を開けて部屋へと入れた。自分の靴も脱がなずに男を自室のベッドへと運ぶと、やっと一つため息をつく。


「とりあえず手当てかなぁ…」


明らかに重傷を負っている人間を前にして放置はできない。まして傷の一部はたぶん、わたしがつけたものだ――最後にあったときと比べても随分、傷だらけになっているけれども。服を脱がせると打撲痕とか擦り傷とか、火傷とか、思った以上に多彩な傷跡。一体何をすればこんなことに……ああ、超能力か。全てを説明できてしまうご都合能力にまた、ため息が溢れた。そもそもせっかくの休暇なのにわたしは一体何をやってるんだろう。もう自分を偽る必要もなく、本当の意味で自由に休める2日間が待っているはずだったのに。とりあえず雑に薬を塗ってガーゼと包帯を巻いて、上から毛布を掛けてやって。それから履いていた靴を玄関に並べ直すともう、疲れは限界だった。


だいたいここ数日は今日のための準備でまともに休めてもいなかったんだ。やっと全部終わったのに一難さってまた一難。タオルケットも持たずにソファに倒れるともう、意識が遠ざかってゆく。


ーー報告しないと…もう明日でいいや…
そんな投げやりな態度になってしまったのも全部、疲れていたから。これからどうなるのかなんて、何も考えていなかった。仮にも犯罪者と同じ部屋で警戒心が足りない、とか、後からならいくらでも思えるのだけど。5度目の邂逅は、予想もしていなかった形で訪れたのだった。

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