そっと見守って


「ナマエー? あれ、まだきてないのかな?」

 ポケモンセンターの入り口にて。
 そう大きいわけでもない建物の入り口でヒカリは腕の中のポッチャマといっしょにあたりを見渡していた。いちおう柱の陰なんかもひととおり探してみたけれど、ヒカリの声に誰かが答える様子はない。
 多分まだきていないんだろう。そう解釈したヒカリは、ポケモンセンターの中で待つことに決めて入り口の扉をくぐった。エントランスは待合スペースにもなっていて、奥に通信機が置かれている。きっとナマエはそこにいるだろうし、椅子にでも座っていればナマエも気づくと思ったからだった。

「ポチャ……? ポチャ、ポチャポッチャ!」

 扉をくぐってすぐ、腕の中のポッチャマがある一点を指差しながらヒカリに向かって何か伝えるように鳴いた。ヒカリはポッチャマの腕の先へと視線を向ける。

「どうしたの? ……って、ナマエと……え、」

 視線の先には探していた仲間の姿があった。
 ただし、隣に予想もしていなかった人物を伴って。

「シンジ……?」

 いつも通りの無表情で、手をポケットに突っ込んだままのシンジと、そんな様子を全く気に留める様子もなく笑顔のナマエ。いつも通り、と言ってもヒカリがシンジに会うときはだいたいいつも隣にサトシがいたし、サトシがいれば二人の空気は自然と険悪になるから、あんなふうに穏やかな雰囲気の中で人と話しているところは初めて見たかもしれない。

(……知らなかった)

 ナマエがあのシンジと仲がいいなんて。
 驚きに包まれたヒカリは、それからなぜか大きめの柱を影にしてそっと隠れるように二人の様子を伺った。腕の中のポッチャマが何をしているんだと言いたげな胡乱な目線を向けるのに対して、ヒカリはしぃ、と唇に手を当てた。
 隠れたことに深いワケがあったわけじゃない。会話をしているのに邪魔をするのはよくないと思ったし、ヒカリはシンジにそこまで好感を抱いていはいなかったから、わざわざ割って入ろうとも思えなかった。……それは別段隠れることの言い訳にはなってなかったけど、とにかく黙って様子を伺ってみる。シンジが何かを尋ねているらしい。

 シンジといえばサトシのライバルで、性格が悪くて、目つきも悪くて、それからポケモンの扱い方も悪いヤツ。一方でナマエは旅仲間で、女子二人ということもあって一緒に過ごすことも多くて、当然ヒカリとの仲もとっても良くて。
 ……違う、問題なのはそこじゃない。混乱からかあっちこっちへと行き来する思考を落ち着けるために一度深呼吸。ポチャ……? と腕の中で小さな声がする。よほど動揺してたらしい。だいじょうぶ、と囁き返して柱の向こうへと視線をやった。

「ああ、これ? 特訓中にスピアーが技を外して、ちょうどその先にあたしが……大変だったなぁあの時は」

 聞こえる声はナマエのもの。シンジがじっと見つめていたのは、ナマエの足に巻かれた包帯だった。何度見ても痛々しいな、とヒカリは小さく眉を寄せる。
 あの傷はサトシがナマエとバトルの特訓をしていた時にできたものだ。スピアーのどくばりをピカチュウがかわして、ちょうどその先にいたのがナマエだった。深々と刺さった針に技を出したスピアーの方が動転して上空をぶんぶんと飛び回っていたのは記憶に新しい。しばらくは歩くのもひと苦労だったのが、ここ最近ようやく回復してきたのだった。
 実際雑貨を好むナマエがヒカリに付き合わなかったのも、傷が完治していないからという理由が大きい。カフェで座ってケーキならまだしも、立ったままの買い物はまだきついのだろう。
 ナマエはそんなことの経緯をシンジに説明しているらしかった。シンジはといえば話を聞きながらヒカリと同じように眉を寄せている。そんなことシンジにしゃべって大丈夫なの? ハラハラとヒカリは見守り続ける。

「相変わらず使えないな。そんな状態で旅が続けられるのか」
「ふふ……手当てはタケシにしてもらったしもう歩けるよ」

 あの時ほどタケシと一緒に旅してよかったと思うことはなかった。そう続けるナマエにシンジの眉間のシワが深くなって、それからため息。その様子を見てヒカリは素直にすごいな、と思った。

(あのシンジのイヤミ、全然気にしないなんて……)

 うすうす勘づいていたけれど、多分ナマエはちょっと大人びている。同い年の女の子のはずなのにたまにタケシと話してるような気分になることもあるくらい。今だってシンジの言葉を平然と受け流してるけど、そんなことヒカリにはとてもできそうにない。
 それから二、三言葉を交わしてシンジはそろそろ行く、と言った。ナマエはどこか残念そうな表情を浮かべてそっか、と返す。

「久しぶりに会ったけど、元気そうでよかった。またね」

 シンジなんかにそんな声をかけるなんて、ナマエすごいな。シンジもそれには満更でもないように片手を上げて歩き出す。そのまま入り口にいるヒカリの方へ近づいてくるシンジに慌てて隠れる位置を変えた。
 扉が開いて、閉まる。ナマエの方へ視線を向けた。柱に手をつけてこっそりと覗いていたけれど、今シンジから隠れるために位置を変えたからナマエからは丸見えだ。ナマエもそれに気づいて、目が合った。
 合ってその瞬間、ぼん、と音が聞こえるくらいに一瞬で、ナマエの頬が真っ赤に染まった。

「え……え、ヒカリ!? ど、どうして」
「へ、へへ……外にはまだきてなかったから中で待とうかなって思って……」

 人の会話を盗み聞きしてしまった気まずさで、ヒカリは顔を引きつらせながらそう言った。ナマエはあわあわと見たことがないくらいに狼狽している。

(……何か聞いちゃいけないこと、聞いちゃった? 何も変なことは言ってなかったけど……)

 ヒカリはナマエのそんな反応にも驚きながらへへ、と鼻に指を当てた。

「そ、そう、なんだ……」
「う、うん……そうなの……」

 お互いしどろもどろになりながらきょろきょろと視線を彷徨わせる。いつも通り、平和極まりないポケモンセンターの風景が視界に入る。今日も平和だな、なんて現実逃避してみるけれど状況は当然ながら変わらない。冷や汗が背中を伝う。

(ど、どうしよう……変な空気になっちゃったよぉ……こんなことなら盗み聞きなんてするんじゃなかったー!)

 ヒカリの心の叫びはナマエはもちろん腕のなかのポッチャマにさえ届かない。ちなみにポッチャマはといえばなぜかナマエはニヤニヤと楽しそうに見つめている。そんなポッチャマに、もう! と叫ぶ……わけにもいかず、へへ、とかはは、とか特に意味のない言葉を繰り返しては居た堪れない空気に逃げ出してしまいそうになった頃、意を決したようにヒカリの方へ向き直ったナマエが「お願い!」と言って頭を大きく下げた。

「へ……!?」
「今日のこと、サトシたちには黙っててもらえないかな!?」

 何を言われるかと思えばそんなこと。ヒカリはナマエのその勢いに押されながらなんとか「そんなことなら全然だいじょーぶだけど……」と返すと、顔を上げた名前が瞳を潤ませながら「ほんとう……?」と首を傾げた。

「もちろん! ナマエの頼みだもの」

 たしかにサトシはシンジのことを良くも悪くも強く意識しているし、ここにシンジがきていたと知れば旅の空気も悪くなるかもしれない。やっぱりナマエは大人だな、と再確認しながらだいじょーぶ、と口癖を付け足すと、ようやくナマエは心底安心した風にため息を吐いた。

「よかった……あたしがシンジのこと好きだなんて知られたらどんなことになるか……」
「そうよね、ナマエがシンジを好きだなんてサトシが知ったら……」

 知った、ら。え?

「ええー!?」

 その時のヒカリの叫びは、これまでの人生でも数えるくらいしかあげたことのない本気の叫び声だったという。