21


濡れた唇。
互いの吐息が耳をつく空間。
真剣な、でもどこか戸惑ったような、エドさんの青いあの眼差しー。


「〜〜〜っ!!!」


就業中だというのについ昨晩の出来事を思い出して、私は声にならない声を上げて頭を抱えた。(もちろん、最低限の小声になるように抑えた)それを横目で見ていた明日香さんが私に声をかけた。


「ユリ?どうしたの?」
「…す、すみません。なんでもありません」
「そうなの?ならいいけど…」


そうだ。まじめに仕事をしなければ。
そう思って背筋を伸ばしてキーボードに手を伸ばすけれど、ものの十数秒も経たないうちにまた同じ状態になってしまう。


「(た、大変…ユリが何かに苦悩しているわ)ねぇ、ユリ。少し休憩フロアに行ってきたらどうかしら。というか行ってきなさい。今すぐ」
「あ、明日香さん…」
「そうだよ、今日のユリちゃん、何か変だもん。ちょっと休んでおいで?ね?」


明日香さんに続き、由季さんまでもが私に心配そうな視線を送ってくる。確かにこのままでいても仕事が進む気が一ミリもしなかったので、私は「すみせん。ありがとうございます」と小さく言って、作業室を後にした。




休憩フロアには誰もおらず、壁に掛けられたテレビが音声を発している程度だった。

私はイスをひいてそこに座り、そのまま丸テーブルに突っ伏した。冷たい感触が頬に伝わってきて、私の中の熱が少しだけ和らいだ気がした。

ぎゅ、とそのまま拳を握る。
目を閉じるとあの時のエドさんの表情が真っ先に浮かんできてしまうので、目は開けたままで思案した。


どうしてあんなことを。
どうして私に。
どうしてキスなんてー


「ーっうわあぁあ!!!!」


思い出しただけで恥ずかしくていてもたってもいられなくなって、私は頭を抱え込んだ。その直後に「ユリ?」という聞き慣れた声が耳に入ってきたことにより、私の身体はびしっと石化した。


「よ、ヨハンさん…」
「ここにいたのか。探したぜ」
「え?探したって…」
「なんか今日様子が変だったからさ。何かあったのかと思って」


ヨハンさんは私の座っているテーブルに近づき、目の前のイスをひいてそこに腰かけた。


「…気にして、くれたんですか」
「してるよ。いつも」
「っ…」
「顔、赤いな。どうした?」
「あ、これは…」


まさか「昨日エドさんにキスされた事を思い出していたら赤くなってしまったんです」なんて言える訳がない。それにヨハンさんにその事実を知られたくない、と思った。


「言いたくないならいいんだ。ただ、オレに何か出来ることはあるか?」
「え…?」
「ユリが何か困っていたり、助けが必要だったりするのなら、力になりたいんだ」
「どうして…」


そんなに優しくしてくれるんですか、という言葉を続いて紡ごうとしたけれど、そうする前にヨハンさんの片手が私の手に重ねられた。
そして戸惑う私に注がれたのは、とても優しい眼差しだった。


「その理由なら、この前の土曜に伝わったと思ってたんだけどな。それともユリって結構鈍かったりするのか?」
「…あ…えっと…その…」


少し困ったように、眉根を下げて笑うヨハンさん。手の甲に伝わってくる体温が、今目の前にいる彼のものなのだと思うと、愛おしさがこみ上げてくる。


「つ、伝わって…います。ちゃんと」
「なんだ。良かった」
「…それじゃあ、1つ、お願いしてもいいですか?」
「…?」


首を傾けるヨハンさん。
私はその手を軽く両手で包み込んで、消え入りそうな声で告げた。


「少しの間…私の手、握っててくれますか」
「…ああ、もちろん」


私の申し出に少し驚いた様子を見せたけれど、ヨハンさんはすぐに私の両手を包み込むようにして軽く握りしめてくれた。

心音がとくとくと音を立てている。
私は目を閉じて、ヨハンさんの温もりを感じた。さっきまで混乱していた頭がすっとして、気持ちが軽くなったような気がする。


「ヨハンさんの手…安心します」
「…そうか。良かった」


自分の気持ちになんて、もうとっくに気づいてる。そしてそれは、ヨハンさんにもきっと伝わっているのだろう。


ー私は臆病だから。
今はまだ言葉にして伝える勇気がないけど。


「ありがとうございます…ヨハンさん」
「…うん」


彼は微笑みを浮かべると、私の両手を包む手に少しだけ強く力を込めてくれた。




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