23


あれから3週間近くが経った。
あの日の一件以来、エドさんは私に仕事以外の話をしてこなくなった。

私も私で顔を合わせるのも話すのもとても緊張してしまうのだけれど、急に変わったエドさんの態度はどうしても気になってしまう。


今日もそうだ。
廊下ですれ違う前に目が合っても、エドさんはすぐに目を逸らすか、伏せてしまう。
私はそんなエドさんを振り返り、その背中を見送る事しかできなかった。



そして休みを控えた金曜日。
定時を迎え、帰ろうと荷物をまとめていた私のすぐ隣をエドさんが通った。


「(…また、何も言わない)」


どうして。
その理由が知りたくて、私は部屋を出たエドさんを追いかけた。




「エドさんっ!」


会社を出て、駐車場へ向かっていた背中に向かって呼び止める。エドさんは立ち止まったけれど、こちらを振り返ることはしなかった。


「あの、どうして…」
「…悪い。この後用事があるんだ」
「あ…」


私を振り切って車のドアに手をかけるエドさん。私は慌てて駆け寄り、彼のすぐ後ろに立った。それでも彼は振り向こうとはしない。


「待ってください。…どうして、あの日から私を避けるんですか」
「…それは避けるさ。ボクは君に無理やりキスをしたんだぞ」
「それはそうかもしれませんが…急に、まるでただの他人のように振る舞うなんて、ひどいです…」


正直な気持ちだった。
少なくとも私は、以前のエドさんに対し戸惑いを感じていたのは確かだけれど、それでも「ただの仕事仲間」よりも少し進んだ関係に私たちはいたはずだ。


「…あの日のことなら、もう気にしていません。だから、素っ気なくしないで欲しいんです。普通に接して欲しいなって…」
「…気にして、いない?」


エドさんの拳がきつく握られたかと思うと、彼は私を振り返った。
少し眩しいくらいの夕陽が射す中で、彼の表情がはっきりとみて取れた。


「ユリ。君は気にしていないと言ったが、ボクにとってあのキスには大きな意味があった」
「え…」
「ボクにからかわれていると思ってたんだろう?正直最初はそうだったさ。でも今は違う」


今、目の前にあるエドさんの表情がまるで現実的でないような錯覚を覚える。
だって彼は傷つき、苦しんでいるように見えるからだ。


「ここ2.3週間程度、君にあまり近付かないよう心がけた。そうしないとボクの心が揺らいでしまいそうだったからだ」
「…エド、さん?」
「普通に接して欲しい?笑わせないでくれ。必死で押し殺しているんだ。君に対する気持ちを」


エドさんの青い双眸が私をしっかりと捕らえる。こんな風に視線を交わすのは久しぶりだ、と思った。


「…いや、すまない。勝手に近づいて、勝手に傷付いたのはボクだ」
「…」
「時間をかけて努力するよ。ユリ、君と普通に接することができるようになるまで」
「…それ、って…」
「ボクにこれ以上言わせないでくれ」


エドさんは顔を背けると、車のドアを開けて運転席に乗り込んだ。そして最後に視線をこちらへ少しだけ向けて言った。


「…君の幸せを願うよ」


バタン、と音を立てて車のドアが閉められ、そのまま走り去って行ってしまった。
私はそこに立ち尽くしたまま、今交わした会話を頭の中で整理した。



「…そんな。エドさんが私の事を…?」


ただからかわれていただけだと思っていた。
こんな平凡で地味な女は、この会社じゃ逆に珍しいタイプなのだろうから、反応を見て楽しんでいるのだとばかり思っていた。

それくらいエドさんは、私の手に届かないくらい素敵な男性なのだから。
ーでもそれが、間違っていたとしたのなら。



「私…」


静かに、涙が両頬を伝って地面に落ちていく。
とめどなく、とめどなく。

「あの日の事なんてもう気にしていない」なんて。「普通に接して欲しい」なんて。


「私、なんて酷い事、言っちゃったんだろ…」


熱い涙が次々溢れて止まらない。
どれだけエドさんの気持ちを傷付けてしまったのかと思うだけで、胸が抉られるような想いだった。





日が陰ってきた頃、ようやく涙が出尽くしたらしい。そのまま駐車場に立ち尽くしているわけにもいかずに、私は歩き出した。

泣きすぎて頭が痛い。
両目がパンパンに腫れているのがわかる。半ば足を引きずるようにして歩いていた時、突然声をかけられた。


「ユリちゃん?!」
「…由季さん…」


声がした方を振り返ると、由季さんが驚いた表情を浮かべてこちらを見ていた。


「その顔はどうしたの?目、真っ赤だよ…」
「…これ、は…」


話そうとした途端、先程のエドさんの顔が浮かんできて目頭が熱くなり、言葉に詰まってしまう。
由季さんはそんな私を見て、話せない事を察してくれたのか、そっと私の身体を抱きしめてくれた。


「ごめんね、理由は分からないけど…。きっと何か、辛い事があったんだよね」
「…っ」
「このあと明日香と待ち合わせしてるの。私達で良ければ話聞くよ。もちろん嫌なら断ってくれてもいいから。…でもそんなに辛そうな顔してたら、ほっとけないかな」


そして、まるであやすようにそっと頭を撫でてくれた。私は由季さんの優しさに、再び涙腺が緩むのを止めることができなかった。



由季さんに連れられて居酒屋で明日香さんと合流し、私はエドさんとの一件を全て話した。2人はとても驚いたようだったけれど、親身になって話を聞いてくれた上、自分を責めないよう
に、と繰り返し何度も言ってくれた。


そしてその日とても久しぶりに、私はあまり得意でないお酒をたくさん飲んで、また涙が枯れるまで、泣いた。


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