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いつものように業務が終わって、荷物を鞄に詰めていた頃。
いつもは「お疲れ様〜」とのほほんと声をかけてくれるはずの由季さんの声が聞こえてこなくて、私は不意に顔を上げた。
荷物をまとめるより先に、由季さんは小走りでヨハンさんのデスクの元へと向かっているのが見えた。こっそりとなにかを耳打ちした後、ヨハンさんが小さく頷いているのが見える。
その後すぐに由季さんが戻ってくるのが見えたので、私は慌てて視線を逸らした。
「それじゃ、明日香、ユリちゃん。お疲れ様ー、お先ね」
「お疲れ様、由季」
「お疲れ様です、由季さん」
一体なにを耳打ちしていたんだろう、と由季さんの背中を見送りながら思う。
するとヨハンさんがやってきて、私に「ユリ」と声を掛けた。
「ゴメン、用事ができちゃってさ。少しだけ待っててくれるか?」
「はい。…じゃ、適当なところで待ってるので終わったら連絡ください」
「ああ。ありがとう」
そう言ってにこっと微笑むと、「じゃ後で」と言い残してその場を去っていった。
「(用事…由季さんのことなんだろうな)」
先ほどの光景を頭に思い浮かべながら帰る支度をする。どこで待とう。休憩室でいいだろうか。
考えた結果、会社の外にあるベンチで待つことにした。
少し風に当たりたい気分だったし、休憩室に行くと、先日の亮との再会を思い出してしまいそうだったからだ。
「…ふぅ」
適当に自販機で紅茶を買って、それを片手にベンチに腰掛ける。
今頃由季さんとなにを話しているんだろう。それに、ヨハンさんが今朝言っていた話したい事って、一体なんなんだろう。
なんとなくだけれど、この2つはどこか繋がっているような気がする。ただの感だけれど。
「お、ユリ!」
「十代さん」
思案にふけっていると、ふと声を掛けられて顔を上げた。そこには帰る途中であろう十代さんがいた。
「お疲れ。こんなとこで何してんだ?」
「あ、えっと…ヨハンさんを待ってます」
「ヨハンを?…ふーん、そっか」
隣いいか?と聞かれて私は頷く。
十代さんの笑顔は相変わらず太陽のようだ、と思った。
「早いな。ユリが来てからもう半年近くかぁ」
「えっ、そんなになります?!」
「だって、春に入って来ただろ。んで今9月の始めくらいだから…」
「…半年近くになりますね。嘘みたいに早いなあ」
時間が経つのは本当に早い。
転職初日に寝坊をかまして、あの桜並木を全力疾走したことがついこの前のことのように思える。
「…そういえばさ」
「はい」
「転勤、3年だっけ。寂しくなるよな。アイツがいなくなると思うと」
「…?」
「急だよなぁ。海外なんて遠いトコ行っちまうなんてさ」
「…十代さん、それって…」
じわりと嫌な感覚が胸に滲むのがわかる。
その話ぶりから誰のことを言っているのかすぐに気付いたけれど、確かめずにはいられなかった。
「…ヨハンさんの事、ですか?」
「ああ、そうだけど。…って、まだ聞いてなかったのか?」
呼吸が一瞬止まり、ガツンと何かで頭を殴られたような衝撃が走る。海外に転勤。3年。今しがた耳にした単語がぐるぐると頭の中を渦巻く。
「ユリ?大丈夫か?」
「…は、はい。すみません、少し驚いちゃって」
「オレこそゴメンな。てっきりもう知ってると思って…」
「いいえ、大丈夫です」
精一杯、口元に笑みを浮かべて見せると、十代さんは少しだけ安心してくれたようだった。
「ヨハン待ってるんだったよな?なら後でちゃんと聞くといいよ。んじゃそろそろ帰るな」
「はい。お疲れ様でした」
「お疲れ、またな」
去っていく十代さんを見送りながらも、私の頭の中は今の話でいっぱいだった。
察するに、他のみんなはもう知っているような口ぶりだった。どうしてそんな大事なことを、私にまだ話してくれていないんだろう。
…早く、ちゃんとヨハンさんの口から聞きたい。
不意に、会社の建物からカツカツと少し早いリズムのヒール音が聞こえてきて、私はそちらを見た。
その音の持ち主は小走りで私の近くを去っていった。
「…由季さん」
その横顔は涙で濡れていた。
初めて見た由季さんの泣き顔。いつも笑顔で周りを和やかな雰囲気にしてくれるあの表情からは、想像もつかないような。
一体何があったのだろう、と思ったとき、鞄の中の携帯が着信音を立てた。予想通りヨハンさんの名前があって、私は少しためらってから通話ボタンを押した。
「…はい」
『ユリ?待たせてゴメンな。今どこにいる?』
「えっと、会社の外の…」
ベンチに座っています。
そう言おうとしたけれど、告げることができなかった。
突然どこからか伸びて来た手が私から携帯を奪い取ってしまったから。
「…亮…!どうしてここに」
「決まってるだろう。ユリに会いに来たんだ」
「ちょっと、返して…っ」
奪われた携帯を取り返そうと手を伸ばすけれど、背の高い亮には敵わない。その合間にも、通話口からはヨハンさんの声が聞こえてくる。
『ユリ?どうしー』
プツ、と小さな音が響く。
あろうことか、亮は終話ボタンを押したのだ。
「亮っ!何してるの?!」
「…お前にそんな顔をさせる男になど会う必要はない」
「…!」
「…オレのところへ来い、ユリ」
そして強く強く抱き締められる。
「泣くな」と耳元で囁かれてはじめて、私は涙を流していることに気がついた。
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