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夏休みの終わり頃、クロノス部長から電話があった。
それは突然の話。
なんでも以前行った取引先の上の人がオレをいたく気に入ったらしく、事業の海外への進出に向けてオレをプロジェクトに同行させたいという。
期間は3年。
もちろん断ることも可能だけれど、社員としての成長とキャリアとしての確かな実績が積める。それに何よりオレにかけられた期待が大きいとの事だった。
言葉にはしなかったが、要するに「行って欲しい」という事。口調からそれがよく伝わってきた。
転勤の2文字を耳にして、まず頭に浮かんだのはユリの顔だった。
オレがいなくなると告げたら、彼女は悲しむだろう。そしてもちろんオレだって、3年という長い歳月を彼女と会えないなんて辛かった。
ーけど。
1人の女性を大切に想う男として、人間としても社会的にも成長しておくのは大切なことだと思った。
ユリを支えてやりたい。
守ってやりたい。
オレが大好きなあの笑顔を、そばでずっと見ていたい。1人の立派な男性として。
『ー行きます』
オレはクロノス部長にそう返事をした。
離れる事にはなってしまうけど、それがユリの幸せに繋がるなら、と思った。
電話を切ってからすぐ、無性にユリに会いたくなった。
転勤の事実を真っ先に告げておきたいと思ったし、何よりそれまでなるべく彼女と一緒に過ごしたいと思った。
そもそも夏祭りの日以来会っていない。
あの日以来何度も連絡を取ろうとしたけど、オレの気持ちばかり大きくて迷惑がかかるのは嫌でためらっていた。
ユリの番号を画面に表示させて、通話ボタンを押す。夕方の微妙な時間だから出ないかと思ったけど、数コールでユリの『はい』という声が聞こえた。
「なぁ、今日、これから空いてるか?」
『今日…ですか?』
特に予定はないという。
ゆっくり夕食を食べながら話をしたいと思った。そして転勤の話をしようと思った。
だから驚いた。
駅で落ち合って、ユリが「家に行きたい」とオレに告げたから。
以前、彼女が酔った時に面倒を見たから、その礼がしたいと言ってくれたけれど、その瞳の奥に別の意味も含まれてるのがよく分かった。
ユリがオレの家に来た瞬間、堪えていたものが一気に溢れ出した。
彼女が好きで仕方がなかった。
他の誰にも渡したくなかった。
ユリの気持ちを実感したかった。
もちろん気付いているだろうけど、オレはユリの口から「好き」という言葉を聞いたことが一度もない。
以前一緒に宝玉獣のカフェに行った帰りに彼女の気持ちはオレと同じだと感じとる事ができた。
だからその夜、彼女の口から「好き」という言葉を聞ける事を少し期待したけれど、彼女はずっと何かをためらい、迷っている様子だった。
そしてそれが何なのか分かったのは、その日の夜だった。
行為を終えて隣で眠る彼女の寝顔。
愛おしさを込めてその柔らかい髪を撫でていた時だった。
「…おねがい…」
「…?」
「置いて…いかないで…」
そして流れた一筋の涙。
オレはそこで理解した。
ユリは今、歓迎会の席で話していた、過去に1人だけ付き合った男の夢を見ているんだと。
あの時話していた切なげな表情と、今目の前に浮かべている表情はよく似ている。
どんな風に付き合っていたのか、どんな経緯で別れる事になったのか、なんてオレは知る由もないけど、ユリは今も傷を抱えている。
「…ユリ…」
起こさないよう、指先で涙をそっと拭う。
こんな彼女の姿を目の当たりにして、転勤の話なんてできるわけがなかった。
それでも必ず告げなければならないことは分かっている。
ーけど今はまだ。
「…ゴメンな、ユリ」
そっとその額に唇を寄せる。
どうせ傷つけてしまうのなら、打ち明けるのはもう少し先にしよう。
悲しむ時間は、少ない方がきっといい。
そうやって自分を納得させて、オレは眠るためにゆっくりと目を閉じた。
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