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ターミナルの自動ドアをくぐり、港内へ入る。
国際線だけあって建物は広く、人が多い。とてもじゃないけどこの中からヨハンさんを見つけるのは不可能だと思った。


慌ててカバンから携帯を取り出し、ヨハンさんに電話をかける。それを耳に当てたまま当たりをきょろきょろと見回し、奥へと歩いていく。


「(お願い、電話に出て)」


願いも虚しく、『こちらの電話は、電波のとどかないところにあるか、電源が入っておりません』のアナウンスが響くばかり。時計を見れば、時刻は12時をとっくに過ぎている。


由季さんは、ヨハンさんがお昼頃の便で行くと言っていた。そうなのであればもう、彼は飛行機に乗っている可能性は高い。


けど、諦めたくなかった。
私はまだ大事なことを伝えていない。

面と向かって、溢れる気持ちを言うって、やっとそう決心したのに。


「ヨハンさん…っ」


必死に走り回り、辺りに視線を巡らす。
お土産屋さん、喫茶店、エスカレーター、設置された椅子。
そのどれもに人が溢れかえっているのに、私の大好きなあの人の姿は見当たらない。


人波が溢れる中、そのざわめきに同調していくように、私の鼓動がどんどん早まっていく。不安で胸が締め付けられて、うまく呼吸ができなくなっていく。


「ヨハンさん…っ!」


口に出すつもりはなかったのに、自然と口から出ていた彼の名前。その声は自分でも驚くほどに大きく、辺り一帯にいた人々が何だろうと私に視線を集めたほどだった。








「…ユリ?」


ざわめきの中、その声はするりと私の耳に届いた。むしろその声の他には何も聞こえなくなったと一瞬錯覚するほどに。

周りの動きも、空気も、時も、全てが止まったかのように思えた。そして静寂の中で私は、探していた人を見つけた。


「…ヨハンさん…っ!」
「っ…ユリ」


何かを考えるよりも早く、私は彼の身体に縋り付いていた。膝から力が抜けて今にも崩れ落ちてしまいそうだ。

ヨハンさんはそんな私を支えるように抱きとめて、そして愛おしげに私の名前を呼んでくれた。


「来てくれたんだな、ユリ」
「…っ、会いたかっ…ヨハンさん、ヨハンさん…、ごめんなさ…っ」
「謝らなくていいよ。オレも…会いたかった」


ずっと感じたかった温もりにようやく触れられて、大好きなヨハンさんの声をすぐ近くで聞けたことが嬉しくて仕方がなくて。

会っていなかったのはたったの1週間足らずのはずなのに、もう何年も会っていなかったような気持ちだ。


「足、ケガしてる。…とりあえずどこかに座ろう」
「…はい。あ、でも時間は…」


ヨハンさんは私の腰を支えるようにして歩き出したけれど、飛行機の時間は大丈夫なのだろうか。そう思って彼の顔を見上げると、ヨハンさんは「あと少しだけ、大丈夫だ」と言って微笑んだ。




なるべく人気の少ない待合場所を探して、私たちはそこに並んで座った。
手持ちの絆創膏を貼ろうとカバンから取り出すと、「オレが貼るよ」と言ってヨハンさんがそっと膝にそれを貼ってくれた。


「…ありがとうございます。あの…連絡、何度もくれたのに…出れなくて…」
「いいんだ。オレもごめん。ホントは何度もユリに言おうとしてたんだ、転勤のこと」
「そうだったんですか」
「うん。…でもユリを傷付けると思ったらなかなか言い出せなくてさ。結局こんな事になっちまった」


申し訳なさそうに眉根を寄せる。
膝の上で組んでいた手を解くと、ヨハンさんは私の手を取り指をそっと絡めた。


「オレは…置いていかないよ、ユリの事。絶対に戻ってくる。だから…信じて欲しい」
「…ヨハンさん…」
「3年間、寂しい思いさせちまうと思うけど、オレはどこにいてもユリの事だけ想ってる。誓うよ」


そして手の甲にキスを落としてくれた。伏せられた目に長い睫毛が影を落とす。
その優雅で美しい動作に「なんだか結婚式みたいだ」と心臓が大きく波打つ。


「毎日電話しよう。オレは毎日ユリの声が聞きたい。写真も送り合おう。…自分の写真撮るのはちょっと恥ずかしいけどな」
「はい!私も…ヨハンさんの声が聞きたいし、写真も欲しいです」
「うん。…それでさ、オレが日本に帰ってきたら、一緒に住まないか?」
「えっ?」
「そしたら毎日一緒にいられると思ったんだけど…あ、迷惑だったか?」
「そんな事…」


ぽろぽろ、涙がまた溢れ出す。
ヨハンさんの気持ちが嬉しくて。

それを見た彼が少し慌てた様子で自分の鞄からハンカチを取り出そうとしてくれたけど、「嬉し涙だから大丈夫です」と私はやんわりその手を止めた。


「ありがとうございます…嬉しいです」
「…良かった」


ヨハンさんはふわりと笑うと、指先で私の涙を拭ってくれた。


『12時45分発、○○行き便です。ご搭乗のお客様はー』
「…そろそろ行かなきゃ」
「もう…ですか」
「ああ」
「っ…待ってください」


立ち上がろうとしたヨハンさんの服の裾を掴む。こちらを見た彼の目を、私は真っ直ぐに見つめた。



ーまだ、伝えていない事がある。
ずっと言えなかった言葉。

…今なら言える。
貴方になら、言える。



「私…、ヨハンさんの事が…好き、ですっ」
「…!」
「笑顔も…私の名前呼んでくれる声も…っ、ぎゅってしてくれるとこも…あったかいとこも…。ぜんぶ、ぜんぶ…!大好き、…っ」


しゃくりあげて、不格好でも。
涙でくしゃくしゃな顔でも。
賢明に伝えた言葉は確かにヨハンさんに届いてくれたようだった。

もう堪えきれない、という表情を浮かべたヨハンさんに、私は強い力で抱き締められた。


「…余計離れたくなくなると思って、我慢してたんだけどさ。やっぱりユリには敵わないや」


参った、と困ったように笑うと、ヨハンさんは私の唇にキスを落とした。とてもとても優しいキス。それは数秒だったけれど、もっと長い時間のようにも感じられた。


「…やっと言ってくれた。ずっと聞きたかったんだ、ユリの口から」
「…っ、はい…」
「ありがとう。オレも…好きだよ。ユリが、大好きだ」


離れる間際に頬と額にちゅ、と音を立ててキスをくれると、ヨハンさんはゆっくりと立ち上がった。私もそれに倣って立ち上がる。


搭乗口までのわずかな距離。
一歩一歩重ねるごとに、寂しいという気持ちが抑えらなくなっていく。

けど彼は言ってくれた。
必ず戻ってくると。


「…それじゃ、また。すぐ連絡するよ」
「…はい」


いよいよ離れる時だ。
涙は相変わらず止まらない。最後くらい、泣き顔じゃなくて、笑顔で見送りたいのに。

近い距離で僅かの間見つめ合う。そして小さく頷くと、ヨハンさんは歩き出した。


ー行ってしまう。
段々と小さくなっていくその背中に向かって、私は叫んだ。


「私…待ってます。何年でも!例え何十年でも。ヨハンさんの事なら…信じてずっと待ってます!」


だから、貴方も私を信じていて欲しい。
ヨハンさんは振り返ると、笑顔で私に手を振った。


「ああ!行ってくる!」


その言葉を最後に、彼の姿はとうとう見えなくなってしまったけれど、私はそのあともしばらくそこに立ち尽くしていた。


私の大好きな笑顔だった。
心にじんわりと温かいものが広がっていって、私は自然と笑顔になっていることに気がついた。思えば彼といる時間はいつもこうだった、と思う。



「…行ってらっしゃい、ヨハンさん」



ー君とまためぐり会える春まで。
遠く離れた貴方を想いながら、私はここで毎日を過ごしていこう。


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