雷雨と貴方


「あちゃー。降ってきたな」


少し高い位置から霊幻さんの声。
相談所からの帰り道、遅くなってしまったからという理由で彼は私を家まで送ると申し出てくれたのだ。

鼻の頭に雨水が当たり、空を見上げると大粒の雨が降り注いでいる。たしかに予報では夜は雨が降ると言っていたけれど、こんなに急にくるとは思っていなかった。


「ユリちゃん、傘は持ってないよな?」
「今日に限って忘れてきてしまいました…」


忘れないようにと玄関の靴箱の上に置いておいた、ピンクのストライプの折り畳み傘を頭の中で思い浮かべてそう返事をかえす。


「俺も持ってない。どーすっかな…」


コンビニへ寄ろうにも、この辺りだと引き返して10分くらいの場所にしかないのを私も彼も知っている。

霊幻さんは「んー」と顎に手を当てて空を見つめたあと、横目で私を見下ろした。そしておもむろにグレーの背広を脱ぐと、それを頭から覆うように私に被せてくれた。


「悪いな。こんなんしかないけど、我慢してくれ」
「でもこれじゃ霊幻さんが…!」
「いーの。子供は大人しく大人の言うこと聞いときなさい」


そんじゃ行くぞ、と霊幻さんは歩き出した。
私は慌ててその後について歩く。

被っているスーツから霊幻さんの香りがして、胸がぎゅっと締め付けられる思いがする。それに体温がまだ残っていて、なんて愛おしいんだろうと思う。




雨はやがて本降りになってきた。
どしゃ降りといっても過言ではない。


「こりゃダメだな。ユリちゃん、俺ん家に傘があるから一旦寄ってくぞ」
「…はい!」


霊幻さんはそう言うと、私を気遣いながらも小走りで家へと向かった。





たどり着いたのはアパートで、その二階へと続く階段を霊幻さんは登っていく。一番奥らしくドアの前へ立つと、彼はポケットから鍵を取り出した。


「狭いけど、とりあえず入って」
「…お邪魔します」


促されて、玄関へと足を踏み入れた。
霊幻さんがスーツを貸してくれたとはいえ私の身体は全身雨で濡れていて、霊幻さんは言うまでもなくその比ではない。


「タオル取ってくるな」
「えっ…ありがとうございます…」


傘だけ借りて帰ろうと思っていたのに、タオルを貸してくれるという。洗面台に消えていく背中を見送り、私は濡れたスーツをそっと抱きしめた。

霊幻さんは優しい。いつだって。
そんな彼に心を惹かれ始めたのは、出会ってからそう時間が経たないうちだったと思う。


ほどなくして戻ってきた彼は、自身の首からタオルを下げ、ひと回り大きいバスタオルを私にふわりと被せてくれた。


「あーあ、すげえ濡れてんな。…大丈夫か?ユリちゃん」


そう言いながら少し腰を屈めて、わしゃわしゃと私の髪の毛を拭いてくれた。整った顔がすぐ近くにあって、正直ドキドキが止まらない。


「ん…ありがとうございます、霊幻さん」
「いや、なんかゴメンな。遅くまで手伝ってもらったからこんなことに…」


そこではっと気づいたように、霊幻さんは私の制服のブラウスに視線をやった。そしてみるみるうちに赤くなっていく顔を抑えている。


「霊幻さん…?」
「い、いや、その…」


私も視線を落として、霊幻さんの反応に合点がいった。白い制服のブラウスは雨に濡れて、その下の下着がうっすらと透けてしまっている。
あまりの恥ずかしさに顔から火が出そうだ。



「わっ、悪い!意図したわけじゃなくてだな」
「(ひー!)いえ、大丈夫です…!」
「あー、セクハラになんねえかなこれ。大丈夫?」


ぶんぶんと顔を横に振る。
もちろん見られてとても恥ずかしいけれど、相手が霊幻さんなら嫌じゃない。


「…風邪ひかねえうちに帰らないとな。えーっと傘は…」


その時、外でゴロゴロと鈍く低い音が鳴り、私と霊幻さんはぴしりとその場で固まった。そしてすぐに轟音が鳴り響き、ビリビリと振動が辺りに伝わっていく。


「!」
「雷まで鳴ってきやがった…」
「びっくり、したぁ…」


思わず霊幻さんのワイシャツをきゅっと握る。
彼は突然の雷に参ったようだったけれど、冷静に判断をしたようだ。


「ユリちゃんさえよければ、雷と雨が落ち着くまで上がってくか?」
「え…?」
「あ、変に警戒しないでくれよ。俺だってまだ犯罪者にはなりたくないからな」
「?えっと…じゃあ、すみませんがお邪魔させていただきます」


おずおずと頭を下げると、「ん」と霊幻さんは小さく微笑んで私の頭を撫でてくれた。本人はその一挙一動が私の心をどれだけ掻き乱すかなんて気づいていないのだろう。


靴を脱いで上がらせてもらう。
玄関越しに、ざあざあと降る雨音と時折うなる雷の音が混ざり合って室内に響いていた。

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