誘惑バスタイムB



意識が次第に浮上していくのを感じる。
重い目蓋をあげて最初に視界に映ったのは白い天井だった。


「(…あれ、わたし…)」
「起きたね、ユリ」


すぐ近くで槙島さんの声。
頭を傾けてそちらを見ると、近くのソファに腰掛けている彼と目が合った。

パタンと本を閉じる音。
槙島さんがベッドに腰掛けて、スプリングがギシリと軋んだ。


「私…どうしてここに…」
「のぼせて倒れたんだよ。気分はどうかな」


そう言われてみると、お風呂の中で顔が火照り、急に頭がくらくらしたことを思い出した。

けれど今は割と回復したようだ。
額の上に置かれているタオルがひんやりとして気持ちいい。


「だいぶいいみたいです」
「そう。良かった」


槙島さんはサイドテーブルに置いてあったガラス瓶を傾け、コップにそれを注いでくれた。


「飲める?」
「はい。…ありがとうございます」


身体を起こそうと腕に力を入れると、槙島さんがすかさず私の背中に腕を回してそれを手伝ってくれた。

手渡されたコップの水をこくりと飲む。
横目で彼を見ると、心配するような、慈しむような目でじっと私を見ている。


初めて見る彼の表情。
そんな、慈愛に満ちた眼差しを向けられると、胸が締め付けられるような想いがする。



「悪かったね、ユリ」
「え?」
「僕のせいだろう?君がそんなになってしまったのは」
「え…と」


事実違わないのだけれど、「そうです」と頷くこともできない。返答に窮していると、槙島さんは眉根を下げた。


「君を前にすると、どうも余裕がなくなってしまってね」
「え?槙島さんが…?」
「ああ。僕がこんなに誰かに執着するなんて、思ってもいなかった」
「…っ」


しゅうちゃく。
心の中でその言葉を反芻する。

槙島さんが自分にそんな感情を抱いてくれているだなんて知らなかった。だってそれは、私が一方的に彼に抱いているものだと思っていたから。


「今後は気をつけるよう努力するよ。なるべく冷静になれるよう」
「…努力、しないでください」
「ん?」
「私、嬉しいんです。ずっと…私の方が槙島さんに夢中だって思ってたから。だから、私を見てくれることに…求めてくれることに…気なんて使わないで…」


最後の方はほとんど掠れた声になってしまった。
だって、私は。
槙島聖護という人間に誰よりも夢中で、今のこの居場所を他の誰かに取られたくなくて。そして彼という存在に限りなく近い存在でありたい、と強く思っているのだから。



「…ありがとう、ユリ」


おそるおそる彼の顔を伺うと、美しい笑顔がそこにあった。彼は指先で私の頬を優しく撫でてると、額の髪を軽く掻き分け、そこにキスを落としてくれた。


「気分が良くなったらリビングにおいで。そこで君を思い切り抱きしめて…キスがしたい」
「…っ、はい…」
「ここじゃ、持つ理性も持たないからね」


槙島さんは私の頭を撫でると、サイドテーブルに置いていた本を手に取り、静かに部屋を出ていった。


それを見送り、高鳴る心臓に手を当てる。
ぼすりと音を立てて枕に頭を沈めると、早く全快するようにと願って目を閉じた。


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