ルージュは語らない



「…ん?」

「宜野座さん、どうしたんですか?」



俺が発した疑問符に、ユリがくるりと振り返る。刑事課の大部屋で、彼女が資料整理の作業をしている最中に何気なく見た彼女の首筋。

振り向いた拍子に隠れてしまったが、淡い水色のブラウスの襟元のすぐ下。そこに何か、ちらりと一瞬見えた気がするのだ。



「…ああ、いや、なんでもない」

「?そうですか」



小首を傾げた彼女は、「何だったんだろう」という表情をしつつもモニターに向き直った。

カチャカチャとキーボードを打つ音と、室内に設置されている大きなファンが回る音が再び静かに響き出す。


俺もモニターに向き直って報告書の見直しを再度進めたが、どうにも先ほど目をかすめた光景が頭の中に引っかかる。


…首筋に見えたもの。
あれは何か、赤い跡のようだったがー。



「…ユリ」

「はい?」



やはり気になって椅子から立ち上がり、彼女の隣へ立つ。見上げてきた彼女に近付くようにして身体を屈めて、ブラウスの襟の先を指先で摘んで、少しだけ下へ引っ張った。

突然の行動に、ユリは驚いて目を見開いている。



「っ?!宜野座さん?」

「………これは?」



今度はその「何か」がはっきりと姿を現した。彼女の首筋には、キスマークの跡のようなものがくっきりと残っている。

けれどそれは、明らかに口紅を纏った唇の跡だった。



「これって…?え?どれですか?」

「鏡を見てみろ。君の首筋に、赤いモノがついている」

「赤いモノ…?」



ユリは荷物からポーチを取り出して、その中に入っていた小さな鏡で自身の首筋を映した。



「ん、どこですか………。あっ、ここか!」

「気付いたか。で?それはなんなんだ?」

「うーん、多分ですけど…。さっき志恩さんに用事があって会いに行った時、ふざけて抱き付かれたんです。その時ついちゃったのかも」

「……なるほど」



言われてみればそうだ。
こんなに赤々しい口紅を塗っているのは、社内でも唐之杜くらいだろう。



「ブラウスについちゃったら落ちなさそうだし…。手で拭っておけば大丈夫ですかね」



鏡を見ながら、指先で丁寧に口紅の跡をなぞっていく。

赤が拭い去られた首筋を見て、俺は内心ほっとした。彼女が誰かに取られたような気がして内心焦っていたのかもしれない。


バカバカしい。子供かオレは。
…けど。



「っ、宜野座さん…?」



口紅がついていた箇所をそっとなぞる。びくりと身体を反応させた彼女はとても愛らしい、と思った。



「…あまり油断をするのは関心しない。君のここに跡をつけていいのは、俺だけのはずだ」

「………」

「上書きをしてやろうとも思ったが、生憎今は仕事中だからな」



ユリから離れ、俺は再び座席に戻る。
こちらを見ている彼女の視線をしっかりと捉えながら、俺は言った。



「明日は非番だな。ちょうどいい、今日は泊まりに来てくれ」

「宜野座さん…、えっと、もしかして…」

「ああ、お察しの通りさ。…嫉妬してる」



自重気味に笑って見せると、ユリはほんのりと頬を赤く染めた。そしてこくりと小さく頷く。



「…分かりました。…お邪魔、させていただきますね」

「ああ」



僅かに笑みを浮かべて返すと、ユリは少し緊張した面持ちのままモニターに向き直った。



…俺にも独占欲なんてものがあったのか。
おそらく彼女に対してのみ、だろうが。


そう一人ごちながら再びキーボードを叩き始め、止めていた仕事を再開させた。



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