奪われた唇
執行官隔離区画にある宿舎の自室。
狡噛は日頃から欠かさず行なっているトレーニングをこなしていた。
身体を捻り、サンドバッグを蹴り上げる。
鈍い音と同時に、サンドバッグを吊るしている鎖がガシャリと大きな音を立てた。
その時、シュッと音を立ててスライドした入り口のドアが開く。
体勢を立て直してそちらに視線をやると、ユリが立っていた。
「どうした、監視官」
「………別に、なんでもないです」
ユリはそう言うと室内に足を踏み入れ、ソファに座り込んだ。狡噛はそれを見て苦笑する。彼女の表情は、見るからになんでもない≠ニいう顔ではない。
「フー…」
近くに置いたタオルを手に取り、軽く汗を拭く。上半身は裸のままだが、暑さのせいでまだ何かを纏う気にはなれなかった。
「話があるなら聞いてやるぞ」
「………」
「なんだ、恋人にフラれたか」
「なっ!!」
「おっと…ビンゴか」
何気なく口にした事が、まさかの当たりだったようだ。ユリは狡噛を見て口を開けている。どうしてわかったんだ、とでもいうように。
「ま、最近多かったからな。ソイツの愚痴だの不満だの」
「…はけ口にしてすいませんでした」
「別にいいさ。…それで、俺に慰めてもらいに来たってトコか?」
「………はい。間違ってません」
何から何まで言い当てられ、少し口を尖らせているユリの隣に座る。その横顔を見ると、うっすらと目が赤く腫れていた。
あれだけ恋人に対する不平不満を述べていたというのに、いざ別れを告げられるとそれなりに傷心したという事だろう。
ユリは黙って狡噛の肩に頭を預けた。
何かあるとこうして狡噛に話をしに来たり、頼ったりするのが彼女の常だ。
いつもならこの体勢のままそっとしておいてやるのだが、今日は違う。狡噛はユリの肩に手を回し、その顎を強引に掬い上げた。
「っ、…狡噛さん?」
「願ってもないチャンスだ。ずっと我慢してたんでな」
「んっ…!」
思い切り唇を重ねる。
狡噛が何度もこの唇の柔らかさを想像したという事実は、もちろん彼女には知る由もなかった。
「っはぁ…、ん」
何度も食むようにして口付けを繰り返せば、湿った音と共に彼女の口から吐息が溢れる。
初めて味わったその唇に、背筋がぞくぞくと粟立つ。想像していたよりも遥かに蠱惑的で、甘美な味がした。
思う存分堪能すると、狡噛はユリの身体を強く抱きしめた。離れようと小さくもがいている姿が、いじらしくて可愛らしい。
「…ゃ、いきなり何するんですか…っ」
「いい機会だ。このまま俺と恋仲ってヤツになってみないか」
「!…そんなの…」
「無理だって?ま、確かに監視官と執行官の恋愛は不毛。そう決まっているらしいが、知ったこっちゃない」
「ぁ…っ」
抱き締めたまま、ユリの首筋にちゅうっと強く吸い付く。自身の所有物だという証を残しておきたかった。
「ユリ。俺は前からあんたを見てた」
「え…」
「黙ってまた他の野郎に渡すなんざ、二度とゴメンだ」
抱き締めている腕を少しだけ緩める。
首筋にくっきりと咲いた赤い花を、狡噛は満足げな表情で見つめた。
「返事は聞かない。例えノーだとしても、大人しく拒まれる気はさらさらないんでね」
彼女の顔を覗き込み、妖しげに笑う。
ユリの潤んだ瞳は、狡噛の興奮を煽る材料にしかならない。
「覚悟するんだな。俺はあんたを奪う」
獲物を捉えた獣のような目でユリを見つめると、狡噛は再び彼女の唇に吸い付いた。
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