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「すぐに戻る」と聖護さんはそう言ったけれど、なんだか胸騒ぎがして落ち着かない。
ここを出る間際に見せたあの表情。
容赦なく振り下ろされる、冷たい氷の切っ先を連想した。
それによって切り裂かれ、そこから流れ出る血すらも、冷たいその色に染まっていくのだろうか。
外を見ると、季節が冬ということもあり辺りはすっかり真っ暗になっていた。部屋に掛かっている時計を確認すると、21時を過ぎた頃だ。
私と彼が住んでいる場所はここからそう遠くない。往復でも一時間はかからないはずだ。
ーもしかして、何か良くない事が起こったのかもしれない。
そんな焦燥がじわじわと喉元からせりあがってくる。いてもたってもいられなくなり、椅子から立ち上がって部屋のドアに向かおうとした時だった。
ガチャリ、と鍵が開かれる音。
聖護さんが帰ってきたのだ。
「ただいま、ユリ」
「遅かったですね。何か…」
あったんですか、と尋ねようとしたが、続きを紡ぐことができなかった。
なぜなら彼が羽織っているそのコートの下のパーカーには、今までに見た事がないような大量の血液がべっとりとついていたからだ。
「…ッ、それ、なに……」
「これかい?君の恋人の血だよ」
「?!」
「今は亡き、ね」
驚きと恐怖で足がすくむ。
その場に崩れ落ちそうになった私の身体を、すんでのところで聖護さんが抱き留めた。
「…喜んでくれないのかい?ユリ。君を苦しめた人間を消してきたのに」
「まさか…殺して……?」
「ああ。僕が彼の元へ向かった説明をしようと思ったんだけど、その前に包丁を向けられてね。致し方がなかったんだ」
ちっとも悪びれのない笑顔で彼は言う。
こんな残忍な言葉を吐いている時ですら、その表情は背筋が粟立つほどに美しい。
「君を返せとがなり立てていたよ。その態度がいやに目についてね。少しばかり痛めつけていたらこんな時間になってしまった」
「…っ」
「君が負った傷の痛みを、彼も思い知ることができたんじゃないかな」
聖護さんの手が、私の頭を優しく撫でる。
まるで幼子をあやすかのように。
「そうだ、これを。君が望んでいたものだ」
コートの内ポケットから取り出された、木の写真立て。そこに収まっている写真に写る、私と両親。まだ彼と付き合う前に撮った一枚だった。
それを私に手渡すと、聖護さんはにこりと微笑んで見せた。そして「ユリ」と耳元で囁く。
「君が欲しい。…今すぐに」
顔を上げると、美しい瞳が私を捕らえる。
後悔だって、恐怖だって未練だって、もう自分にはないと思っていたはずなのに。
私はとんでもない人間に導かれてしまったんだとやっと自覚した。
けれど私の命の手綱を握っているのは、この槙島聖護という人間だ。それはもう揺るぎない事実だった。
そしてー、無力な私にはもう、変えることのない事実でもあった。
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