34 愛おしい


夜ご飯を終えて部屋に戻る。
食堂にヨハン君の姿がなかったところを見ると、きっとまたレッド寮で十代たちと一緒に食べたのかもしれない。


今日の夜、と言われただけで、何時に行くと正確な時間を言われたわけではなかったのが少し困ってしまった。

けどそのまま考えていても仕方がないので、私はお風呂に入ることにした。さっと入ってしまえば大丈夫だろう。



お風呂からあがって髪を乾かして、部屋のソファに座って一息ついた時だった。

コン、と軽い音がしたのが聞こえた。もしかしてヨハン君が来たのかな、と思いながらドアの方に目をやると、もう一度コン、と軽い音がどこからかした。


「…?」


ノックの音にしては軽すぎるし、音がしているのはドアからじゃない。

戸惑いながら部屋を見まわすと、窓越しにヨハン君が手を振っているのが見えて、慌てて窓の鍵を開けた。


「よ。来たぜ」
「来たぜって…まさか木を登って来たの?」
「ああ。これなら誰にも見られないだろ?」


ひょい、と軽い身のこなしでヨハン君は部屋に上がった。心配するなとは言っていたけど、本当に予想外の方法で来たなと思った。


「でもせっかく平和に留学を終えようとしてたのに、こんな事して良かったの?」
「大丈夫だって。そんな事よりユリと過ごす事の方がずっと大事だからさ」
「…!あ、ありがとう…」


そんな風に言われると何も言えなくなってしまう。
それに自分自身だって、残された時間をヨハン君と過ごしたいと思っていたし。


「何か飲む?お茶ならあるけど…」
「いいよ。それより座って話そう」


ヨハン君は私の手を引いた。
そして中央にあるソファに隣り合って腰掛けると、ふと気がついたように言う。


「風呂入ってたのか」
「うん。ヨハン君が来ないうちに入っちゃおうと思って」
「そっか…」
「ヨハン君?」


ふと黙ってしまったので首を傾げながら彼の名前を呼ぶと、そのままゆっくりとした動作でヨハン君の腕が私の身体を緩く包んだ。
突然のことに驚いて身を固くしていると、耳元で声が響く。


「…あの時もさ、本当はこうしたかったんだ」
「あの時…?」
「ほら、教科書に紛れてたカードをオレがユリに返しにここに来た事、あっただろ?」
「あ…あったね」
「本当はこうやって抱き締めたかったんだ。まぁ、さすがに出来なかったけどさ」


そうだったのか、と思う。
確かあの時は頬に手を添えられて驚いたけど、ヨハン君の目の中に熱っぽいものが込められている、と感じたんだっけ。


「…あ、の、ヨハン君」
「ん?」
「その…ドキドキして苦しい…よ」


ヨハン君の体温が、声が、香りが、吐息が。こんなに近くにある。
胸が苦しいくらいに高鳴ってしまうのは、もちろん彼のことが好きだから。


「悪いけど、今は離す気になれないぜ」
「そ、そんな…」
「なんだよ。オレだけが平気な顔してるように見える?」


抱き締められたまま、こくりと小さく頷く。いつも私ばかりが緊張して、ドキドキさせられているように思えたから。


「…そんなわけ、ないだろ」
「え…」
「こんなに好きなんだぜ」


そっと抱き締められていた腕が緩められて、ヨハン君と私の間にわずかに距離ができる。

そしてそのまま上から覗き込まれたその表情を見ると、私は思い違いをしていたんだと言う事に気付かされた。

切なさと、苦しさ、それにー自惚れではない、愛おしさも混ざり合った、熱っぽい表情がそこにあった。
こんな表情はきっと私しか見ることができないんだ、と思った。

私はヨハン君の目を見て、理解したという意味合いを込めて小さくうなずいた。すると彼は少し表情を和らげたあと、再び私を腕の中に閉じ込めた。今度はさっきよりも少し強く。


私もヨハン君の背中に腕を回してそこに手を添えると、それに応えるように、こめかみの辺りに優しく唇が落とされた。

そのあとは耳、頬、首筋と、下がっていき、最後にヨハン君と目が合い、そのまま顔が近づいてきたのに合わせてお互いにゆっくりと目を閉じた。

唇は温かくて、とても愛おしくて。この体温をずっと感じていたいという気持ちにさせられる。


「…ユリ。好きだよ」
「私も…好き。ヨハン君の事が大好き…」


お互いに「寂しい」という言葉は口にしなかった。

暗黙の了解というか、今ここでそれを口にすべきではないと分かっていたから。

私からもせめてと思い、持っている愛おしさを込めてヨハン君の頬にそっと唇を落とした。
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