驚きは必要だが、こんな驚きは予想していなかった
あれから燭台切は目を輝かせ、昨日の倍以上もの朝食を作るべく、足早に厨へと向かった。
朝食の時間になると昨日とは打って変わり、賑やかとなった広間。
そこには部屋の中に篭り、兄の不安定な状態を必死になり守るようにしていた短刀と清らかな神気を取り戻した太刀がいた。
次々と集まってくる粟田口の短刀の面々に大倶利伽羅や他の皆は大層驚いた。
だがそれは最初だけで、次第に嬉しそうな穏やかな表情へと変わった。
三日月はにこにこと。
まるで孫に久し振りに会った時のような嬉しそうな笑みを浮かべながら短刀の頭を一人ずつ優しくなで、そして久し振りに見た”生きている”一期一振の姿を見て目を見開き、一筋の涙を流した。
昔、一期一振の主が豊臣秀吉であった頃、自分は太閤の妻を主として大阪城にて共に過ごしていた。
その時の一期一振と自分は、まだ人の身を得ておらず、刀として振るわれていただけだったが、その時の一期一振は穏やかな表情が印象的だったが、刀剣男士としてこの現世に顕現し、自らの手で本体の刀を操り戦う日々が続いた。
別にそれは、何も違和感は無かった。
自分達は刀…、武器であるし、戦う事に何の疑問も持たなかったが、顕現してからの主が変わり、その主が前任になってから、一期一振は壊れてしまった。
それからと言うもの、こんな穏やかな表情なんて見た事なく、三日月の記憶の中で一番強く残っていたのが、共に大阪城に居た時だった。
その時の、あの表情をまた見る事が出来た。
それが嬉しくて嬉しくて、それ以外の感情が消えたかのような感覚になった三日月は、悟られないよう誤魔化すかのように少し強めに短刀の頭を撫でた。
三日月だけではない、鶴丸もその一人だった。
本霊が同じ場所にあり、長い間同じ屋根の下で共にしている平野へと駆け寄ると、その小さな体をぎゅう、と力強く抱き締め、金の瞳から大粒の涙をポロポロと流し喜んだ。
今この場に兄以外の縁のある刀が居ない他の短刀達は自分の事のように嬉しそうに笑みを浮かべ、その様子を離れた場所で見ていた鈴も穏やかな表情を浮かべた。
昨日、鈴にべったりだった骨喰と鯰尾も今日ばかりは弟達に”兄”として接しており、鈴はそれを微笑ましく見ていた。
そんな穏やかな時間を過ごしていたが、こちらに向かってパタパタと云う足音と共に近付いて来る燭台切の神気。
ひょこり、と広間に顔を覗かせた燭台切は広間の様子を見て、お日様のような温かい笑みを浮かべた。
「ゆっくりしているところ、ごめんね」
「どうかされましたか?」
誰よりも早く燭台切に気付いた鈴が、彼の言葉にそう返すと、燭台切は少し言いづらそうに口を開いた。
「それがね、この人数でしょ?流石に一人じゃ運ぶのに時間が掛かっちゃうから、誰か手伝って欲しいと思って来たんだけど…」
この光景見たら、流石に言えないね。
困ったように眉を垂れさせ、そう言った燭台切に鈴は、確かに、と苦笑いを浮かべた。
こんな和気藹々とした穏やかな雰囲気の中、水を差すのはかなり勇気が要るし、言いづらいだろう。
それなら、と鈴が腰を浮かし、自分が手伝う、と口を開こうとした時だった。
それよりも早く、秋田、五虎退、前田、厚が手を上げ、素早く立ち上がると軽い足取りで広間から出ていった。
余りにも素早いその行動に呆気に取られた鈴と燭台切だったが、先に我に返ったのは燭台切の方だった。
「彼ら、ああなる前は良く手伝ってくれてたんだ」
「…、そうだったんですね」
「キミはゆっくりしていて、直ぐ運んで来るから」
「はい、お願いします」
にこ、と効果音が付きそうな笑顔でそう言われてしまっては、鈴には何も言う事が出来ず。
朝食も全て作らせてしまって申し訳ないやら、何も手伝えず短刀に任せてしまって申し訳ないやら、言いたい事は沢山あったのだが、結局何も言えないまま、燭台切は忙しそうに広間から出て行ってしまった。
その時だった。
ふと、鈴はある事に気が付いた。
自分は何で広間に居るのだろうか、と。
昨日は逃げ出そうにも、朝は骨喰と鯰尾に手を引かれ広間に来てしまい、昼食こそは、と逃げ出そうとしたが、三日月に気付かれ広間に連れて来られてしまった。
夕食は疲れていた事もあって逃げるだけの体力もなく一緒にしてしまったが、今日はこの雰囲気だと部屋に戻れるのではないか。
そう思い、そろり、と腰を浮かしたところで、ぱちり、と大倶利伽羅と目が合ってしまった。
鈴はぎく、と固まり、鈴が何をしようとしていたのか思い当たった大倶利伽羅は、その目をキッ、と吊り上げた。
その目を見てしまっては、鈴が逃げ出す事は出来ず、しゅん、と落ち込み、その場に大人しく座り直した。
あんな目力で見られてしまっては、行動に移せる訳がない。
それに万が一行動に移せても、人間の自分と刀剣男士だと機敏さやら俊敏さに違いがあり過ぎて、直ぐに捕まってしまう。
昨日の三日月に捕まってしまったのが良い例だ。
骨喰と鯰尾は脇差だから直ぐに捕まってしまうのは安易に想像出来たが、まさか太刀の三日月に捕まるとは思いもしなかった。
はあ、と小さく溜め息を吐いた鈴に気付いた薬研と乱。
久し振りに脇差の兄と会話を楽しんでいたが、鈴が少し動いた事に気付き、そちらに意識を向けていたら、大倶利伽羅から面白い気配を感じた。
すると鈴は諦めたのか大人しくなり、借りてきた猫のようになったのだから、面白い筈がない。
薬研と乱は顔を見合わせ、にやり、と笑みを浮かべると、脇差の兄に断りを入れ、鈴の隣へと移動し、座った。
すると、どうだろうか。
三日月や小狐丸、脇差の兄達や、鶴丸、大倶利伽羅が自分達の動きを目で追っていたのだ。
チラ、チラ、とこちらの様子を窺うように見ている。
何故、こちらをそんなにも気にして見るのか…、薬研と乱は再び顔を見合わせ首を傾げたが、自分達の視線に気付いた先程の面子は、不自然なぐらい咄嗟に目を逸らした。
更に目を合わせた薬研と乱だったが、何かに気付き、にやり、と不敵な笑みを浮かべた。
先程の不自然な目線の逸らし方と先程の大倶利伽羅から感じた面白い気配。
乱はともかく、女心や雅な事が分からない薬研でも流石に分かってしまった。
こんな面白い事を黙って傍観するなんて、そんな勿体無い事する訳がない。
そわそわしている面子を余所に薬研と乱は、わざとらしく鈴にべったりとくっつき始めた。
何て事ない、ただ本当にぴたり、とくっつくように寄り添っただけなのだが、その途端、目を見開き、ぎょっとした表情をした面々に薬研と乱は笑い転げそうになるのを必死に堪えた。
特に骨喰、三日月、大倶利伽羅は見物だった。
普段、あんなにも表情が変わらず、分かりづらいのに今はどうだ。
五虎退の仔虎でも分かるぐらい、分かりやすい反応をしているではないか。
自分の兄である骨喰には悪いが、久し振りに面白いモノを見せてもらった。
だが、楽しいのは薬研、乱だけであり、他の短刀や鈴には非常に気まずい、殺伐とした空気になってしまった。
その殺伐とした空気を壊したのは、救世主とも言える燭台切だった。
鼻を擽る、空腹感を刺激する匂い…、それに気付き開かれたままの障子戸を見ると、お盆に食事を乗せそろそろと食事が零れないように慎重に運んで戻って来た短刀の姿。
食いしん坊組である、鶴丸や大倶利伽羅は勿論、他の面々も食事に意識を向けたが、広間の空気は相変わらず微妙なまま。
手伝いに行っていた短刀はそれに気付き首を傾げ、最後に入って来た燭台切も二日連続のこの空気に流石に気に留めない訳にはいかなかった。
「何かあったの?」
その言葉は、しん、と静まり返っていた広間には大きく聞こえた。
暫く、静まり返っていた広間だったが、ごほん、とわざとらしい咳が聞こえ、燭台切はそちらに目をやった。
「お姉さんと 仲 良 く してただけだよ?」
仲良く、を強調するように区切ってそう言った乱だったが、その表情は今にも笑いそうなのを堪えているのが簡単に分かるモノだった。
他の面々を見ると苦い表情を浮かべるだけで何も言わなかった。
さて、どうしたものか…、燭台切が思考を巡らせようとした時。
自分がどうして、この広間に来たのか、それを思い出した燭台切は、慌てたように手に持っていた食事の乗ったお盆を机の上に置いた。
「ご飯、食べよう…!」
咄嗟に出た言葉はそれだった。
自分はかっこよくいたいのに咄嗟に出た言葉がそれで、今直ぐ布団の中に潜って叫びたいのを必死で堪え、ガリガリと音を立てながら心が削れていくのを泣きたい気持ちで我慢した。
燭台切の言葉で何とか食事は始まったが、この微妙な空気は相変わらず緩和しなかった。
理由は簡単だった。
「お嬢、茶を注がせてくれねぇか」
「あ、ありがとうございます」
「お姉さん、出汁巻たまご好きなの?ボクの一切れあげる!」
「い、いえ!乱様こそ、お食べになってください…!」
「むー…、それじゃあ、一口あげるね!はい、あーん」
「へっ?!え、えぇっ?!」
「ほーら、落ちちゃう!」
「え、あっ、あー…、ん?」
「お、乱だけって狡いよなぁ…、ほら、お嬢口開けな」
「んんっ?!」
「ほら、あーん」
「ふぁい…!」
先程からこの状態なのだ。
緩和するどころか、悪化する一方だった。
他の面々は、眉を寄せながらも食事を口に運んでいたのだが、燭台切はこの時になってやっと、この気まずい空気の理由…、原因が分かった。
「(確かにこれは…、面白くないかも、ね)」
苦笑いを零し、心の中でそう思った燭台切だったが、どうしてか、口が挟めなかった。
その理由も何となく、ぼんやりと思い付いたのだが、それ故に皆も口を挟めず、悶々としていて、その結果が今のこの現状なのだろう。
ただ、薬研と乱はこれを確信犯でやっているので、物凄くタチが悪いのだが、それを加えても口を挟めない、このもどかしさ。
だが、理由が分かっているのは、初日と二日目組だけ。
昨夜と今朝、鈴と交流を持てた短刀と一期にはさっぱり分からず、首を傾げるだけだった。
食卓に並べられた食事が殆ど無くなった時。
先に食事を終えた鈴は、箸を箸置きに置き、薬研が注いでくれた冷めたお茶を一口飲み、湯呑をことり、と置いた時だった。
薬研はにやり、と、悶々としている面々に笑みを向けた。
それを見た瞬間、嫌な予感が頭を掠めたが、それは見事に的中する事になった。
「お嬢、こっち向いてくれ」
「はい?」
薬研の言葉に疑う事無く、彼の方に顔を向けた時だった。
鈴の口の端をぬめり、とした温かく弾力のあるモノが触れた。
「付いてたぜ、ここ」
「ありがとうござい、ます…?」
何が起きたのか理解出来ていないのだろう。
トントン、と自分の口の端を指先で叩きながら、そう言った薬研に疑問形でそう返した鈴。
しん、と静まり返った広間は、まさに時間が止まったようだったが、先に我に返った鯰尾が大絶叫を上げた。
その鯰尾の悲鳴にも似た絶叫に一振り、また一振りと我に返り、その表情は人様に見せられるようなモノではない、凄まじいモノだったと言う。
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