天岩戸が開かれた



結局、皆が食べ終わり、一服し終わるまで続いた微妙な空気は、鈴にとって逃げ出したい程のモノだった。

どうしてあんな空気になったのか、鈴には分からなかった。
訊きたいのは山々だったが、どうにも訊ける雰囲気ではなかったし、その雰囲気を感じ取ったが為に結局は訊けず仕舞いだった。

鈴のこの判断はある意味正しかったとも言える。
鈴が鈍い感性の持ち主で、もし、本当に訊いていたのなら、この場にいた刀剣男士は確実に羞恥心から暴れ回っていただろう。

一部はのらりくらりと上手く交わす事が出来ただろうが、内心は世界三大瀑布並に激しい事になっていた。

そんな状態でも、一日も早く本丸を正常に戻さねばならない。
本丸を隅々まで綺麗に掃除し、溜まっている瘴気を祓い、空気を正常にせねばならなかった。

今、何もかもが最悪なこの本丸の状態だが、豊かで清廉な霊力を持つ鈴が来た事で、鈴が来る前とは少し気の流れが変わった。
霊力で本丸の状態が変わるのだが、前任が連行されて以来、霊力の持ち主が居なくなったこの本丸は荒れ放題だったのだ。
それでなくても、夜伽の強制や、中傷放置等で瘴気が漂い、綺麗だった本丸の空気は淀んでしまい、息をするのですら、苦しい程だった。

それなのに、霊力を持つ者が居なくなった本丸は…、人間の言葉を借りるなら、まさに貫禄のあるお化け屋敷、ホラースポットとなってしまった。

まず手始めに前任の思念が詰まっている前任の部屋の掃除。
その次に厨、風呂場、と進めてみたが、ほんの少し、気持ち程度だが、綺麗になったような気がする。

更に正常にする為には、何でも良い、ひたすら掃除をするだけだった。
淀みを消すには、瘴気を祓わねばならないが、この状態で瘴気を祓っても、直ぐ元に戻ってしまう。

それに瘴気なんてモノは、一部の刀剣男士にしか祓えない。
その刀剣男士も今はまだ部屋に篭ってしまっている為、どちらにせよ、無理だった。

さて、本格的に動き出した粟田口は、鈴に言われた”可愛らしい罰”を受けるべく、口を揃えて「ごちそうさまでした!」と言うと、内番服に着替える為にバタバタと一斉に部屋へと戻って行った。


「こらっ、静かに!」


部屋に篭ったままの他の刀剣男士に気を遣い、一期一振はそう言ったが、相手は機動の高い短刀。
一期一振が廊下に顔を出した時には既にその背中は小さくなっていた。

困ったように溜め息を吐いた一期一振は、眉を垂れさせ鈴へと視線を向けた。


「では、私も支度をして参ります」

「はい、お願いします」


綺麗な姿勢で頭を下げ、そう言った一期一振に鈴も座ったまま頭を下げ、そう返すと彼は朗らかに笑みを浮かべ、彼も部屋へと戻って行った。
脇差兄弟を含め、粟田口が居なくなった広間には、妙な静けさが広がり、誰も口を開く事は無かったが、痺れを切らしたように開口をきったのは、三日月だった。


「短刀の子らは、ほんに元気が良いなぁ」

「……、いい事じゃないか」

「そうとも言うが…、アレ、は感心できんな」

「…キミが言えたタマか?」

「はて、なんのことやら」


ほけほけ、と何食わぬ顔で笑う三日月だったが、その表情は冷え切っており鶴丸は、頭を抱えた。
三日月は刀として自身に流れた歳月故か、腹の内を見せない物言いをするが、こんな状態になった三日月は要注意だった。

気を許した相手、好意を持っている相手には、自ら腹の内を見せ、例えるなら野生の動物が警戒心を見せず腹を見せるようなものだ。
それなのに今の三日月は機嫌が悪いのか…、いや、先程の一連の流れは考えるまでもなく、三日月を不機嫌にさせたのだが、その八つ当たりを自分に向けるのだけは、勘弁願いたかった。

三日月だけではない。
この場にいる者殆どが、ブリザードを自分の周りに吹雪かせていた。

三日月の気持ちは分かる。
分かるが、自分もその状態なのだ。
正直に言えば、自分の感情だけで精一杯なのだから、巻き込まないで欲しい。
それが本心だった。

だが、一番困っているのが、鈴だった。

鈴は原因が全く分からない。
だから対処の仕様がないのにこんな空気にされてしまっては、気まずいどころの騒ぎではないのに…、勘弁して欲しい。

どんよりとした気分になっていた鈴の耳に複数のこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
その軽い足音は子供のもので、直ぐに着替えに自室に戻った短刀のものだと分かった。

広間の前まで来たその足音の持ち主達は、開かれた障子戸から、ひょこり、と顔を覗かせ、少し頬を赤らめた。


「え、っと…、あの、…」

「どうかされましたか?」


何か言いたそうに言葉を探している五虎退に鈴は、優しく声を掛けた。
五虎退の周りに居る、平野、前田、秋田…、短刀達は誰もが五虎退と同じようにしており、鈴や他の皆もどうしたのか、と首を傾げた。

すると意を決したかのようにきゅ、と唇を噛み締め、五虎退が口を開いた。


「い、っ、いってきます!」


普段の彼からは想像出来ない大きな声で言ったそれは、確かに鈴の耳に届いた。
その言葉に鈴は、きょとんとした表情になり、その表情を見た五虎退や周りに居た短刀は、不安そうに顔に暗い陰を落とした。

短刀にしてみれば、言う程のものではなかったのかもしれない、と葛藤をしていたのだが、鈴の心情は、こうだった。

出逢って二日目の自分にこんな些細な事でも報告してくれた、と感慨深いものを感じていたのだが、前任の時に辛辣な言葉をぶつけられた短刀にしてみれば、この間が怖くて仕方なかった。


「お気をつけて、いってらっしゃいませ…、ちゃんと休憩を挟んで下さいね」


ふわり、と柔らかい笑みを浮かべてそう言った鈴の言葉に短刀の皆は、パアッ、と表情を明るくし、もう一度元気よく「いってきます!」と口にし、玄関の方へと駆けて行った。

そんな可愛らしい短刀の行動に鈴は、ほっこりとした気持ちに浸っていた。
だが、そんな温かな気持ちも直ぐに崩れる事になった。

薬研と乱だ。

薬研と乱は、随分ゆっくりと支度をしたのか、広間に来るのが遅かった。
五虎退達が第一弾なら、この二振りは第二弾。

遅れてやって来た二振りは、にこにことしている鈴を見て、そんな鈴を見ている太刀や打刀を見て、またあの悪魔のような笑みを浮かべた。


「お嬢、いってくるぜ」

「お姉さん!いってくるね!」

「はい、いってらっしゃいませ」


にこにこと笑みを浮かべながらそう言った鈴に薬研と乱は素早く近付き、あろうことか、鈴の体をぎゅ、と抱き締めたのだ。
再び、ぴきり、と固まった刀にこの悪戯が過ぎる二振りは、上手くいった!と言わんばかりの笑みを浮かべ、足早に広間から出て行った。

薬研と乱がしたのは、軽く言えば、ハグだ。
下心のない、挨拶みたいなハグだったのだが、先程の一連の行動故に過敏になっていた刀にとっては、十分にダメージを受けるものだった。

三日月は笑みを浮かべているが、口元が引き攣っていたし、小狐丸は頭を抱えていた。
鶴丸は久し振りに鶴になるか、と怖い事を言っているし、燭台切は困ったぁ、と言う割には視線だけで人を殺せそうになっている。
唯一、大倶利伽羅だけは、パッと見ただけでは、何の反応をしていなかったが、それは必死に隠していただけで、本当はそうでもなかった。

彼らが行動を起こせなかったのは、事の原因が短刀のした事だったからだ。
薬研を短刀と呼ぶのはかなり抵抗があるが、一応は短刀だ。

その短刀と言えば前任の被害を多く受けており、たった一晩で以前のような明るい表情が出来るようになっただけにこんな分かりやすい悪意のある悪戯にすら、素直に行動に移せないのだ。

悲しい事にこの空気に若干慣れてしまった鈴は慌ててこの空気を変えようとし、口を開いた。


「今日は何をしたいですか?」


顔の筋肉を総動員させ、不自然な表情にならない事を願いながらそう言った。
今にも引き攣りそうな気がするが、そうならないそうに必死に表情を作った。

だが、そんな鈴の苦労が報われたのか。
運良く広間を通りがかった骨喰と鯰尾が口を開いた。


「あ、俺達は今日も厩舎を掃除しますよー」

「二日連続ですが…、大丈夫ですか?」

「任せてください!流石に力入れないといつまでも荒れ放題ですし」


集中して徹底的に綺麗にしたいんです。
鯰尾のその言葉に骨喰も同意するかのように頷いた。

戦場で自分達を助けてくれた神馬。
霊力の供給や世話をしてくれる者が居なくなった所為か、力なく倒れていた。

鈴の霊力を受けてか、朝食前に覗いた時は弱々しくも立ち上がっており、近付いた骨喰に鼻を擦り付け甘えたのだ。
たった一日でこれ程までに回復した神馬をもっと元気にしてやりたい、以前のようにしてやりたいと思うのは、殆どの内番を神馬の世話をしていた二振りには十分な理由となっていた。

そこまでの理由は鈴には分からなかった。
だが、この二振りがそこまで言うのだ、やりたいようにさせてやりたい、自然とそう思った。


「あまり根を詰めないで、ちゃんと休憩しつつしてくださいね」


お願いします、と、また律儀に頭を下げそう言った鈴に骨喰と鯰尾は満面の笑みを浮かべ、厩舎へと向かった。

これで無事、粟田口の今日やる事は決まった訳だが、問題はこの場に居る刀剣男士。

骨喰と鯰尾に持っていかれて、発言するタイミングを逃したのか。
二振りが居なくなっても、誰も口を開かなかった。

それだけではなく、じっと鈴を見ているだけで、鈴は困ったように視線を彷徨わせた。

厨は初日に片付けたし、風呂は昨日してしまった。
次は…、と、掃除する場所を探した時、昨日気になったまま、手が付けられなかった廊下を思い出した。


「それでは今日は、廊下の掃除をしましょう」


その言葉に皆は、ああ、と思い付いた。
確かに廊下には埃が溜まっていたし、砂埃も水の乾いた跡もあるし、点々としている血痕もある。

少しでも前進しようとしている自分達には、見ていて気持ちいいものではなかった。

鈴の提案に異論もないので、今日は廊下の掃除に決まり、誰がどこの廊下を担当するか、を具体的に話し合い決めた。
途中少し揉めたが、そこは無理言って了承して貰う形で分担は決まり、三日連続で使用する事になった通販サイトを開き、雑巾とバケツ、箒に塵取りを人数分購入した。

購入した物が届くまでの時間を着替えに使ったり、掃除中に困らないように、とタオルや水分補給用の飲み物を用意したりした。
準備が整ったところで購入した荷物が届き、各々掃除道具を手に取ると位置に着き、掃除を開始した。

鈴が担当するのは、自分の部屋のある並びの廊下だった。
そこが一番廊下の長さが短く、負担が少ない。
そこに決まった時、鈴は異論を唱えた。

そう、途中少し揉めたのは、この事だった。

鈴自身、まだ会話した事のない刀剣男士の部屋の前を掃除するのは、少し怖かった。
だが、長さが短く、掃除も楽だろう、との理由で鈴を除き、満場一致で決まった時は、流石に口を挟んでしまった。

確かにこの本丸に来てから色んな事があり、疲れもあったが、そんな楽な場所を満場一致で決められてしまっては、納得がいかない。
彼らの方が疲れていたし、そんな自分を優遇してくれなくて良かったのに、彼らは口を揃えて其処にしろ、と言ったのだ。

余りにも頑固に譲ろうとしないから、結局は鈴が折れる事になった。

決まったものは仕方がない。
顔を合わせた事のない刀剣男士の部屋の前を通るが、平常心を保って、何もしない、とその姿勢を取っていれば何もされない。
そう思い掃除を開始した。


「今から、廊下の掃除をさせて頂きます。障子戸の外側の方も掃除しますので、少し触れますが何もしません。…少しの間、我慢して下さい」


今から何をするのか、どこを掃除するのか。
それを部屋の前で部屋の中に向かい、そう言ってから掃除を始めた。

中から何も反応はなかったが、拒否も肯定もされない事は、大丈夫だろう、と解釈し、素早く、だが丁寧にしていった。

それを何回か繰り返し、自室まであと少し。
部屋で言うと自室の二つ前の部屋に来た時だった。

刀剣男士の部屋は、此処で最後。
その隣は近侍部屋で、その隣は前任の部屋で、今の自分の部屋。

此処で最後、その事に少し気が緩んだ時だった。
その部屋の障子戸が急に開かれ、部屋の中へと引きずり込まれた。

自分の身に今何が起きたのか、何も理解出来なかったが、自分の腕を引っ張り部屋の中に引きずり込んだ刀剣男士を見て、鈴の目は大きく見開かれた。

その刀剣男士とは…、珊瑚のような髪を持ち、髪を片方に結い上げ、前髪で右目を隠し。
気だるげな表情を隠す事もなく、勢いをつけ過ぎて自分の腕に飛び込んで来た鈴を静かに見下ろしていた、宗三左文字だった。

*前次#