それは、まるでーーー
不可抗力とは言え宗三の一件があり、広間から出る事を禁止された鈴。
鶴丸に苦笑され、大倶利伽羅には目で止められ、燭台切には微笑みで止められてしまっては、自分がどう言おうと無駄な事なのだと悟ってしまった鈴は、不甲斐なさから落ち込んでしまった。
宗三の一件は鈴に何の非もない。
宗三は鈴と接触するタイミングを窺っており、たまたま先程鈴が一人で部屋の前に来た為にこの機会を逃すまい、と行動に移した。
それは鈴には、予測出来ない事だったし、他の誰にも予測出来なかった。
宗三を除いて。
そんな元凶を作った宗三だが、先程、小夜と兄と粟田口の面々と一緒に畑へと行ってしまった。
小夜以外に粟田口と自分、兄の分の飲み物を用意すると、にこやかに鈴へと頭を下げたその周りには花が飛んでいるように見え、宗三を良く知る薬研は、その機嫌の良さに目を丸くした程だった。
結局宗三は、鈴の午後からの待遇に謝る事せず行ってしまったものだから、鈴は宗三に対して、少しムッとしてしまったのは、仕方がない事だろう。
一人になる事を許されなくなった鈴は、何か妥協案はないかと考え、もごもごと口を開いた。
「あの、ですね…、この広間に居ても、する事がないので自室に戻りたいのですが…」
昼食中に掃除の結果を訊くと全員が決まった場所は終えた、と言っていた。
すると、今日の掃除は終わりと云う事になり、昼からは各自、自由に過ごす事になり、鈴は自室に一人戻ろうとしていた。
だが一人になる事を許されなくなった鈴には、当然とも言える言葉だった。
鈴の言葉に、伊達の三振りは顔を見合わせ、少し思考した後、燭台切が口を開いた。
「うーん、そうだね…、一人になるのは危ないから、この中の誰かと一緒に部屋に戻るってのはどうかな?」
その燭台切の言葉に鈴は、どう返事しようか悩んだ。
一つは、自室に戻っても、彼らにはする事がなく、退屈な思いをさせてしまう。
もう一つは、折角の自由な時間を潰してしまうのは、申し訳ない気持ちからだった。
そんな鈴に気付いたのは、普段誰とも群れる事を好まない、大倶利伽羅だった。
「おれが行く」
「大倶利伽羅、さま…?」
大倶利伽羅はそう言うと立ち上がり、先に廊下へと出てしまった。
突然の事に把握出来ていないのは、鈴だけではなく、燭台切も鶴丸も、三日月も、小狐丸もだった。
広間にて先程まで短刀との会話を楽しんでいた三日月と小狐丸は、何となく部屋に戻れず、広間でぼんやりと鈴を眺めていた。
ころころと子供のように表情を変える鈴が見ていて飽きず、見ているこっちまでもが不思議と温かな気持ちなり、飽きもせず眺めていた。
そんな時に大倶利伽羅の発言だった。
大倶利伽羅の事を良く知っているだけにこの発言には流石に驚いた。
しかも言葉だけではなく、それを行動に移し、実際廊下に出て、鈴が来るのを待っていた。
鈴が此処に来てからの大倶利伽羅は、信じられない行動ばかりする。
こうして明らか、目に見える分かりやすい行動をしたり、初日の鶴丸の時だってそうだ。
結果的に行動に出てしまったが、最初はさり気無く鶴丸を鈴から引き離そうとしていた。
そんな大倶利伽羅の変化には驚くばかりで、それと同時にどうして彼が鈴にそうまでするのか、分からなかった。
ゲスな言い方かもしれないが、大倶利伽羅をそこまで変えた鈴に更に興味を持った事は自然な事だと思えた。
鈴は、どうしようか迷ってる様子だったが、大倶利伽羅が側に居る事を引き受け、既に廊下に出て自分が動くのを待っている姿を見て、本当は遠慮したい気持ちで一杯なのだが、好意でそうしてくれているのに断っては失礼に当たるとの考えに至った。
「大倶利伽羅様が一緒に居て下さるみたいなので、大倶利伽羅様にお願いして、自室に戻らせて頂きますね」
へらり、と困ったように笑みを浮かべた鈴は立ち上がると燭台切達に頭を下げ、広間から出て行き、大倶利伽羅の後を付いて自室へと戻って行った。
そんな二人の後ろ姿を見て、一瞬、胸の中がざわり、と騒いだのを感じたが、それは直ぐに無くなり、小首を傾げた。
そんな注目の的であった彼女と大倶利伽羅は、鈴の自室へと戻って来た。
彼は、初日に鈴の様子を見に来た時以来にこの部屋に来たが、流石に一日二日では部屋に変化はなく、小さめの文机に座布団と瞬間湯沸かし器と殺風景な部屋だった。
かと言って、前任の名残があるのか、と聞かれれば、そんな物は一切なく、その証拠に前任が使用していたと思われる物たちは、この部屋に面している庭に無造作に積み上げられていた。
布団から始まり、前任の服や雑貨。
本当に前任が残した物を全てと云っていい程、不要な物として鈴は処分するらしい。
そんな積み上げられた、最早ゴミの山と化している物たちを横目で見た大倶利伽羅は小さく鼻で笑い、心の中で前任を嗤った。
前任と自分達の間には、契約が結ばれていた。
その契約故に前任に逆らう事が出来ず、泣き寝入りに近い状態だった自分達。
そんな自分達に前任は散々なメに合わせてくれたのだ。
そんな前任が使用していた物があんな無残に処分されようとしているのを見るのは非常に気分が良かった。
更に欲を言えば、あれらが完全に処分され、無くなる事なのだが、それも時間の問題だろう。
「大倶利伽羅様、こちらをお使い下さい」
耳に届いた鈴の言葉にそちらを見ると、この部屋にある唯一の座布団を自分に差し出している光景だった。
一体なんの真似だ、と無意識に睨むように鈴を見てしまった大倶利伽羅だったが、鈴はきょとん、とした表情で小首を傾げていた。
「幾ら畳の上であろうと、直に座るのは少し辛いですから、大倶利伽羅様がお使い下さい」
「………、アンタはどうするんだ」
「私ですか?私はこのまま座りますので」
「直に座るのは辛いんじゃないのか」
「私は慣れてますから」
にこり、と微笑みそう言った鈴に大倶利伽羅は、更に訳が分からず、自然と目付きが鋭くなった。
それもそうだろう。
鈴は今自分の口で“畳の上であろうと直に座るのは辛い”と言った。
それなのに鈴はこのまま畳の上に直に座ると言ったのだ。
矛盾しているその言葉に訳が分からなくなるのは当たり前の事だった。
それ以前に大倶利伽羅は、座布団を敷かずそのまま座るつもりでいた。
この部屋唯一の座布団を自分が使い、女性である鈴に直に座らせるなんて、伊達男の自分には到底出来ない事だった。
自分は燭台切程の伊達男ではない。
彼ほどスマートに女性を扱う事は出来ないし、やれ、と言われても絶対に嫌だ。
だが、これぐらいなら全然普通に出来るし、そもそもそうするのが普通だと認識している。
女性に辛い思いをさせて自分だけが胡坐を*く、なんて事は自分であろうと許せない事だった。
「それはアンタが使え」
「で、ですが…」
「おれはこのままでいい」
そう言って、すとん、とその場に座り込んだ大倶利伽羅を見て、鈴は困った表情になったが、申し訳なさそうに元あった場所に座布団を敷くとその上に座った。
その鈴の姿を見て大倶利伽羅はホッと安堵の息を吐いた。
もし鈴が食い下がってきたら、きっと自分は物言いがきつくなり、鈴を怖がらせてしまうと思った。
きっとそうなったと思うし、そうなったら後から悔いるのは目に見えていた。
だから鈴が引いてくれて安心したのだが、まさか鈴が自分がこんなに焦っていたとは思わないだろう。
昔馴染みの燭台切や鶴丸なら見抜いたかもしれないが、自分は其れほど思った事が顔に出ないタイプらしく、それ故に困った事もあったが、今ほど助かった事はなかった。
「……アンタ、さっき直に座るのは慣れてると言ったな」
「?はい」
「なんで慣れてるんだ」
「…家が神社、だからですね」
「神社…、宮司の娘か何かか」
「ええ、昔からの宮司の家系なんです。男が生まれたら宮司の跡取り、女は巫女として育てられます」
「巫女を生業としてたのか?」
「…、と言っても普段は別の仕事をしていて、年末年始や休みの日にしか巫女さんはやりませんけどね」
先程の鈴の言葉が気になったのか、大倶利伽羅はその疑問を素直に鈴に訊いてみると、全く想像していなかった返答が鈴から返ってきた。
まさか、鈴がそんな歴史のある神社の娘だとは思わなかった。
巫女として育てられる、と言っていたから、幼少期から親に教え込まれていたのだろう。
どうりで心地よい霊力の持ち主な筈だ…、大倶利伽羅は妙に納得してしまい、鈴の中に流れる霊力をまじまじと見てしまった。
鈴は、まさか大倶利伽羅がそんな事を訊いてくるとは思っておらず、突然の質問に咄嗟に答えてしまったが、そんな中途半端な巫女だと知られてしまって、怒られないだろうか、と内心ビクビクしていた。
神主も巫女も神様に御使いする身。
付喪神とは言え、神様である大倶利伽羅にとっては不愉快な者だと思われなかっただろうか、と何を言われても大丈夫なように身構えていたのだが、大倶利伽羅は驚いた様子だったが、何も言わず、自分をじぃ、と見ているだけだった。
幼い頃から巫女としての英才教育的なものは親から受けていた。
神様の事や、簡単な祝詞から始まり、禊や神楽、祈祷なんかも教えられた。
だが、成長していくにつれ、将来自分のやりたい職業が見付かり、親に相談すると親はそれを温かく応援してくれ、学生まで巫女として生活をしていたが、就職はその夢であった仕事に就いた。
でも、それまでの生活のリズムとして巫女である自分が当たり前にも思え、年末年始や休日、七五三や厄除け、神前式等の時は巫女として親の手伝いをしていたのだが、気分的にはお手伝いやバイト感覚で、神様に御使いしても良い立場なのだろうか、と疑問には思っていたのだが。
まさか、自分に手入れ師としては十分過ぎる程の霊力を持ち、政府にスカウトされ、一度は断ったものの、刀剣男士は付喪神で神様だし、自分が行く予定の場所はブラック本丸と認定されている場所。
心身共に傷付いた付喪神様を…、と言われてしまっては、きっぱりと断れる筈もなく、手入れ師になってしまい、実際にこうして自分なりに手入れをさせてもらっていたのだが、心の底では“中途半端な巫女”の自分で申し訳なく感じていたし、この事が知れてしまい、付喪神達の逆鱗に触れてしまってはどうしよう、とも思った。
咄嗟とは言え、馬鹿正直に答えてしまったが、大倶利伽羅は怒る様子もない。
驚いた様子ではあったが、それだけだった。
大倶利伽羅が気にしないだけなのか、それとも他の皆も気にしないのか…
大倶利伽羅が気にしないようで安心したが、この話しはなるべくしないようにしよう、と心に決めた。
大倶利伽羅はもう何も話す事はないのか、自分とじぃ、と見たままで、少し居心地の悪さは感じたものの、自分のするべき事を思い出し、文机へと向かった。
鈴が手に取ったのは、この本丸に来る前、ゲートの前で政府職員に渡されたこの本丸の資料だった。
一度、初日に目を通したが、その内容の酷さに読む事が出来なくなり、途中で閉じてしまったのだが、この三日であった出来事や刀剣男士の状態を見てしまっては、何の情報を持っていない事は自分が困る事になるし、自分のした行動で刀剣男士を更に傷つけてしまっては、自分がここに来た意味がない。
それこそ、本当に斬り付けられてもおかしくないし、呪いをかけられてもおかしくない事だった。
きっと読めば、気分が悪くなるし、前任に対しての怒りで気が狂いそうになるかもしれない。
でも、ここで逃げてしまっては誰の為にもならない。
鈴は一度深呼吸し、その資料を開いた。
最初のページは、この本丸の情報からだった。
その内容に目を通していくと、この本丸は歴史修正主義者の時間遡行軍との戦いが始まった当初からある本丸だった。
故にこの本丸は200年以上の歴史がある、最古参の本丸である事が分かった。
当然、200年も経っているのだから、最初の審神者は老衰で亡くなっており、その審神者の意向で新しい審神者が引き継ぎを行い、その引き継ぎ審神者も立派に戦い抜き、引退。
そして、また引き継ぎ審神者へとこの本丸は託され、それが繰り返され、前任へと主が変わっていった。
普通ならば、主が亡くなった時点でその本丸は解体されるのだが、審神者の意向とその審神者の願いもあって解体されず、審神者から託された想いを刀剣男士が引き継ぎ、引き継ぎ審神者を受け入れた。
流石に引き継ぎ審神者を“主”と思うのは難しいし、それは当然であった為、引き継ぎ審神者は政府から与えられた審神者の名で刀剣男士から呼ばれていた、とも記されていた。
そして次のページへと進むと、その歴代の審神者の情報が事細かに記載されており、各審神者の戦績や配属された国での順位。
戦況の進み具合が記されており、やはり審神者によっては成績が落ちてしまったり、中々その戦場を制圧出来なかったりと苦労はあったらしく、波があった。
そして問題の前任のページには、最初に逮捕された時の罪状が書いてあった。
夜伽の強制、中傷・重傷放置、刀剣破壊の恐れのある無謀な進軍、刀剣男士への精神的・肉体的暴力。
そして前任の今の状況へと移り、今は政府管轄の刑務所に収容している事、裁判の最中であり、懲役30年として求刑されているが、刀剣男士への非道な仕打ち、所業の数々を考え、執行猶予無しの無期懲役刑を政府としては望む事。
そんな事が事務的につらつらと書かれており、その余りにも淡々とした言葉に怪訝な表情をしてしまったのは、仕方ない事だった。
それを気が付けば真剣に目を通しており、鈴の頭の中からすっかり大倶利伽羅も一緒に居ると云う事が抜けてしまっていた。
だから、自分の背後から手元のファイルを覗き込み、その資料を読んでいた大倶利伽羅に気付く事が出来ず、急に耳元で聞こえた彼の声に心臓が跳ねあがり、ぴしり、と石のように固まってしまった。
「前任は死ぬのか」
「ひっ……!」
バクバクと五月蠅いぐらいに動いてる心臓のせいで、今は自分の心臓の音しか聞こえないが、その前に訊いた大倶利伽羅の言葉を頭の中で必死に考えた。
先程、彼は何を言っただろうか。
そう、前任は死ぬのか、と自分に訊ねたような気がする。
その問いに自分は何て答えれば良いのだろうか?
正直、前任に関しては、この資料でしか知らない。
それはきっと、自分の背後から覗き込むようにしてこの資料を読んでいた大倶利伽羅と同じ事しか知らないのだ。
それなのにそう訊ねる彼の意図が分からず、鈴は困ったように一度深呼吸をして、口を開いた。
「私は前任の審神者の事は、この資料に書かれている事しか知りません。30年の刑期なのか、政府の求刑する無期懲役刑なるのか、それすらも分かりません。ですが、これだけは言えます」
そこで一度言葉を区切る鈴に大倶利伽羅の喉は、ごくり、と上下した。
「貴方達は、もう苦しまなくていいんです…、前任から解放されてもいいんですよ…」
その鈴の言葉に大倶利伽羅は、息を呑み、ぐっ、と唇を噛み締めると鈴の細く小さな体を力一杯抱き締めた。
当然、それに驚いた鈴だったが、必死に縋るようなその行為を拒否する事も、突き放す事も出来る訳もなく、彼の気が済むまでこのままでいる事を決めた。
自分達は前任に苦しめられた。
あの悪夢のような日々は今でも頭の中にこびり付いて離れてはくれない。
前任は、もう此処には居ない事は分かっている。
あの日、突然押し寄せた政府の人間に目の前で拘束され、何か喚きながら連れて行かれた前任の姿はちゃんと覚えている。
でも、ふとした瞬間、まだ前任が此処に居るような気がして、冷や汗が止まらない事がある。
寝て、起きて、そしたらまた、前任のねちっこい嫌な声で出陣させられ、折れる事を恐れながら戦わされるのではないか、と夜も気が気でなく、落ち着いて眠れない。
それは、まさに鈴の言ったように、まだ前任から解放されていなかったからだった。
前任を忘れたい。
でも、忘れようとする度に前任が影のように、そして蛇のように絡み付いて出来なかった。
でも、鈴のあの一言が、自分の中に自然と入り込み、それはすとん、と落ち着いた。
幾分か落ち着いた大倶利伽羅だが、不思議な感覚になった。
初日に鈴と初めて出逢った時、鈴に対して感じた”落ち着く、安心する”感情を今も鈴に対して感じた。
どうしてそう感じたのか分からないが、そう感じたのだ。
すると唐突に彼は口を開いた。
「アンタは…、審神者にはならないのか」
自分でも何でそう言ったのか分からず驚いた。
言うなれば、勝手に口が動いて、そんな事を言っていたのだ。
だが、驚いたのは大倶利伽羅だけではなく、突然なんの脈絡もなく言われた鈴もだった。
どうして大倶利伽羅がそんな事を自分に言ったのか、どうしてそんな事を思ったのか。
全く見当もつかず、頭の中が真っ白になってしまったのだが、鈴はその何も考えられない頭をフル稼働させ、口を開いた。
「私が知る範囲ですが…、手入れ師から審神者になった事例は訊いた事がありません…、審神者から手入れ師になった事はあるのですが…、もし私が審神者になれるとしても、私はまだ手入れ師としての役割を全う出来ていないので、審神者になる…、と云うのは考えられません」
少しぎこちなく、自信なさそうにそう言った鈴だったが、きっぱりとそう言った。
だが、そう言った鈴に大倶利伽羅は、好ましい人間だ、と思った。
自分の意見をちゃんと言える鈴に芯の強さを感じ、そして、その責任感にも。
今の鈴は手入れ師だ。
それなのに今この場で審神者になる、なんて言われたら、鈴の事を信用出来なくなるし、信頼しようとも思えない。
そんな奴に皆を手入れさせたくはない。
急に軽くなった、心と体。
大倶利伽羅は、ふ、と柔らかく優しげに小さく微笑むと、鈴の頭に唇を落とし、その髪を一房掬うとそこにも唇を落とした。
優しく、そして愛おしそうに口付けるその姿は、まるで――――――――
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