彼女はいつも斜め上をいく


毎日増えていく食事の席に鈴は嬉しくて仕方なかった。
だが、それを隠すように、今日から新しく加わった刀剣男士の様子を時折、気にかけながら朝食を食べた。

御手杵は、宗三の言っていたように、食の誘惑に負けたのは本当だったらしい。
ガツガツと鶴丸や大倶利伽羅に勝る勢いで食事を口に運んでおり、御手杵だけでなく石切丸達も似たようなものだった。


「見て分かるように、今日から参加した者は、今剣を除いて、鶴丸殿や大倶利伽羅殿に勝る大食漢です」

「みたい…、ですね」


鈴の隣で山盛りの白米を口に運びながら宗三がそう言ったが、鈴は冷静に思った。

宗三はそこに入らないのか、と。

だが、何と言ったら良いのか。
これだけ美味しそうに食べている姿を見るのは、非常に気持ちが良い。

作る側は大変かもしれないが、見ている側としては気持ち良く、自分が審神者なら、この姿を見たいが為に必死になって仕事を熟しそうだ。


「ねえ、お姉さん」

「何でしょう?」

「石切丸さんや太郎さんの手入れって、するんでしょう?」

「え、ええ、勿論しますよ」

「その事で相談なんだけど…、」


今朝の朝食も賑やかだった。

昨日の夜までと違い、おかわりに余裕はなく、食いしん坊組の落ち込み具合が凄かった。
鶴丸も大倶利伽羅も久し振りに食事をする石切丸や太郎太刀にはあまり強く出られないのか、二振りのおかわりの量は信じられない程に少なかった。

荒れるか、と、そう思われたが、今回ばかりは、二振りが大人になったようだ。
自分達の量を減らし譲ったお陰で、喧嘩になる事もなく全体を見れば至って平和に朝食は終わった。

朝食後、腹を落ち着かせる為にダラダラと過ごしていた。
その時に粟田口の短刀を中心に何か話しており、突如、乱が鈴にそう尋ねた。

実は鈴もその事を考えていた。

石切丸、太郎太刀、次郎太刀。
岩融に今剣、御手杵に蜻蛉切。
この七振りは、どれもが酷い軽傷から重傷手前までとかなり酷い状態だった。

昨日、打刀四振り、脇差一振りの手入れで倒れた鈴は、七振りの手入れは無理に近い事は明白だった。

それなら、どうやって手入れをするのか。
どんな方法が正解なのか。

それを考えていたのだが、良い考えが浮かばず、無限のループに嵌まってしまったようで、頭の中はパンク寸前だった。
そこに乱の言葉。

鈴は一瞬、びくりとしたが、必死に取り繕って冷静に返したつもりだった。
だがそれは彼等には何の効果もなく、気付かれてしまったのだが、鈴の事を想い、それに関しては何も言わなかった。


「お姉さんって、手入れ部屋の妖精さんの力って借りる事は出来るの?」

「手入れ部屋の、ですか?ええ、それは可能ですよ。ですが、その為には資材を使って、審神者と同じ手入れ方法になってしまうので、政府の方からは良い顔されないですね」

「そうか…、でも出来るんだな?」

「ええ、可能です」


審神者と同じ方法での手入れ。
それは、手入れされた刀剣男士が手入れした者を少なからず、その者を"主"と認めてしまう事になる。
その原因は未だにはっきり解明はされていないが、審神者と同じ手順で資材を使い、手入れ部屋の妖精の力を借りる事にあるのではないか、と云われている。

自分の霊力のみで手入れする手入れ師では、そうはならないのに。
だが、一部の手入れ師が審神者と同じ方法で手入れされた刀剣男士がその手入れ師の事を"主"と認識してしまう事例が報告されるようになってしまった。
その結果、政府の方から、手入れ師がこの方法での手入れを良としていないのだ。

出来る事は出来る。
だが政府が良としない。
故に鈴は、この方法を最初から除外していて、自分の霊力のみで手入れを行っていた。
だが、昨日の一件で中度の中傷以上で、それも打刀以上の連続した手入れは厳しいと分かってしまった。

だから、もう、その方法の手入れしか無いと思った。
だが、後の彼等の事を考え、想うのならば、後任の審神者との事を考えなければならない。
後任の審神者との関係を円滑にする為には、その方法は避けるべきだ。

薬研はそう呟くと、チラリ、と石切丸や太郎太刀の方を見た。
彼等には鈴が来てからの事を簡単に話したし、鈴が連日、霊力不足に陥り倒れた事も話した。

すると石切丸と太郎太刀がこう言った。
霊力不足に陥り、倒れるのは霊力のみで手入れをするから、そうなるのではないか。

朝食後、違和感のない程度に集まり、話し合い。
鈴に尋ねて、そう返ってきた言葉に詰んでしまった。
政府が良としない方法だと分かっていて、鈴にその方法で手入れをさせる言葉出来なかった。

だが、この方法で手入れをしてもらわないと自分達の身が持たない。
鈴にまた倒れられでもしたら、何かが削られていく。
人間で云う、寿命に近い何かが削られる。
もうあんな想いは勘弁願いたい。

だが、政府が良としないのは、何か政府にとって面倒な事があるのだろう。
使えるものは使え、と、その色が濃い政府が、そう言うのは珍しく、過去に何か問題があったのだろう。

でも、今の自分達の問題は、この方法でないと解決出来ない。
完全な手詰まりだった。

そんな時、鈴が何か閃いたようで口を開いた。


「あの、手伝い札はありますか?」

「手伝い札は…、乱、知ってるか?」

「手伝い札かぁ…、確かあったと思うけど」

「ぼ、ぼく見て来ます…!!」


鈴のその言葉に薬研は考えたが分からず。
乱に聞くと乱も自信なさそうに歯切れの悪い返答で、意を決した五虎退がそう言い立ち上がると広間から駆け出して行った。

手伝い札。
鈴はこれをどうするつもりなのだろうか。

前任は、手伝い札を貴重な物だと言って、前任が変わり始めた頃から、手伝い札を使っての手入れをされた記憶がない。
どれだけ重傷を負っても、手入れをまだされていた時は、ただ手入れ部屋に放り込まれて、資材を使い、長時間かけて妖精に手入れをされていた。
その時は辛くて、前任に腹が立って仕方なかったが、今思えば、手入れしてくれただけ有り難い事だった。

それ程、使う事を渋っていた手伝い札は、果たしてあるのだろうか。
少し不安だったが、戻ってきた五虎退の表情を見て、ホッと息を吐いた。


「て、手伝い札、ありました…!」

「あったの?!どれぐらい?!」

「えっと、あの、一振り分ずつぐらいは…!」

「よ、良かったぁ…」


どうやら手伝い札は、一振り分ずつはあったらしい。
鈴が一体、どう使うのかは分からないが、一安心は出来た。

五虎退が持って来た手伝い札を受け取った鈴は、それをマジマジと眺め、何かを確認すると、鈴も安心したように安堵していた。


「それで、どうするんだ?」


鈴がことり、と置いた手伝い札を手に取った薬研が不思議そうにしながら、そう尋ねた。
審神者の手入れ方法で手入れが出来ないなら、これは不要の物の筈だ。


「手伝い札には、霊力が宿っているんです」

「それにか?」

「ええ。ですが、その霊力は手入れするには量が少なく、あくまでも手入れの補助としか使えません」

「それで…、それをどうするんだ?」

「この手伝い札は、霊力の器としては、ほぼ無限に霊力を宿す事が出来るんです」

「ああ、それで?」

「私がこの手伝い札に霊力を篭めます。それでその霊力を使って手入れ部屋の妖精に手入れをしてもらいましょう」


鈴のその言葉に正直、ちんぷんかんぷんだった。
そんな方法で手入れが出来るなんて聞いた事がない。


「でも、それだとまた霊力不足になりませんか?」


小首を傾げながら、前田がそう口にした。

それもそうだ。
鈴の霊力をこの手伝い札に篭める。
それも、大太刀や槍など、資材を多く消費する刀剣男士を資材を使わず手入れするだけの霊力が必要になる。

それなら、また鈴の霊力が尽きそうになっても当然ではないか。
たが鈴は、至って平然としており、そんな鈴にその場に居た刀剣男士、全振りが首を傾げた。


「これなら、大丈夫です。ですが、石切丸様達の手入れをするまで少しお時間を頂きたくて、それでも宜しいでしょうか?」


そう言った鈴に石切丸達は顔を見合わせ、鈴を見た。


「それはどうしてですか?」

「今から半日程かけ、この手伝い札に私の霊力を篭めます。今、この本丸は私の霊力で満たされている状態ですので、本丸全体からこの手伝い札に霊力を集めれれば、手入れ部屋の妖精の力を借りて、手入れをする事が出来ます」


鈴のその言葉に、皆の目が点になった。
そんな手入れ方法は聞いた事がなかった。

可能性の一つとしては、有り得るのかもしれない。

確かに今、この本丸は鈴の霊力で満たされている。
鈴の霊力で平時に戻りつつあり、正常に稼動している。
それだけ鈴の霊力がこの本丸に流れているのだから、半日であれ時間をかけ、手伝い札に霊力を篭める事も可能だろう。

それならば、鈴の霊力が急激に減り、倒れる事はないかもしれない。
でも果たして、そんな方法で手入れをして、彼等の身体の傷は癒えるのだろうか。
半信半疑で鈴を見る刀剣男士に彼女は、困ったように眉を垂れ下げ、苦笑いを零した。


「論より証拠です。半日程、お待ち頂ければ分かります」


今の鈴には、これが言える精一杯だった。
多分、言っただけでは、想像も出来ない事だろう。

手入れ師は、自分に出来る手入れ方法をひたすら探し、それを試し、その中から、自分に合った方法で、派遣された本丸の刀剣男士を手入れする。
それに加え、刀剣男士の希望に合わせ手入れをする場合もある為、一つの方法だけでなく数種類使えるようにするのが手入れ師のスタートライン。

手入れ師のスカウトを受け、講習を受ける時点で殆どが手入れ師になれるが、これを取得しなければ、本丸へ行き、刀剣男士の手入れをする事が出来ない。
鈴がこの本丸に派遣されたと云う事は、数種類の手入れ方法を身に付け、手入れ師の資格を得た事になる。

鈴が一番しっくりきた方法が手入れする刀剣男士の身体の一部に手を当て、自分の霊力を注ぎ込む方法だった。
だが、この方法には欠点があり、直接、霊力を注ぐ事で、鈴の霊力が手入れする度に急激に減る事だった。

例えるなら、浴槽に張った水を継ぎ足しせずに使うようなもの。
一度減ってしまったら、時間の経過と共に自然と回復するのを待つしかなかった。

その欠点故に、粟田口を連続で手入れした時、新撰組の刀を連続で手入れした時。
その時に霊力が底を尽き、倒れてしまった。

自分には、しっくりきた方法だったが、この本丸では、あまり役に立ちそうなモノではなかったらしい。
それで、新たな方法として、手伝い札を使う方法を使う事にした。


だが、これには問題がいくつもあった。

まず、前提として手伝い札がなければならない。
この段階で手伝い札がなければ、この方法は使えない。
鈴は手入れ師であって、審神者ではないから、刀剣男士を戦場や遠征へ出し、手伝い札を集めて貰う事は出来ない。
彼等を戦場や遠征へ出すのは、審神者しか許されていないからだ。

次に本丸が自分の霊力で満たされるまで使えない事。
今回は、思ったより早く、自分の霊力が行き渡っていた。
先程の例えを使うなら、浴槽だけでなく家全体に自分の霊力が行き渡っているから、この問題はクリア出来た。

もう一つの問題は、直ぐに手入れが出来ない事。
本丸に満ちている霊力を対象である手伝い札に満たす為に時間を置かなければならなく、半日程かかってしまう。

出来れば、傷だらけの刀剣男士にそんな酷な事言いたくない。
だが、今の鈴には、この方法がベストだと考え、必要な物や環境が揃っていた。
だからこの方法を選択したのだが、やはり想像していた反応で苦笑いが出てしまったのは、仕方ない事だろう。

鈴の言った事を見聞きした石切丸達は、どうしたものかと顔を見合わせた。
既に鈴と時間を過ごした彼等の話しを聞くに、信頼出来る人間だ。
手入れ方法は随分と変わっているが、そんな方法でも出来るらしい。
だが、直ぐに、と云う訳ではなく半日程の時間を要するみたいだ。

長らくこの状態で放置されていた。
その身としては、早く手入れをして欲しい限りだが、鈴が来る前に聞いた話しでは、酷い中傷の打刀四振りと脇差一振りの手入れをして倒れた。
それなら自分達、大太刀に槍に薙刀は、鈴にとって非常に辛いものになるのは確実だ。

例えばの話し。
鈴を何とも思わない人間なら、倒れようが構わない。
勝手な話しかもしれないが、手入れされ、傷のない身体に戻れるなら、そんな事、知った事ではない。

だが、鈴は別だ。

鈴が来た事で、本丸が清浄になりつつあった。
鈴のお陰で本丸に明るい話し声が、笑い声が響くようになった。
鈴のお陰で、また食事が出来るようになった。

そんな鈴に好意を持ち、手伝う事を名乗り出たのだ。
感謝こそすれ、無下に出来ないし、自分だけ良くなる為に彼女だけを犠牲に出来る訳がなかった。

手入れは直ぐに出来ず、半日後になる。
別にそれでも良いのではないだろうか。

長い間、この状態でも何とかなったのだ。
半日なんて、それまでに比べるとあっという間だ。

それぞれがその考えに至り、自然と頷いていた。


「今は嬢ちゃんを信じるしかないしねぇ」

「そうですね…、今は貴女を信じましょう」


大太刀兄弟のその言葉に張り詰めていた空気が絶ち消えたのが分かった。

それに対し、ホッと息を吐いたのは鈴だけでなかった。
初日から鈴と一緒に過ごしている、伊達の刀、鈴に対し暴走気味の三日月とそれに付き合わされている小狐丸。
闇に堕ちかけていたところを鈴に引き上げられた鯰尾と骨喰、鈴を"主"としている粟田口。
そして昨日、鈴に手入れをされた新撰組の刀達。

今日から加わる七振り以外の者が安堵した。


「手入れ師殿、少し良いでしょうか」

「はい、何でしょう?」


凛とした、力強い声。
それは、鈴に恩義を感じ、部屋から出て来た蜻蛉切だった。
その蜻蛉切の声に反応したのは、鈴だけでなく、他の者もだった。

鈴は真っ直ぐ蜻蛉切の目を見た。
正直、心臓はバクバクで顔は引き攣ってしまいそうだったが、必死に冷静に努めた。


「その手伝い札にどのように霊力を集めるのでしょうか?」


蜻蛉切のその言葉に皆が、あ、と、鈴を見た。

確かにどうやってピンポイントで霊力を集めるのか。
そう言われてみれば、疑問に感じて仕方なかった。

そう思って鈴を見たが、鈴は蜻蛉切はおろか、その場に居た刀剣男士すら見ていなかった。

不自然な程に変な方向に目線がいっているのだ。
それを見て、鈴は何かを隠しているとの考えに至るまで時間はかからなかった。

そんな鈴を見て、ずっと無言を貫いていた大倶利伽羅が動いた。
鈴の前まで来ると、鈴の前にしゃがみ込み、鈴の顔を自分の方へ向かせ、そして鈴の目を、その琥珀色の瞳でじっと見つめた。

隠す事は許さない。
そう言っているような瞳に鈴は口をきゅ、と固く結び、黙秘の姿勢をとった。

鈴がこんな頑なになるのは、初めてだった。
いつもなら、困惑しながらも口を開くのに、今回は絶対に言うもんか、と言っているようで、大倶利伽羅は眉を吊り上げた。
鈴の片頬を少し抓ってみたが、鈴は相変わらずだった。


「何を隠している」


痺れを切らした大倶利伽羅がそう口を開いた。
無言のまま数分間、鈴をじっと見つめていた大倶利伽羅の声は、心配の色を含んでいて、鈴が見た大倶利伽羅の表情は、普段の彼からは、想像出来ない程に情けない顔をしていた。

そんな大倶利伽羅を見て、鈴が動揺しない訳がなかった。
眉を下げ、困ったように視線を動かしたが、言わなければ、ずっとこの状態な事は分かった。
何より、大倶利伽羅にこんな顔はさせたくなかった。

彼には、こんな顔は似合わない。
さりげなく自分を助けてくれる、強い彼でいて欲しかった。
そんな彼でいて欲しいのに、自分のせいでこんな表情にさせてしまったかと思うと自分を許せそうになかった。


「分かりました…、お話しします。ですが、その事について、皆様のお言葉はお受けしない事をご了承下さい」

「……、分かった」


鈴の声は、はっきりとしていた。
意志が強いその言葉に、大倶利伽羅は頷くしかなく、この場は引き下がるしかなかった。
大倶利伽羅だけでなく、七振り以外の皆もそうだった。

こうなった鈴は、意見を変えないし、引く事もないからだ。


「手伝い札に霊力を集める方法…、でしたね。まず、手伝い札に印を付けるんです」

「印…、?」

「ええ。私の霊力がそこに集まるように目印を。私は、この仕事を始めるまで普通に暮らしていました。ですので、他の方と違って、陰陽道に詳しくありません。なので目印を付ける簡単方法として、私の一部をこの手伝い札に付ける必要があります」


鈴の言葉を一言一句、聞き逃さないよう、耳で聞き、頭で整理していたが、彼等の中でその内容に嫌な予感が掠めた。


「一部…、って、何だ」


大倶利伽羅が、そう尋ねた。
その嫌な予感は当たって欲しくなかった。
そんな予感、外れて欲しい。


「私の血です。手伝い札に私の血を垂らして印を付けると、それが目印になって霊力が自然と集まるようになります」


鈴のその言葉に絶句した。

血を目印にする。
それは、鈴がその身に傷を付けると云う事。


「批判の言葉は聞きません」


念を押すように鈴は、そう言った。
それも大倶利伽羅が"やめろ"と言おうとした、その時に。
先にそう言われては、何も言えなかった。

最初に鈴に言われていた。
自分達の言葉、この場合、反対意見は受け付けない、そう言われて、自分達は受け入れた。
こんな事なら、最初から反対していれば良かった。

後悔しても遅い。
鈴は、七振りに手入れする事を約束してしまった。

九十九神でも神だ。
神と交わした約束は、守らなければならない。


「何故、私達にそこまでするのですか」

「…、私は手入れ師です。皆様の傷を癒す為に遣わされたのです。皆様の為なら…、どんな手段も使います」


鈴は、そう言った。
はっきりとした声で、何の迷いもなく、そう言ったのだ。

鈴は、本当にそう思っている。
本当に手段を選ばず、自分の身を傷付けてでも、自分達を手入れするつもりだ。

鈴みたいな人間が、まだ存在するなんて思ってもみなかった。
まるで、あの人のような、そんな人間がまだ居たなんて、夢の世界の事のようだった。


「どれぐらい、」

「はい?」

「どれぐらい切るんだ」

「ほんの少しです。表面だけ薄く切るだけです」


大倶利伽羅が鈴にそう聞いた。
鈴は一瞬考えたが、素直に本当の事を話した。

場所によっては、浅く薄く切るだけで、短い時間でも血が流れる。
その場所を切れば、それ程、痛みがなく、事は済む。

鈴のその言葉を聞いて、誰もが心の底から安堵の息を吐いた。
もし、手首をざっくり切ってしまったら、どうしようかと思ったぐらいだ。


「俺が切っても…、良いか?」

「大倶利伽羅、様…、が…、ですか?」

「斬る事は慣れている」

「ですが、こんな事…、頼めません」

「拒否権はない」

「そう、言われましても…」


まさか、大倶利伽羅がそんな事を言うなんて、全く予想していなかった。
それは鈴だけでなく、同じ伊達の家で過ごした、鶴丸も燭台切も、鈴と同じように驚いていた。

だが、大倶利伽羅にそんな事頼めない。
大倶利伽羅だけでなく、他の刀剣男士にも頼むつもりは端からなく、鈴は自分の手でするつもりだった。

だから断ったのだが、拒否権はないと言われてしまった。
しかも、大倶利伽羅の目を見ると真剣そのもので、自分の本体を手に持ち、拒否権等、最初から無いのだと悟った。


「本体で…、されるつもり、ですか?」

「問題はない。斬れ味は保障する」

「確かに斬れ味は抜群だと思いますが…」

「何で切るつもりだった」

「持って来ていたカッターナイフで、と思ってましたが、」

「そんな物、使う必要はない」

「はい…、」


ぴしゃり、と、そう言った大倶利伽羅に鈴は、良い返事をするしかなかった。

どっちにしろ、諦めるしかなかった。

鈴はジャージの袖を捲り、大倶利伽羅の目の前に腕を差し出した。
だが、それを見た薬研が焦り、ストップをかけた。


「ちょっと待ってくれ!その前に切った後のお嬢の手当てする道具を用意させてくれ!」


これ程までに声を張り、焦った薬研を見た事があっただろうか。
長兄である一期一振も脇差の兄二振りも二度見した程だった。

だが、薬研の言う通り、鈴の傷を手当てする物を用意しなければならなかった。
その薬研の言葉に鈴と大倶利伽羅は顔を見合わせ、薬研の方を向くと同時に頷いた。

それを見た薬研はホッと息を吐き、薬研を中心に機動のある短刀達が、素早く道具を揃え、忘れた物はないかとチェックし、やっと薬研の許可が出た。

大倶利伽羅の前に再び腕を差し出すと、彼は、すらり、と鞘から刀身を抜いた。
鈍色に光る刀身は、一言で表すと美しかった。
それも、危険な程に。

刀身を食い入るように魅入っていると、何故か大倶利伽羅にペチリ、と額を叩かれた。
それに思わず彼の顔を見ると僅かにだが、頬が赤くなっていた。


「…切るぞ」

「はい……、っい、ッ、つ…、!」

「これで大丈夫か?」

「っ、ええ、大丈、ぶ…、です、」


すぅ、と、肌を撫でただけで、皮膚は切れ、切った所からは、タラタラと血が流れ落ちた。
痛みに顔を歪めたが声は必死に唇を噛み締め耐えた。

鈴は、流れ落ちる血を側に寄せていた手伝い札にぽた、ぽた、と血を落とした。
七枚の手伝い札に血を数滴落とすと、印付けは終わり、直ぐ様薬研が駆け寄ると、鈴の傷口を圧迫し、手当てを始めた。


「後は半日程、お待ち下さい」


痛い筈だ。
斬れ味の良い刃で身体の一部分を切ったのだ。

自分達の元主が生きていた時代の主な武器は刀だ。
その時代、刀剣は身近なものだった。

だが、鈴の時代は違う。
自分達、刀剣は、博物館の展示でしか見る事が出来ない。

博物館に寄贈され、年に数回の展示の時には、沢山の人間が自分達を見に来た。
それも物珍しそうに。

今の時代の人間には、自分達は珍しい展示の存在でしかない。
刀身を見れば、その鋭さに多少なりとも恐怖を抱いたかもしれないのに、鈴はそれに耐えた。

鈴は、どれだけ強い女性なのだろうか。
ただ、それだけに、鈴が折れてしまった時の鈴が心配でならなかった。


「今日は皆で昨日の続きをします。早く買った種や苗を植えましょう!」


薬研に手当てされた鈴は、腕に巻かれた包帯を隠すように袖を元に戻すとそう言った。

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