キミが逃げるから捕まえるんだよ?
はぁ、と深い溜め息を吐きつつも、鈴は手の動きを止める事無く動かし、寝間着から正装へと着替えていた。
外は雲が空を覆っているが朝の清々しい空気に包まれており、本来ならばこんなにも気の重い朝の筈がなかったのだが原因は起きた時にあった。
昨夜の三日月と小狐丸の来訪、そして抵抗空しくされた行為。
それに疲れ果てたが、眠ろうにも眠れずやっと寝付けたのは朝方になってから。
寝付く直前は確かに一人だった。
一人だった筈なのにふと意識が浮上すると両隣に気配を感じ重い瞼を開けるとそこには何故か骨喰と鯰尾の姿。
しかも安心しきったかのように穏やかに眠っていたのだが居る筈のない二振りの姿に驚いてしまい金切声のような悲鳴を上げ、それに驚いた二振りが飛び起き、その悲鳴を聞き付けた燭台切が飛び込んで来るなど経験する事はないと思っていた事を一度に経験してしまった故に朝から疲れ果ててしまい深い溜め息を吐く事になってしまったのだ。
気が抜けると出てしまう溜め息。
それを何とか抑え込み、姿鏡を覗き最後に身嗜みを確認し、疲れが取れていない顔をパシッ、と強く叩き気合を入れると見計らったかのようなタイミングで骨喰と鯰尾が障子戸を何の遠慮もなく開けた。
障子戸なのだからノックをして欲しいとは言わないが、せめて一言声を掛けてから開けて欲しかった。
それなら着替え終わっているのに着替え途中を見られたかのように胸元を隠す格好をしなくても済んだのだ。
着替え終わった人がすると何とも間抜けな格好になってしまう。
暫くお互いにきょとん、とした表情をしていたのだが、先に我に返ったのは鈴の方だった。
「ほ、骨喰様に鯰尾様、えーと、もう着替えられたんですね?」
胸元を抑えていた手を解きながら二振りを見てそう言った鈴。
そんな鈴に骨喰と鯰尾は双子のように同じ動作で顔を見合わせ、鈴に再び目線を遣ると骨喰は少し目を細めこくんと頷き、鯰尾はにっこりと微笑みながら頷いた。
「お姉さん、その服は?」
「え?ああ、これですか?」
不思議そうに鈴の服を見ながらそう尋ねる鯰尾に鈴は自分が今身に着けている服に視線を落とした。
本来ならば昨日、此処の本丸に着任した時点で着ていなければならなかった正装だったのだが、そもそも審神者や手入れ師が身に着ける正装は全て政府からの支給品。
本丸に着任する時点で支給されなければならないのだが、政府側のミスで鈴の正装衣装が着任時に間に合わなく、本丸に着任すると云うのに昨日の鈴の服装はオフィスカジュアルだったのだ。
対面時にその服装だったものだから、骨喰と鯰尾はこの鈴の見慣れない正装衣装に疑問を感じずにはいられなかったのだ。
「手入れ師の正装衣装なのですが、政府側のミスでこの本丸の就任時に間に合わなくて…、お二人を見送ってから布団を仕舞おうと押入れの中を見るとあったので…」
どうやって押入れの中に気付かれずに送って来たのでしょうか…
そう不思議そうに呟いた鈴に骨喰と鯰尾は確かに、と思わず頷いていた。
一体どのようなシステムなのか…、それは分からないが思わぬ時に物が届く時が度々あった。
刀剣男士は気配に敏感だ。
それなのに自分たちが全く気付かない程、自然と知らないうちに届いているのだ。
自分たちがこうして顕現してからの刀剣男士七不思議の一つになっている事を政府は知らない。
「でも、うん、似合ってますよ、その服装!」
「へっ?!あ、え、ええっ?!」
「兄弟・・・」
「え、何か悪い事した?!」
悪気のない鯰尾の一言。
確かに男兄弟の中で育ったし、何人かとお付き合いもした。
それなりの経験はしていた鈴だったが、こんなにもストレートに褒められた事がなく、嬉しさや恥ずかしさより驚きの方が勝ってしまって、言葉が全く出てこず手だけがバタバタと動いているだけだった。
当の鯰尾は何も分かっておらず、本当に不思議そうにしていて、鯰尾の相棒とも言える兄弟刀の骨喰は、彼に純粋さが戻った事が嬉しくもあったが呆れてしまい、そんな骨喰を見て鯰尾が更に不思議そうに首を傾げていて、骨喰はつい鯰尾の尻を抓ってしまった。
「良く分かんないけど…、じゃあ行きましょう!」
「えっ、行くって…?」
「朝餉だ」
「朝餉…?えっ、朝御飯ですか?!」
「行きますよー」
そもそも朝食の為に呼びに来た骨喰と鯰尾。
朝、自分たちのせいで悲鳴を上げた為に燭台切が部屋まで駆け込んで来た際に耳打ちされていたのだ。
きっと彼女は一緒に朝餉を摂らないから引っ張ってでも広間に連れて来て、と。
それはどうしてなのか、と素朴な疑問として尋ねると昨夜厨の掃除の流れで夕餉を食べた後に言った鈴の一言を隠す事もなく骨喰と鯰尾に伝えた燭台切。
その燭台切の言葉に骨喰と鯰尾は否とは言わず彼の言葉を引き受け、脇差ならではの機動で部屋まで戻り着替え、こうして鈴の部屋まで迎えに来たのだ。
こうして強引にやってしまえば、鈴は強く否とは言えない筈だ、と燭台切に言われていたのだが、どうもそれは本当だったようで半ば強引に手を引っ張っているにも関わらず抵抗らしい抵抗もなく付いて来ている。
骨喰と鯰尾の中で見てきた人間は幾人かいるが、本当に嫌なら踏ん張って足を止めるなり、手を振りほどくなり出来る筈なのに鈴は全くそんな素振りを見せない。
きっとこの鈴は自分たちが思っているより優しい人間でそれ故にあれ程まで霊力が澄んでいて心地の良いモノなのだ。
そんな事を思いつつも燭台切に言われた広間へとやって来た鈴と骨喰と鯰尾の二振りと1人。
広間に近付くにつれ鼻を擽り空腹感を思い出させるかのような匂いを感じる頃には骨喰と鯰尾の空腹感は絶好調で何度もぐぅ、と音を鳴らした。
この二振りが今頭の中にあるのはただ、腹が一杯になるまでご飯を食べたい、それしか考えていないのだが問題は鈴の方だ。
昨夜、他の刀剣男士の事を考えて厨に入らない、食事も別にする、と言ったばかりなのに骨喰と鯰尾に連れられたからと言って、こうして広間まで来てしまった。
たった一晩で早速言った事を破るような事になってしまって、鈴は抑え込んだ溜め息が再び復活しそうな気配がして口元をきゅ、と引き締めた。
きっと今の鯰尾や骨喰に何を言っても無駄だ。
ただでさえ久し振りの食事の匂いに誘惑されていて聞く耳を持ってもらえない。
隣の二振りから聞こえる腹の音から鈴は、そう察した。
「お、おはようございます・・・」
「あ、おはよう。朝餉出来てるから適当な場所に座って!運んでくるね!」
広間に来ている事は既に気付かれてはいるだろうが、出来るだけ存在を隠そうとそろりとした足運びで広間へと入り、肩身の狭い思いでちら、と中の様子を窺うと燭台切は昨夜の胸元がパツパツなピンクのエプロンを身に着け、欠伸を噛み殺していた大倶利伽羅の前にお椀を置く。
鈴が来た事に気付くとパァッ、と表情を明るくし満面の笑みを浮かべ鈴に座るよう促し、足早に広間から出て行ってしまった。
自分の両側を骨喰と鯰尾に挟まれ、気付くと腕を組まれホールドされてしまっている鈴は、視線だけ動かしどのような刀剣男士がいるのか確認した。
先程目に入った大倶利伽羅は机に頬杖ついてこちらを見ており、鶴丸は寝そべりながらこちらを見ている。
そして余りの事に動転していて気付かなかったが、今鈴を悩ませている張本人の三日月と小狐丸まで居た。
燭台切、大倶利伽羅、鶴丸が朝食を摂るため此処に居るのは分かるのだが、どうして三日月と小狐丸までいるのか。
昨日、燭台切達は別れた時点で三日月達がどのような動きをするのか、鈴をどう思っているのかは知らない筈だ。
しかも鈴がこうして食材を購入し用意した事も知らなければ、朝・昼・晩と食事を摂れるようになった事も知らない筈なのにどうしてこうも自然に座っているのか。
思わず顔をしかめたそんな鈴の様子に気付いたのか骨喰と鯰尾はきっ、と三日月と小狐丸を一睨みし、ホールドしたままの鈴を引いて二人から離れた場所に鈴と共に腰を下ろした。
腰を下ろした場所は三日月と小狐丸とは離れた場所で、かと言って大倶利伽羅や鶴丸と近い場所でもない、そんな場所だった。
当然、三日月と小狐丸、大倶利伽羅や鶴丸は目を丸くして驚いたのだが、そんな変化に気付きつつも素知らぬ振りをする骨喰と鯰尾の様子に三日月と小狐丸は面白そうに目を細め、大倶利伽羅は不機嫌そうに鶴丸は面白い物を見付けた子供のように表情を輝かせた。
グサグサと自分に注がれる視線に耐えきれず、鈴はその視線から逃れるように明後日の方を向き、ただ視線の雨に耐えるしかなかった。
その状態が少し続き流石に耐えきれなくなった時だった。
意識を別の場所に向けていたからか、こちらに近付いて来る昨日一日で覚えた神気。
それは燭台切の神気で彼ならばこの空気を変えてくれるかもしれない、と淡い期待を抱いた鈴だったのだが、それは直ぐに砕ける事になる。
鈴が燭台切に抱いた淡い期待に鯰尾と骨喰が気付いた。
どうして鯰尾や骨喰が気付いたのか、それは鈴が祈りを込めて自らの霊力をゆっくりと時間をかけ彼らに送り、そのお陰で鈴の気持ちの変化が自分の中に流れる鈴の霊力を伝い二振りに伝わったのだ。
だから二振りが鈴と一緒にこの広間に来た時、三日月と小狐丸を見付けた時の鈴の変化を敏感に感じ取り、三日月と小狐丸の二振りを牽制し、わざとらしい態度で離れた場所に座り今の二振りに出来ないような事を見せつけるかのように行動した。
結果として三日月と小狐丸は感情を表に出したし、飛び火した大倶利伽羅と鶴丸も面白い反応を見せた。
ある意味優越感に浸っていたのに燭台切がやって来たのだ。
当然面白くない二振りはむっ、とした表情になり、鯰尾はぎゅう、と力強く鈴の腕に抱き付き、あの骨喰までも鈴の手をぎゅ、と握り締める行動に出た。
本丸に配属される前に受けた講習で、ある程度の刀剣男士の顕現した基本的な性格や嗜好等も叩き込まれた。
講習が終わった後も独自に調べ刀剣男士の歴史や歴代の主を調べたりもした。
鯰尾はまだ分かる、彼は結構行動に出るタイプだ。
だが骨喰は決してそうゆう行動に出るタイプではないのに今こうして行動に出た。
そんな骨喰に鈴は当然驚いて、彼の顔を思わず覗き込むと彼の頬は薄く赤く染まっており、咄嗟の行動だったのか今更に羞恥心に襲われている事が見てとれた。
骨喰の反応に鈴も何故か羞恥心に襲われ顔に熱が集まるのが分かったが、思わぬ誤算にしろ鈴の意識は完全に骨喰に向いており、鯰尾は思わず口元が緩むのが分かった。
鯰尾の表情が目に入った三日月、小狐丸、大倶利伽羅、鶴丸の四振り。
鯰尾の表情を見て目を丸くするどころではなく、鶴丸に至っては顎が外れるのではないか、と云うぐらいに口をあんぐりと開けていた。
そんなカオスな状態になった広間に何も知らない燭台切が鈴と骨喰、鯰尾の分の湯気の立つ朝食をにこにこと微笑みながら持って来た。
きゅ、きゅ、と廊下の床板の音が大きくなり、朝食の空腹感をそそる匂いも強くなり、皆の視線は一斉に燭台切に注がれた。
当然一斉に自分に向けられた視線に燭台切は戸惑ったが、にこりと笑みを浮かべる事で誤魔化し、だが鈴と骨喰、鯰尾の座った席に首を傾げつつも1人と二振りの目の前に食事を置いた。
「これで全員になる、のかな?」
空白が目立つ席。
今の段階ではそれは仕方がないにしろ、食事当番を任されていた燭台切には寂しいものがあった。
だが、まだこんな状態では皆を揃える事は困難で、だが、たった一日でこれだけ集まって朝食を摂る事が出来るようになった今の状況に燭台切は感謝した。
少しずつだが一歩前に前進している、それが嬉しかった。
「久しぶりに作ったから形が歪だけど…」
すまなそうに眉を垂れさせそう言った燭台切が指しているのは出汁巻たまご。
上手く巻けず破れてしまっていたり、ぐちゃりと形が崩れていた。
以前まで食事当番をしていた燭台切にしてみれば、こんな事恥ずかしい事うえない。
特に前の主である伊達政宗公の刀として、こんな事恥以外の何物でもなかった。
だが鈴や他の皆はそうは思わない。
理由が理由なだけに食事を作ってくれるだけ有難いのだ。
そんな燭台切が作ってくれたこの料理に誰が文句の一つでも言えるだろうか。
燭台切の真面目さや完璧を求める性格故に本人はこうして落ち込んでる訳だが、皆は気にしていない。
唯一、大倶利伽羅だけが苦虫を潰したかのような表情をしているのだが、これは彼にとって燭台切の面倒臭い部分を何の前触れもなく受けてしまい、やり場のない感情を持て余しているだけだ。
三日月と小狐丸。
鶴丸と大倶利伽羅、骨喰に鯰尾、そして燭台切。
順番に視線を動かし、刀剣男士の表情を見た鈴は箸置きに置かれていた箸を手に取り、いただきます、と口にし、その歪な形をした出汁巻たまごに手を伸ばし一口大に切ったそれを口に運んだ。
突然の鈴の行動に皆目を丸くし、鈴の反応を固唾を呑んで見ていた。
出汁巻たまごを味わうように何回も噛み、ごくん、と飲み込んだ。
当たり前だが鈴がそれを”食べた”と云う事で作った本人の燭台切は勿論、他の皆も緊張していた。
たんに旨い、不味いかの反応に緊張している訳ではない。
旨ければそれはそれで良いのだが、不味ければ特に皆にとっては恐怖だ。
それはどうしてか、と言われると、前任が関係している事だった。
前任も最初は良い人間だった。
既に在ったこの本丸を引き継ぎ、新人には難易度の高い時代や検非違使相手にも懸命に兵法を学び自分達を上手く使い戦って来た。
でも、それも長くは続かず、前任は次第に狂うようになり、最初にそれを感じ取ったのは短刀の刀達だった。
ほんの些細な事だが前任と距離を感じるようになった、と、自分たちの兄弟刀や親しい刀に漏らすようになり。
そして次は、線が細く見目が麗しい刀剣が前任から妙な視線を感じるようになった、と漏らすようになった。
結果として、色に狂い夜伽の強制が始まり、中傷の強制進軍、中傷・重傷の放置。
そして今のこの状態になってしまったのだが、前任の狂い始めた兆候の一つとして、燭台切や一緒に食事を作っていた刀剣の前で嫌悪感を露わにし”不味い”と何度も口にしたのだ。
前日までは幸せそうな表情で”美味しい、今日もありがとう”と言っていただけに燭台切達にとって心に深い傷を負わせてしまい、ついに燭台切や厨当番をしていた刀剣は食事を作らなくなった。
昨日、燭台切が食事を作ったのは奇跡にも近かった。
昨日はドタバタとした一日で燭台切も目が回りそうで流れでつい、作ってしまった。
そして久し振りの食事で本丸きっての食いしん坊の大倶利伽羅や鶴丸も以前のように自然な流れで食べてしまった。
我に返ったのは自室に戻って布団に横たわった時だった。
燭台切は簡単であれ食事を作り、そして見知らぬ人間に振る舞った事。
大倶利伽羅と鶴丸は久方ぶりに燭台切の食事を口にした事。
全て自室に戻り横になってから気付いた事だった。
燭台切はその時に前任に負わされた過去を思い出し、体が震えてしまったがふと思い出した。
鈴や大倶利伽羅、鶴丸は何も言わず美味しそうに平らげてくれた。
それを思い出すと体の震えは止まり、少し、ほんの少しだがあの時の表情をもう一度見たい、と感じるようになって、こうして不安が大半を占める中、朝食を作ったのだ。
前任が燭台切含める厨当番にした行為を知っているだけに、三日月達は敏感に感じ取って、鈴の反応を見守った。
ぎゅ、と自分の手を握り締める燭台切。
体が恐怖で震えないよう、気付かれないようにゆっくりと深めの呼吸を繰り返し、何とか自分を落ち着かせていた。
鈴自身に注がれる視線。
先程までなら気まずく戸惑ったが今回はそうはならなかった。
どうして皆が此処までピリピリした雰囲気にしているのか分からない。
分からないのだが、自分の反応を待っている事だけは分かったからだ。
「…ん、美味しい」
「っ!!」
「凄く美味しいです、味付けも優しいですし、少しふわっとしていて口に入れた瞬間とろけるようで…」
病み付きになりそうです。
ふにゃり、と幸せそうに表情を緩めた鈴に燭台切は言葉に詰まった。
前任から言われ続けた言葉。
最初はあまり気にしないようにしていた。
前任と自分の生きた時代は違う。
燭台切が最も料理に近い所で生きた時代は伊達政宗公の時代。
それと違い前任は2200年代の人間で味覚が違う事は分かっていた。
だから”不味い”と言われた時は、我慢の限界なのだろう、と思ったし、前任を責めはしなかった。
しなかったのだが、日々言われる言葉に心に傷を負って自分は逃げ、料理から離れてしまった。
逃げても仕方ない、お前が気に病む事はない、と、仲間に何回も励ましてもらったし、許して貰えた。
だが、毎日ふとした瞬間に考えてしまっていた。
本当に逃げても良かったのか、と。
逃げて自分は楽になったかもしれない。
なったかもしれないが、そこで成長が止まったような気がした。
中傷で何回も出陣させられた。
その度に何度も仲間に守ってもらった。
仲間は”お前を折らせない、当然の事だから気にするな”、出陣する度に自分を安心させるかのように、そう言ってくれた。
では、自分は?
自分は仲間に何かしてやれただろうか?
そう、何もしてやれていなかった。
普段自分が言ってた”恰好良く決めたい”と言う言葉。
何が恰好良く、だ。
今の自分のどこが恰好良いのだ。
だが、先程の鈴の言葉。
それで救われたような、そんな気がした。
「ほんとう、に…?」
「??」
「美味しい、?」
「…ええ、美味しいです、凄く美味しいです」
唇をきゅ、と結びながらも、縋るかのような声音で鈴に問う燭台切に鈴はしっかりと燭台切に目を合わせ、言葉ひとつひとつをしっかりと紡ぎ、最後に安心させるかのような穏やかな笑みを浮かべた鈴に燭台切の涙腺はついに崩壊してしまい、そのまま顔を伏せ肩を震わせてしまった。
燭台切の涙を見た瞬間、同じ主に使われていた、鶴丸と大倶利伽羅は今にも駆け寄ってしまいそうな程腰を浮かせてしまい、心なしかどうしていいか分からない表情をしている。
三日月と小狐丸はホッとしたような安堵な表情を浮かべていて、骨喰と鯰尾は今にも泣きそうな表情をしていた。
「…ご飯は冷めたら美味しさが半減しちゃいますから」
食べませんか?
皆の反応にどうしていいか分からなく、何とか絞るように口にした言葉だったのだが、特に不振がられるような事もなくそれぞれ箸を手に取り、食べ始めた。
燭台切も袖口で目元を拭い、箸を手に取ったのを見て、鈴は安堵の息を吐いた。
ピリピリとした空気も無くなり、次第に和気藹々とした食事風景になった時だった。
ハッとした表情をした燭台切がちら、ちら、と何回も鈴を見ており、それに気付いた鶴丸がこてん、と首を傾げた。
「光坊、どうかしたのか?」
「え?!いや、あの…、うん」
急に鶴丸に声を掛けられたからなのか、燭台切の肩はびくっ、と跳ね鶴丸に視線を移したが、困ったように視線を彷徨わせ、鈴を数秒様子を窺うように見つめると意を決したかのように口を開いた。
「ちょっといい、かな?」
「どうかしましたか…?」
「キミにこんな事訊くのは間違ってるかもしれないんだけど…」
「??」
「今日はどうするか、とか…、予定決めてるの、かな?」
燭台切のその言葉に鈴は、ああ、と思い付いたように頷いた。
燭台切が今日の予定を鈴に訊ねるのを躊躇ったのは、鈴が手入れ師だから。
本丸の主の審神者ではない、手入れ師なのだ。
引き継ぎとして就任した審神者にならば、何の躊躇いもなく訊く事が出来ただろうけれど、鈴は手入れ師であって審神者ではないのだ。
手入れ師と云う存在は、刀剣男士を戦わせる事でも本丸を改善する存在でもない…、傷付いた刀剣を治すのが手入れ師と云う存在なのだ。
そんな鈴に今日は本丸をどうするのか、それを訊くのが場違いな事ぐらい燭台切は分かっていた。
だが、そんな燭台切の心情等気にしてないかのように鈴はううん、と考える素振りを見せ、暫く考えたのち何か思いついたように口を開いた。
「今日はそうですね…、お風呂掃除をしましょう」
鈴から今日の予定を聞くや否や、訊ねた本人である燭台切含め、皆が顔を顰めた。
長い間使っていない、大浴場の広さの風呂掃除をする、それがどんな苦労を伴うのか簡単に想像出来たからだ。
そんな皆の表情を見た瞬間、鈴は焦った。
強制的に出陣させられ、酷使された刀剣男士にとって、これもそれに当て嵌まるのではないか、と思った鈴は焦るように口を開いた。
「嫌なら私一人で大丈夫です…!」
その間ゆっくり寛いでいて下さい。
慌てたように手をバタバタと動かし、そう言った鈴に皆は後ろめたい気持ちで咄嗟に鈴から目線を外した。
鈴は手入れ師なのにそれ以上の事をしてくれようとしている。
それなのにこの本丸の住人でもある自分たちが協力しなくてどうするんだ。
自分たちの自己中心的な考えは鈴に対して失礼だ。
改善しようとしてくれている鈴に歩み寄らなくてどうする。
「…分かった」
「え、伽羅ちゃん…?」
「大倶利伽羅様…?」
はあ、と溜め息を吐いた大倶利伽羅がそう言った。
突然の事で何の事か分からなかったのは燭台切や鈴だけではなく、他の面々も不思議そうに大倶利伽羅を見たのだが、一気に自分に集まった視線に耐えられなくなった大倶利伽羅は小さな舌打ちを一つ打ち、眉間に皺を寄せそっぽを向いた。
暫くしん、と静まった広間だったが、今度は鶴丸がはぁ、と諦めたような溜め息を吐き頭をガシガシと掻いた。
あの大倶利伽羅が珍しく協力する姿を見せたのだ、若い刀に先を越されてばかりだと年長者の自分が不甲斐なく感じてしまったのだ。
「伽羅坊がやるんだから俺も何かしないと、だな」
「そうだね…、僕もやるよ!」
未だにそっぽを向いたままの大倶利伽羅。
だが、そんな大倶利伽羅に構う事なく彼の側に寄った二振りに彼の表情は嫌そうに歪められたが、鶴丸と燭台切にはそれが彼の照れ隠しだと分かっていた。
そんな三振りに釣られるように今度は鯰尾が身を乗り出し手を挙げながら口を開いたが、そんな鯰尾に骨喰は彼の服の裾を掴み座るよう促したが、そんな骨喰の意図など気にもしないかのように鯰尾は更に身を乗り出した。
「俺、厩舎の掃除でも良いですか?!」
「厩舎…、良いのですか?厩舎の掃除って大変そうですが…」
「俺と骨喰は厩舎の当番をしている事が多かったですから平気です!」
目をキラキラと輝かせながらそう力説する鯰尾に他の面々は、馬糞、の文字が頭に浮かんだのだが、今この本丸には彼の嫌いな人間は居ないし大丈夫だろう、と完結させた。
「それでは、鯰尾様と骨喰様は、厩舎の掃除をお願いしても良いでしょうか?」
「任せて下さい!」
「任せてくれ」
胸をどん、と叩き厩舎の掃除を担ってくれた鯰尾と骨喰に鈴は頭を深々と下げ感謝した。
鶴丸、大倶利伽羅、燭台切は風呂掃除。
骨喰、鯰尾の二振りは厩舎の掃除。
こうして役割分担が出来たのだが、問題は三日月と小狐丸の二振りだった。
この二振りがこうして広間に来たのは、様子を見たかったからだ。
昨夜少しだけ見た様子だと鶴丸含め、伊達で共にした面々は少なからず鈴に好感を持っているように見えた。
だが昨夜は遠くから見ただけで、余り良くは分からなかった。
だからこうして一緒に過ごしてみる事で観察していたのだが。
まさか、あの鶴丸をここまで積極的にさせるなんて…、鶴丸に近しい立場からしても驚きを隠せなかった。
でもそれと同時に鈴に興味を持った。
昨夜、鈴にはあんな事を言ったが、もう少し近い場所で見て、関わりたくなってしまった。
たった一晩。
それだけしか時間が経っていないのに考えを変えさせる鈴に今まで感じた事のない感情が渦巻くのを頭の片隅でぼんやりと思った。
「それなら俺も手伝うとするか」
ほけほけと口元を隠しながらそう言った三日月。
三日月の尽きない探究心を感じ取った小狐丸は、はあ、と深い溜め息と吐いたが、鶴丸達は口をあんぐりと開けた。
こりゃ驚いた…、ぼそり、と小声でそう漏らした鶴丸の言葉に燭台切達は口を大きく開けたまま、首振り人形みたいに何度も頷き、鈴は驚きのあまり固まってしまった。
「ん?じじいには手伝わせてくれんのか??」
その三日月の言葉に鯰尾と骨喰の口の端はピクピクと引き攣っており、今にでも一発拳骨でも食わせそうな雰囲気に小狐丸は、先程より深く重い溜め息を吐いた。
三日月は何が楽しいのか、今日に限ってこの脇差兄弟を挑発するような事ばかりしている。
それがどうしてなのか、兄弟刀とも言える小狐丸にも理解出来ない程、それはあからさまでいつその爆弾が投下されるのか見当もつかず久方ぶりに爽やかな朝を迎えた筈なのに空のようなどんよりとした気分になってしまい、これ以上何か投下されようなものなら、脇差兄弟が何かしてしまう前に自分が何かしてしまいそうだった。
鈴は三日月の作った悲しそうな表情を見て、困惑したように眉を垂れさせてしまった。
そんな鈴を見て、三日月は満足そうに口元を緩めたのだが、鈴はどうして良いのか必死に考えているようで、それに気付かず。
それに対してもどかしくなった鯰尾が苦虫を潰した顔をしたが、三日月は素知らぬふりで鈴がどのような返答をするのかわくわくした様子で待っていた。
「…それでは、三日月様もお手伝いして頂いても宜しいでしょうか?」
やっと出した鈴の返答に三日月は勿論、他の面々も豆鉄砲を食らったかのような顔をした。
三日月は勿論の事だが、他の面々も鈴が了承するとは思わなかったのだ。
三日月と鈴との間に何があったのかは、骨喰と鯰尾しか知らないが、この広間で対面してからの二振りの距離感を何となく感じ取っていた鶴丸達。
三日月を近くに居させたくないかもしれない、と思っていただけに信じられない気持ちのほうが勝ってしまったのだ。
だが、当の本人である鈴は、多少気まずくはあったものの、人手はあった方が良いに決まっているし、そもそもこの本丸に住んでるのだ。
出来る範囲なら、自分たちで何とか出来た方が良いに決まっている。
だから、了承したのだが、まさかそんな反応が返って来るとは思わず、おろおろとしてしまった。
三日月も夜空のような目を丸くしていたのだが、パチパチと何回か瞬きを繰り返すとふんわりと穏やかな笑みを浮かべた。
「うんうん、よきかな」
口元を隠し、嬉しさを隠す事もなくそう言った三日月に小狐丸がその赤い目を見開いた。
こんな三日月の笑みはどれぐらい見ていなかっただろうか。
暗い陰のある表情をしている事が多かった三日月。
それ以外は興味のなさそうな薄い表情をしていた。
それを知っているだけに驚きが隠せなかったのだ。
それでは着替えてこねばなぁ、と立ち上がり、広間から出て行った三日月を見送ったが、ハッとした小狐丸も追うように立ち上がり、深々と頭を下げて広間を後にした。
昨夜とは正反対な三日月の表情を見て、鈴は白昼夢でも見ているのか、と錯覚してしまった。
だが、三日月のあの嬉しそうな声音を訊いて、鈴は三日月に抱いた印象が少し変わったようなそんな気がした。
「えっと、これは三日月様達が来るまで待機です…、ね」
あはは、と困ったように笑みを浮かべる鈴に燭台切達も同じような笑みを浮かべ、骨喰と鯰尾は内番の作業ジャージに着替える為、広間から出て行き、燭台切と大倶利伽羅も同じ理由で一時退室した。
広間に残されたのは鈴と鶴丸の1人と一振り。
鈴も作業のしやすい服装に着替えるべく与えられた自室に一度戻ろうとした時だった。
ずっと口を閉ざしていた鶴丸が口を開いた。
「キミは昨日、三日月と何かあったのか?」
「え…??」
「昨日、キミと三日月は会っていない筈なのに三日月がどうもキミを気にかけてるように見えてな」
「そう、ですか…」
昨日、夕飯を食べて途中まで自分たちは一緒だった。
だが、鈴に与えた部屋は刀剣男士の自室がある並びの一番奥で、鈴とは途中で別れた。
それからの鈴の行動は知らないが、どうして三日月があれ程鈴を気にかけ、あんな風に子供みたいなちょっかいを掛けるのか、鶴丸は分からなかった。
確かに鈴は三日月が興味を持つには十分な条件が揃っている事は確かなのだが。
「昨夜あれから部屋に訊ねて来られたんです」
「三日月が自分からか?!」
「ええ、私がどんな人間か見に来られたみたいです」
「そ、うなのか…」
そう言ったきり、黙り込んだ鶴丸。
そんな鶴丸を不思議に思いながらも、一言声を掛けたのだが鶴丸は相変わらず黙り込んだままで、困惑しながらも鈴は一度自室に戻った。
着替えて広間に戻ると元から動きやすい恰好をしていた鶴丸はそのままで、着替えた燭台切に大倶利伽羅が戻って来ており。
暫くして、作業服に着替えた三日月と小狐丸がやって来て、既に疲れたような表情をしている小狐丸に対し、三日月はにこにこと笑顔を絶やしていなかった。
「じゃあ、お風呂の様子見ましょうか」
その声と共に一同は浴室へと向かった。
その途中、廊下に積もった埃が気になってしまったが、まずは浴室だ。
長い間使っていない、と言っていた。
と云う事は、黒カビが大繁殖しているのは確実だ。
確実だがどの程度なのかが分からなければ掃除の取っ掛かりにもなりはしない。
大浴場、とプレートが掛かってある所まで辿り着き、その大浴場へ続く引き戸を開けると、その瞬間鼻についたのはカビの刺激臭。
油断していたからかその臭いを思いっきり嗅いでしまった鈴は咳き込んでしまったのだが、息を止めそのまま脱衣所を抜け、風呂場の引き戸を開くと、そこにはタイルの目地に這っている大量の黒カビ。
ざっと見た所、それは至る所にあり、洗面器、風呂用の椅子、湯船の中の目地にまで黒カビは存在していた。
流石に辛くなった鈴は風呂場の窓を全開にして、脱衣所の外で待機していた皆の所へと戻った。
「だ、大丈夫…?」
「は、はい…」
息を止めていたのもあるが、鈴の息は荒く、燭台切がすぐさま駆け寄ってその背中を擦った。
黒カビってあんなに増殖するものなんだ…
息も絶え絶えにそう呟いた鈴の言葉にその場にいた面々はサアッ、と顔を青褪めさせた。
「と、取り敢えず窓を全開にしてきたので少し綺麗な空気を入れてから掃除を始めましょう…」
その言葉に引き攣りながらも、こくん、と頷き返し、やっと息を整えた鈴は持って来ていた端末を取り出し、通販サイトを開いた。
そこで人数分のゴム手袋、大量のラップ、漂白剤はあっても困らない物だから塩素系の漂白剤を多めに、片栗粉も料理に使えるからこれも結構多めに。
あとは作ったモノを入れる容器を人数分、シャンプーにコンディショナーにボディーソープ、石鹸、と入浴に必要な物を次から次にカートに放り込み、購入した。
これも昨日同様、ほんの数十分で届く筈だ。
それまでにこの篭った空気も入れ替えされていて、先程よりかは幾分かマシにはなっている筈だ。
だが注文してから予想に反して、ほんの数分で届いたそれら。
今回もまたさっきはなかった場所に突如、注文した物が入ったダンボール箱が現れた時は驚きのあまり息が出来なかったし、鶴丸は久し振りの驚きに興奮が隠せていなかった。
ドキドキと早鐘を打つ心臓を何とか落ち着かせてから、ダンボール箱を開封し、まずは片栗粉と漂白剤を取り出し、容器、ゴム手袋、ラップも取り出した。
その品々が全く結びつかなく、首を傾げている面々だが、一番に口を開いたのは燭台切だった。
「これでどうするの?」
「これですか?これとこれを混ぜてカビ取り剤を作るんです」
「これとこれ、で…?」
「はい、これとこれで」
実際手に取ってみるが、これがカビ取り剤になるなんて、燭台切は勿論、他の面々も全く想像出来なかった。
それは当然だ、自分もこの裏ワザを知った時は想像出来なかった、だが実際にやってみると面白いぐらいに諦めていた黒カビは取れたし、糊状になるから細かい所や曲線まで綺麗に出来る。
この裏ワザを知ってから、風呂場やサッシの部分の掃除は実家では手入れ師の役割になっていた。
「作るのは簡単ですよ?片栗粉と漂白剤を1対1の分量で混ぜるんです」
説明しながらカビ取り剤を作っていく鈴に燭台切は感心したように頷きながら頭の中に叩き込んでいた。
均等に混ぜてダマもなく綺麗な糊状になったものを人数分作り、それぞれにラップと共に渡し浴室の奥からカビの部分にそれを乗せ、ラップを被せていった。
鈴は少し様子を見て、大丈夫そうだと判断し、自分は洗面器や椅子を外に運び、それらのカビ取りに取りかかった。
でもまさか、あの言葉であれだけやる気を出してくれたのは計算外だった。
まさか”一番風呂”を約束しただけで一目散に浴室に駆け込み中腰になって作業に取り掛かったのだ。
お風呂の効果は凄いものなんだ、と再認識した鈴だった。
カビ取り剤を染み込ませている間に気になった廊下の埃の掃除をし、時間になった所でカビ取り剤を流すと黒カビで見えなかった目地の白さが綺麗に見えるようになっており。
椅子や洗面器の黒カビも綺麗に落ち、まるで新品のようなそれらに頑張った甲斐があったのか、今感じる腰の痛さもやり遂げた証として誇らしいものになった。
綺麗に水で落とした後はまたカビが生えないよう乾燥させるだけだ。
空は曇ってはいるが夕方まで乾燥させれば十分だろう、お湯張りはそれからでも間に合う。
少し先の事を考えたが、急に空腹感を感じた。
端末の時計で確認すると時間はお昼時で空腹を感じてもおかしくない時間帯だった。
鈴が時計を確認したのを燭台切の目に入り、うきうきした様子で厨へと駆け込んで行った。
鈴は流石に昼までも一緒にする訳には思い気付かれないようその場から離れようとしたのだが、がし、と掴まれた自分の腕。
その掴んだ相手を手から腕、そして肩、と視線を動かし確認した時点で鈴の心臓はどき、と音を立てた。
それは…、腕を掴んだのが三日月だったからだ。
「これこれ、部屋に戻るのは見逃せんなぁ」
ほけほけと悪びる様子もなく口にする三日月に鈴はぴき、と音を立てて固まってしまった。
三日月が嫌いな訳ではない。
講習を受けた時に頼りになる刀剣男士だと思った。
だが、昨夜の行為がどうも手入れ師に苦手意識を持たせてしまったのだ。
だが、固まったのは鈴だけではない。
鈴の行動を読んでいた大倶利伽羅と鶴丸も鈴を確保するべく行動に移そうとしたのだが、それより早く三日月が反応して自分達より先に鈴を捕まえたのだ。
まさか三日月がそんな行動に出るとは思っておらず、つい固まってしまったが、やはり内心としては面白くない。
だが、まあ、これで燭台切に怒られる事もなくなったので、かなり譲歩してこの三日月には目を瞑る事が出来た。
広間に戻ると暑さのあまり前髪をちょんまげのように括って額を出している骨喰と鯰尾の姿があり、今夜は風呂に入れると鶴丸が告げると一瞬にして目は輝き喜んだ。
暫く談笑していたが、漂う食欲をそそる香りに腹の虫が納まらなく我慢の限界に達した所で燭台切が昼食を運んできた。
パッとみたところ、天津飯のようだ。
醤油ベースの餡が玉子の上にかけられ、真ん中に赤と白の蟹の身が置かれ、見た目からも空腹感をそそられた。
蓮華で一口掬ってみると、中は白飯ではなく、焼き飯になっており、その焼き飯にも蟹の身が使われていて、醤油ベースの餡の邪魔にならないよう中の焼き飯は少し味は薄めで、少し濃いめの餡とバランスが上手く取れており非常に箸が進んだ。
鶴丸と大倶利伽羅は大盛りより少し多めの量だったにも関わらず完食し、余った焼き飯を取り合うまで発展してしまった。
一悶着あった昼食も終わり、鈴は厩舎の方を手伝い、燭台切は夕飯の仕込みを始め、それぞれが時間を過ごした。
そして夕飯は燭台切が手に依りをかけて作った豪華な夕飯でここでまた食いしん坊の鶴丸と大倶利伽羅が夕飯の残りを奪い合う事件が起こったが、ここでは昼食に続いた事もあって燭台切から鉄拳が下され何とか鎮まった。
夕飯を食べ終えてから湯船に張った湯は、腹が落ち着く頃には良い塩梅に張られており、今か今かと待っていた面々は着替えを取りに走って自室に戻り、また走って風呂場へと向かった。
風呂に行く前に燭台切に煎れて貰ったお茶を片手に見送った鈴は自室の前の縁側で月見がてら今日一日の事を思い返していた。
此処に来てまだ二日目だが、此処にいると時間が経つのを忘れてしまうぐらい、あっという間に一日が終わってしまう。
現世にいた時は一日がゆっくり過ぎて、退屈にも近かったが、此処ではそうは感じなかった。
そうぼんやりと思い返していたからか。
背後で床板の軋む音がするまで全く気付かなかった。
そこにはピンクがかった金髪と碧の目を持つ少年と黒髪に紫の目を持つ、体中に傷を負った二人の少年がいた事に全く気が付かなかったのだ。
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