これから先はXYZ-epilogue-


あの出来事から月日が経ち、三人一緒に過ごす事に違和感を覚えなくなった頃。
翌日は土曜日で三人共、会社が休みとの事もあり、広光の住む家へ、会社が終わったそのままの足で向かった百合は、最早、定位置となりつつある、黒の皮張りのソファに座り、ふと、ある事に気が付いた。

初めてこの家に来た時は、物が少なかったのに、今は何だか随分と物が増えたような気がしたのだ。

最初は気のせいかとも思ったが、それは気のせいではなく、確かに物が増えていた。

自分の物が目立って感じるのは、それが自分の物だからだろう。

コンパクトなスタンド式の三面鏡にピアス等の小物入れ。
メイク落としに化粧水、乳液と云った、スキンケアグッズ。

広光には、全く必要のない物ばかり増えていた。

それに加え、光忠が勝手に買って来た、空気清浄機に様々な色に光る加湿器。

細々と、だが、確かに物が増えていた。

ごちゃごちゃと物を置きたくない広光には、邪魔な物でしかないだろうに、捨てるでもなく、退かすでもなく、そのままに置いてあった。

自分の物はお泊りセットが主だから、捨てるような物でない。
そもそも、初めて泊まる事になった時、広光の口から言われたのだ。


「泊まる時に必要な物は買って部屋に置いておけば良い」


そう言っていたから、捨てる事はないだろうが、光忠が買って来た物は、広光の性格を考えると部屋の隅にでも置きそうなものなのに。

うーん、と、考えてみたが、結局何も分からず、諦めて三面鏡を開いた。
メイク落としを手に取ると朝から皮膚を覆っていたメイクをじんわりと落とし、やっと一日が終わったような気がした。

ふぅ、と、息を吐き、三面鏡を元の位置に戻そうとすると、横から手が伸びてきた。
その手は、三面鏡を手に取るとそれを元の位置に戻したのだ。


「光忠さん……、自分でやるのに…、」


その手の持ち主は光忠で、そんな光忠に百合は、むぅ、と、むくれた。


「僕の方が早く戻せたからね。…、あ、メイク落とし切れてないよ、目の下少し黒い…、ほら、それ貸して」


むくれた百合に笑みを零した光忠は、全く気にしていないようで、寧ろ、落とし切れなかったメイクの方が気になったようだ。
百合からメイク落としのシートを一枚受け取ると、百合の顔を上に向かせ、擦らないように丁寧に押し当て落としていった。

光忠は、すっぴんの百合の方が好きだった。
化粧品の匂いが好きじゃないのもあるのだろうが、化粧をしている女は、どうしても嘘臭く感じてしまい、嫌悪感の方が勝ってしまう。

百合はそんな人間ではない事を知ってはいるが、どうしても身構えてしまう。

だから、自分から百合の側に行く時は、必ず百合がメイクを落としてからだった。

だが、例外を除いて。

百合がメイクをしていても近付く時は、広光とキスをしていたり、広光が百合にじゃれついている時だ。
そんな二人を見ていると、どうしても自分も混ざりたくなってしまう。

そんな時、広光は百合との時間を邪魔されて不機嫌になるのだが、深いキス一つしてやれば、それは一瞬で消えてしまう。

どうして混ざりたくなってしまうのか…、それは、至極簡単な理由だった。

まず一つは、百合とじゃれている広光が可愛いから。
もう一つは、広光とキスをしていると物欲しそうに見ている百合が可愛いから。

まさに俺得だった。

そんな事を考えながらも、百合のメイクを落とし終わると、ゆっくりと瞼を上げた百合と目が合った。
目尻を親指で優しくなぞり、そのまま唇もなぞると、百合は薄く唇を開いた。

それに笑みを濃くした光忠は、一度唇を重ねると更に唇を開き、ぎこちなく舌を出した百合に、ご褒美と言わんばかりに舌を絡めた。


「ん、ンッ、…ふぁ、んんっ、ンっ…、ッんぅ、ッ、はぁ、…っん、」


耳には百合から漏れる吐息とくぐもった甘い声。
そして、ぴちゃ、くちゅ、と、唾液の混ざり合うイヤらしい音が聞こえた。

百合は深いキスをすると必ず、相手の胸元を握り締める癖がある。

それは、光忠だけでなく、広光に対してもそうで。
縋るように必死に握るその仕草が可愛くて、光忠も広光も、それがクセになっていた。

最後にちゅう、と、舌を強く吸い、唇を離すと、二人の間には、つぅ、と、唾液が糸を引き、それは、ぷつん、と切れた。

はふはふ、と、呼吸も荒い百合を見て、光忠は欲情したのを確かに感じた。

光忠の人生で女に欲情したのは、百合が初めてだった。

光忠は、物心ついた時から、好きになる相手は男だったから。

そんな自分に悩みもした。
汚らわしいとも思った。

だが、ある日テレビで同性愛者の生活の一部を密着したテレビを見て、その時初めて、恥じる事も汚らわしいと思う事もないんだと知った。

それでも、世間は偏見の目を持っている。
流石に周りには言う事はなかったが、以前よりも前向きになり、同類を見付ける鼻が利くようになって、男と付き合い、やっと自分らしさを得たような気がした。

そんな光忠が女に欲情する日が来るなんて、昔の光忠なら想像もしなかっただろう。
昔の光忠だけでなく、ゲイ仲間も目を剥いて驚くだろう。

涙目になっている百合を見て、抑え切れなくなり、今にも押し倒そうとした時だった。

光忠の背中に強い衝撃があり、光忠は息が詰まると、思い切り噎せた。

ゴホッ、と、息を吐き、背を丸めた光忠の背後には、鬼の形相をした広光が光忠を見下ろしていた。


「調子に乗るな」


冷たい眼差しに冷たく冷え切った声。
光忠を見下ろす広光をぼんやりと見上げている彼女に、広光は一度息を吐き、痛みで動けない光忠を乱暴に退かした。
そして、その身を屈めると百合の目尻に唇を落とし、最後にちゅ、と軽く唇にキスをし、百合の頭を優しく撫でた。


「手伝ってもらっても良いか?」

「ご飯、出来たの?」

「ああ、並べるのを手伝って欲しい」

「ん、分かった…、光忠さんは?」

「放っておけ」

「……、はい」


ぴしゃり、と、言い放った広光。
百合は、悶絶している光忠を横目に広光が殆ど作った夕飯をカウンター越しに受け取ると、それをダイニングテーブルに並べ。
全て並べ終わり、百合と広光が席に着くと恨めしそうに光忠が視線を送りながら、光忠も席に着き、食事が始まった。

百合が実際、二人と付き合い始めてから目の当たりにしたのが、二人が料理をする姿だった。

光忠の作る料理は、レストランに出てくるようなオシャレなものが殆ど。
一方、広光は冷蔵庫の残り物で手軽に作るのだが、それが素朴ながらにも美味しい。

冷蔵庫の中には、常に食材が入っており、とても一人暮らしの男の冷蔵庫とは思えない程だった。
しかも、冷蔵庫がファミリー向けの立派な物だから、日常に料理をするのだろうな、と思うのは簡単な事だった。

自分も一人暮らしなりに何かしら作るが、広光よりも大雑把で、二人にまだ手料理を振る舞った事がない。
第一、光忠も広光も百合に手料理を振る舞い、持て成すのが当たり前のようで、この家では、コーヒーすら自分で煎れた事がなかった。
自分が煎れようとするのをどちらかが気付き、座ってて、と、言って、カップを持って立ってしまうので、百合は本当に座っているだけだった。

広光が主に作り、光忠が手伝った今日の夕飯も、文句なく美味で、百合は表情が緩みっぱなしな事を自覚しつつも抑え切れなかった。

そんな百合を正面から見ていた二人は、満足の笑みを浮かべた。
こんな美味しそうに食べてくれる百合に、これまでにない幸福感で満たされている二人に、食事に夢中になっている百合は気付く事はなかった。

食事も終わり、汚れた食器を片付け、順番に風呂に入り終わり。
適当に流して見ていた夜のニュース番組のCMの途中で、百合は、ふと疑問に思っていた事を口にした。

百合の隣に座り、百合の手を弄っていた広光も。
その広光の隣に座り、何やら携帯を触っていた光忠も、百合の言葉に目をパチクリとさせた。


「……、主に光忠が買って来た物が多いがな」

「でも、有っても困らないでしょ?ハウスダストって怖いじゃない」

「そんな手抜きな掃除はしていない」

「それは知ってるけどね。微細な埃とかダニの事を言ってるの。……、でも、まあ、確かに増えた、かな。百合の着替えも、バッグも靴も増えたし…、ちょっと手狭に感じるよね、この部屋」

「…、あぁ、そうだな」


光忠のある言葉に広光は数拍置いたのち、口の端を上げ、光忠の言葉に肯定した広光を見て、百合は、はて?と首を傾げた。


「2LDK…、…いや、3LDK?」

「キッチンと風呂は広い方が良い」

「ああ、それは確かにね。男二人が並んで料理するには、今の広さだと少し狭いし。お風呂が広かったら、今みたいに順番に入らなくても三人で入れるしね」

「……、何の話しをしてる、の?」


二人の間で進む話しの内容に、百合は全く見当が付かず、つい、口を挟んでしまった。
だが、琥珀色の三つの目が百合を見返し、百合は、え?と、首を傾げた。


「引っ越しの話しだけど?」

「今のままじゃ、狭いからな」

「そ、そうかな?」

「うん。だから、百合も荷物纏めてね」

「何なら手伝うが?」

「え、私も引っ越すの?広光さんが引っ越すんでしょ?」

「うん、伽羅ちゃんが引っ越すけで、僕も百合も引っ越すんだよ?」

「そ、れは…、どうして?」

「毎回、週末に泊まりに来るのも面倒だし、三人で過ごすには狭いだろう、この部屋」

「だから、前から伽羅ちゃんと言ってたんだ、三人で住まないか、って」


何も分からないまま、畳み掛けるように言われた言葉に、百合はキャパシティの限界を感じたが、最後の光忠の言葉についにキャパシティを超えてしまった。

まさか、自分の知らない間に、そんな話しが出ていた事に全く気が付かなかった。
それに、さらりと言われた同棲の提案も急だし、決定事項に聞こえたし、きっと決定事項なのだろうが、何から何まで急過ぎて頭の中が追い付かず、石みたいに固まった。


「あ、家賃の事は気にしないで。僕と伽羅ちゃんが折半して出すし、キミは気にしなくて良いから」

「お前は出したい時に食費や生活雑貨を出せばいい」

「あ、勿論、仕事は続けても良いからね」


同棲とは一体。

自分達は、普通の関係ではないが、自分の知りうる限りの知識だと、同棲は基本的に、家賃も生活費も光熱費も全て折半では、なかっただろうか。
世の中には、結婚しても共働きなら、折半の家庭もあるぐらいだ。

家賃は光忠と広光の折半。
生活費も光熱費も二人の折半。
自分は仕事を続けても良いし、食費や生活雑貨は出したい時に出せば良い。

果たしてそれは、同棲と呼ぶのだろうか。
寧ろ、養われる事にならないだろうか。


「……、それって同棲と云うより、結婚に近く…、ない?」


やっとの思いで口にした言葉がそれだったが、その言葉に光忠と広光は納得したような表情になり、百合の言葉にしっくり来たようだった。


「確かに結婚って言葉の方が正しいかもしれないね」

「お前一人ぐらい俺一人でも養えるが?」

「まあ、僕達は同棲すっ飛ばしてキミと一緒になりたいけど」

「どうする…、"同棲"が良いか"結婚"が良いか……、お前が選べ」

「と、言っても、今の日本の法律じゃ、一妻多夫制は認められていないし、どちらかとしか入籍は出来ないけどね」


余りにも衝撃的な言葉の数々に百合は、目を白黒させた。
百合と百合の周りの時間は、止まってしまったように感じたが、百合の頭の中はフル稼動していた。

二人は、さらっと軽く言ったが、もしや、今、自分は彼らにプロポーズされたのでは、ないだろうか。

二人と付き合って、まだ半年、経ったか経たないか、そんな時間しか、共に過ごしていない。
その半年でも、一緒に過ごしているのは、週末だけだし、体の関係だって意外にもまだだ。
もし、自分達の中で定義された"結婚"と云うものをして、体の相性が悪かったら、どうするのだろうか。
いきなりレスにでも、なるのだろうか。

考えが一つ浮かぶと消え、また浮かぶと消え。
百合の頭の中は高速で働き、今にもプシューとショートしてしまっても、おかしくなかった。


「それで?」

「どうする」


光忠ににこりと微笑まれ。
広光にニヤリとした笑みを見せられ。

そう言われてしまったが最後。

百合の頭は、ついにショートしてしまい、気が付くと頷いていた。
そんな百合を見て、二人が意味有り気に笑みを浮かべていた事に、百合は自分の事に精一杯過ぎて、全く気が付かなかった。

結局、その日は、そのまま眠り。
次の日は、三人で新しい物件をネットで探した。
更に次の日は、ゆっくりと時間をかけ、新しく揃える家具やインテリアのリストを作り、その夜に広光に車で送ってもらい、彼女は自宅へと帰った。

家の中へ入り、玄関の鍵を締め、部屋の電気を付け、いつもの定位置へと腰を下ろした。

途中、広光に頼んで寄って貰ったコンビニで買ったお茶を二口程飲むと、髪を適当に纏め、気合いを入れると手近にあった物から取り掛かった。

広光の家から出る時に光忠から。
自宅マンションの下に着いた時に広光から。
念を押されるように言われた事を実行したのだ。

荷物は早く纏めるように。

そう言われてしまっては、やるしかなく。
でも、これは、果たして現実なのか夢なのか。
良く分からないまま、荷造りを着々と進めた。

百合の部屋がダンボールで埋め尽くされた頃、広光から連絡が入った。


「土曜日の朝10時に引っ越し業者が行く」


土曜日の朝、本当に引っ越し業者が百合の家へとやって来た。
引っ越し業者は百合へ挨拶を済ますと、百合の部屋の中の荷物を運び出した。

一応、百合の物は殆ど新居へと持って行く予定だ。
ベッドにテレビ、と大きい物も持って行く。

持って行かない物と言えば、冷蔵庫等の白物家電ぐらいだろうか。
冷蔵庫は広光が使っていた物を新居でも使う為、百合と光忠が持っている冷蔵庫は、処分する事になっていた。

百合の部屋のエアコンは元々備え付けの物だったし、あまり大きな家電がないからか、それ程時間も掛からず荷物は運び出されていった。

引っ越し業者の邪魔にならないように隅っこに居た百合。
最後の荷物が運び出されようとした時、広光が迎えに来た。


「あれが最後か?」

「うん、だからこれで床を拭いて終わり」


がらん、と、物の無くなった部屋。
物がないせいで、普段と同じように話してる筈なのに音が響く。

この部屋に引っ越して来た時を思い出した百合は、少し感傷的になってしまった。
だが、それを振り払うようにモップで床を拭いた。

荷物を積み終わった引っ越し業者に挨拶を済ませ、大体の時間を伝えていた不動産会社の人間も来た事で、部屋の鍵を渡し、百合は広光の運転する車で、新居へと向かった。

広光の車にも、ここ半年程で随分と乗り慣れた。
最初は助手席に座るのが気恥ずかしくて、慣れなかったがそれにも慣れた。

広光の黒いボディのセダン車は、広光らしく、とても似合っていた。
以前、広光に運転免許を持っている事を何の気なしに言った際、運転するか?と言われたが、軽自動車しか運転した事のない自分には、とても運転出来そうになかった。

慣れた手付きでハンドルを切り、向かった先は、また首が痛くなる程見上げても、天辺が見えない程の高いマンション。
新居は、自分と光忠、広光の職場の最寄駅を考え、此処周辺に決めたのだが、こんなマンションだとは聞いてなかった。

そもそも新居のエリアを決める際に初めて、自分と光忠と広光が同じ駅を使っている事を知った。
確かに自分の会社はオフィス街の一画のビルで、自分の会社の周りには沢山のオフィスビルがある。
でも、まさか、同じ駅を利用してるとは、考えもしなかった。

広光はマンションの前に車を止め、此処が新居だ、と、百合に言うと、再び車を発進させ、マンションの地下駐車場へと入っていった。

地下の駐車場は広く、駐在している駐車場係がおり、その係の者に証明書を見せなければ、駐車場にすら入れない。
地下の駐車場からは、直通のエレベーターがあり、管理人も24時間待機していて、以前、広光が住んでいたマンションよりセキュリティが万全だった。

しかも、新居であるこのマンションの鍵は、スマートキー。
雫型の鍵を翳すだけで、オートロックは解除されるし、部屋のロックも解除される。
鍵は鍵穴に差し込み、がちゃりと回して施錠する事が当たり前で育った百合には、未来型過ぎて、衝撃的だった。

広光にエスコートされながら、簡単に説明された百合だが、色々聞き慣れない言葉が有り過ぎて、半分も耳に入って来なかった。

今日から自分達が住む新居へと向かうと、引っ越し業者が荷物を運び入れている途中だった。
しかも、三つの場所から荷物を運び入れているものだから、人の数が凄い事になっていた。

引っ越し業者に面倒かけないように、と、単身パックで済ませたが、良く考えると引っ越し先は同じ。
こうなってもおかしくない筈なのに、この事が頭から抜けていて、逆に迷惑をかけてしまっていた。

これ以上、迷惑にならないように、と、タイミングを見て、部屋の中へ入り、何とか光忠の元へと合流出来た。


「業者には面倒だったかもしれないけど、回って貰ったら良かったかもね」

「凄い人数だな…、」

「単純に3×3だからね、」

「で、僕達合わせて、この部屋に12人。……幾ら広いからって流石に多いよね」


苦笑いを浮かべながら、そう言った光忠に広光も百合も頷くしかなかった。

でも確かにこの人数は多過ぎる。
今で狭苦しいと感じてしまうのだから、荷物がもっと運ばれて来たら、どうなる。
大人数が苦痛で仕方ない広光は、何か逃げ道はないかと視線を動かし、逃げ道を探した。


「光忠、バルコニーはセットしてあるのか?」

「ああ、それは出来てるよ。今日は陽射しも強くないし、バルコニーでゆっくりしてて」

「ああ、そうする」

「バルコニー…?」

「行けば分かるよ。僕と伽羅ちゃんがこだわった一つ。キミもきっと気に入るよ」


光忠のその言葉に広光は、助かったと言わんばかりに百合の手を引き、バルコニーへと出た。
首を傾げる百合が広光と共に出たバルコニーは、広々としており、眺めが最高に良かった。
空が近くて、空の青さを間近に感じられ、夜は夜景が目の前一杯に広がる事だろう。

広々としたバルコニーは、木目調のテーブルと椅子を置いても、狭さを感じる事はなく、余裕があった。
洗濯物も余裕で干せるし、植物も育てる事が出来るだろうし、文句ない広さだった。

流石、広光と光忠がこだわったと言うだけの事はあった。

広光は既に椅子に座っており、途中コンビニに寄った際に購入した、小さい方の袋をテーブルに置くと、中からカップに入ったコーヒーを三つ取り出した。
そして、その内の一つを手に取ると、窓ガラスをコンコン、と、叩きそれに気付いた光忠が顔を出した。

コーヒーを受け取ると、光忠は広光にキスを一つ送り、それを嫌がりもせず広光も光忠にキスを送った。
それを見た百合は、途端に羨ましくなり、じとり、と、つい二人を見つめてしまった。


「、また、後でね」


百合の視線に気付いた光忠が、そう言って唇を舐め、部屋の中に引っ込んだのだが、百合は一気に顔を赤く染めた。

羨ましいってなんだ。
この半年で、随分と二人に染められた事に今更気付いた百合は、今直ぐにでも、穴に入りたくなった。

物欲しそうに自分達を見たかと思えば、光忠の言葉に赤くして。
そんな百合を見て、広光は可笑しそうに笑みを零した。


「シロップ二つ入れるか?」

「あ、今日は一つ」

「珍しいな…、朝は二つだろう、いつも」

「車の中でチョコレート食べたから」

「…ああ、だから甘かったのか」

「甘い?」

「車の中で、信号待ちの時」

「っ、あ、れは…!!」

「なら、一つ、だな」


百合の分のカップの蓋を外すとシロップの数を聞いた広光。
百合は低血圧で、午前中に飲むコーヒーには必ず、シロップを二つ入れる。

今回、そう思って聞いたのだが、一つで良いと言われ、そう聞き返すと既にチョコレートを食べ、糖分を摂ったと言われた。

それに対して、車での事を思い出した広光がそう言うと、百合は再び顔を真っ赤に染めた。

車の中で、広光にキスをされた。
幹線道路で信号が多い上に、横断歩道との時差信号。
一度捕まると長いその道に退屈した広光が、赤信号で止まる度にキスをしてきたのだ。

唇を合わすだけの可愛らしいキスなら構わない。
それでも恥ずかしい事には代わりないが、広光の車の窓にはプライバシーフィルムが貼られている。
中を探るように見なければ、中の人間がどんな人間なのか、何をしているのか分からない。
だから、そんな可愛らしいキスならまだ良かったが、広光は違った。

舌を絡ませ合い、首筋を舐められ、スカートの裾から手を忍ばせショーツ越しに秘部をなぞられた。

その事を思い出した百合が、顔を赤く染めるのは当然だったし、広光には予想が出来ていた。

だが、そんな事をしたのは、信号待ちの時だけ。
愛する人を助手席に乗せている限り、走行中にそんなちょっかいを出す事はしなかった。

広光が百合のコーヒーに笑いを堪えながら、シロップを一つ入れ掻き混ぜるとそれを百合に渡した。
百合はそれを受け取ると真っ赤な顔を隠すように俯いて飲んだものだから、広光は笑いのツボに入りそうになるのを必死に堪えた。

コーヒーを飲みながら、二人で部屋の中を見ると引っ越し業者の人数も少し減り。
仕事の終わった人に缶コーヒーを一本ずつ渡して見送る光忠の姿があった。

ソファが置かれ、リビングテーブルも置かれ。
それぞれが定位置に置かれた家具に、百合はようやく実感が湧き、現実味が帯びてきた。

本当、人生とは何が起こるのか分からない。

恋人が二人出来て。
三人で愛し合うようになった事。
こうして、一緒に暮らす事になったり。

自分だけじゃない、広光だってそうだ。
女嫌いだった彼が、女を愛するようになるなんて、思ってもみなかった事だろう。

一緒にバルコニーに居る広光と何かを話す訳でもなく、ただボーッと部屋の中を見ていた百合は、そんな事を思っていた。

昼も過ぎ、オヤツの時間が近くなった頃。
引っ越し業者も全て帰り、最後の業者に三人で挨拶をし見送ると、部屋の中は一気に静かになった。

最初から最後まで、ずっと一人で対応していた光忠は、幾ら社交的な人間だったからと言っても、流石に疲れたようでソファに力無く腰を下ろした。
その隣に広光、その広光の隣に百合が座り、いつもの定位置に座った事で、やっと落ち着く事が出来た。

まだ、ダンボールだらけの部屋。
きっと自分に宛がわれた部屋もダンボールだらけで凄い事になっているだろうし、片付けるのも苦労しそうだ。

でも、何故か。
これからの生活が楽しみで仕方なかった。

世間の型から外れた奇妙な関係で、他人からは理解される事は、きっとないだろう。

だが、三人で過ごす、これからの生活が楽しみだった。


「これから、宜しくお願いします」


二人に向かって、頭を下げ、そう言った百合。

どうしてか、こう、言いたくなった。
彼らに、こう言いたくなったのだ。

急に百合にそんな事を言われた、広光と光忠は瞬きを数回した後、優しく笑みを浮かべると、それぞれ百合にキスを送った。
ちゅ、ちゅ、と、自分に触れる彼らが愛おしく感じ、胸がぎゅう、と締め付けられ、心の底から、そして体中で幸福を感じていた。


「こちらこそ、」

「蕩ける程、愛してやる…、覚悟してろ」

「僕らの、」

「俺達の、」

「「奥さん、」」


その"奥さん"の言葉に百合の顔は、カアッと赤く染まり、落ち着きなく視線を彷徨わせた。
だが、きゅ、と、唇を結ぶと、ふにゃり、と表情を緩ませ、深く頷いた。


「はいっ、…旦那さまっ!」