02
「ノリアキ君、こんにちは!」
「……こんにちは」
自分の身長よりも高い垣根の隙間から、向こう側で遊んでいたノリアキ君に挨拶する。にっこり子どもらしく笑顔を向けたけれど、彼は困ったように眉尻を下げるだけで笑顔を返してくれない。
笑顔はコミュニケーションの第一歩なのに……。
残念に思って口を尖らせてもノリアキ君に困った顔をさせるだけなので、気合で笑顔をキープした。営業スマイルは昔取った杵柄でもある。
ノリアキ君との初対面から、私は彼を見掛けるたびに声を掛けた。見掛けると言っても私は家の敷地内から出ないので、垣根越しに気配を感じて隙間から顔を突っ込み、という手順を踏んだ上で見るしかないのだけれど。
今日のノリアキ君は、家の壁に向かってボール遊びをしているらしい。頭くらいの大きさの青色のゴムボールを、壁に向かって投げて、跳ね返って戻ってきたボールをキャッチして、また投げてを繰り返している。
決して、壁にぶつかる前に緑色の靄が受け取って投げ返している、なんてことはない。更にはその靄が最近は段々と人の形に見えてきたなぁ、なんてこともない。ないったらない。わたしはなにもみえません。
「なに見てるんだい?」
「え。の、ノリアキ君を見てるんだよ?」
「ふぅん。僕に何か用?」
「仲良くしたいなぁ、って思ってるだけ」
「僕と?」
「ノリアキ君と」
「なんで?」
「なんで!??……た、ただ、おともだちになりたいから……??」
え??子どもって仲良くするのに明確な理由が必要なんです???今世初めてのおともだち大作戦だから一般論がよく分からない。いつも会ったらともだちで、毎日会ったらきょうだいで良いんじゃないの??ちがうの??わからない!!
ノリアキ君は私の答えに首を傾げてから、またボール遊びを再開した。今日は私と遊ぶ気分じゃないらしい。今日はダメだったけれど、時々たまに「一緒に遊ぶ?」と訊いてくれるのだ。
仕方がないので、垣根の隙間に座り込んで眺めることにした。暇と言えば暇だけど、家の中にいたって暇だもの。
「まぁちゃん?覗きは犯罪だぞぉ」
ポン、と頭に手が置かれ、その先を辿ればお父さんがいた。外に出てるなんて珍しい。いつもいつも部屋に引きこもって、出てきても家の中にいるくせに。
お父さんは地べたに座る私を持ち上げて、片手で抱っこする。見上げていたノリアキ君の顔が下にあって、目新しさにちょっと嬉しくなった。……馬鹿にされたと勘違いしたノリアキ君にムッとされちゃって、すぐに平常心に戻したけれど。
「こんにちはノリアキ君。まぁちゃんが邪魔ならそう言ってくれて構わないからねぇ。小さいのについて回られても困るだろうに」
あはは〜、と暢気に笑うお父さんに開いた口が塞がらない。娘の目の前でそんなこと言う???
ノリアキ君もノリアキ君で、なんと答えていいものか分からず言い淀んでいる。そんなことないですよと否定してくれないことに対して私は泣いていいと思う。
「お父さんなんで出てきたの!」
「だって娘ちゃんがお邪魔さんしてるからぁ」
「ノリアキ君!私お邪魔さんじゃないよね!」
「う、うん……」
「ほら!!!」
抱っこされて近いことをいいことに、お父さんの耳元で大声を出す。「うるさぁ〜」と笑うお父さんは上半身を後ろに仰け反らせたので、抱えられた私もそれに従って後ろへ向かうことになる。こわいこわいこわいこわい!!!!バンバンと何度もお父さんの腕を叩き抗議すれば、一層の明るい笑い声と一緒に姿勢が元に戻る。普通、娘が恐怖を訴えてるのに笑う父親いる??いたとしても要らないんじゃないかな!!
男親のそんな行動に、ノリアキ君は目を白黒させていた。
と言うのも、うちの父親とノリアキ君の父親の方向性が真逆だからだ。以前に見たノリアキ君の父親は、寡黙で厳格だけれど言動から優しさを感じられる人、といった感じだった。うちのゆるっゆるな父親はそれはもう衝撃的だろう。わかるわかる。
母親同士は似た性格と雰囲気なのに、男の好みは似ないんだなぁ。不思議。
父親に抱っこされていることに安全性がなくなったため、落とされない程度に暴れて地面に降ろしてもらった。報復とばかりに脛を思い切り蹴ってから、お父さんの元からノリアキ君の元へと駆ける。そうそう、最後の仕上げのあっかんべーも忘れちゃいけない。
お父さんが不満そうに口を尖らせたけど知ったものか。
「……まぁちゃん?」
「しらない!」
「知らなくないでしょ〜??
それにノリアキ君だってお友達と遊んでるんだから、まぁちゃんはお邪魔でしょ!」
「「 え 」」
声を上げたのは私とノリアキ君で。ノリアキ君は驚いて手に持っていたボールを落としてしまった。テンテン弾んだボールはそのまま転がっていき、壁も障害物もない場所で急に動きが止まった。
あるとすれば緑色の靄くらいだ。
「ん?ん〜、だってそこの緑色の子、ノリアキ君の友達だろう?個性的な見た目だね、僕はとてもいいと思うよ?」
にっこりとお父さんが笑う。
そろりとノリアキ君を見れば、今まで見た中で一番輝く視線をお父さんに向けていた。今なら君の視線が百万ドルの夜景に優るとも劣らない。
……じゃないです、ちょっと待って。
あの緑色の靄、見えているの私だけじゃないんだ?っていうのと、お父さんは受け入れ過ぎじゃない?っていうのと、なんで幽霊の存在を指摘されてそんなに嬉しそうなのノリアキ君?っていうのと、他にもいっぱいハテナが浮かぶ。
「見えているんですか!?」なんて今までに聞いたことのない大きな声を出して、垣根ぎりぎりまでお父さんの元に駆け寄っていくノリアキ君を止める間なんてなかった。
お父さんの元に寄って行ったのはノリアキ君だけじゃなく、ボールを持った緑色の靄も一緒だ。そんな緑色の靄の頭部を撫でようとして、しかし父の手はそのまますり抜けてしまう。幽霊だもんね……。
話を弾ませる三人()に今更「私も見えるよ!」なんて言えそうにない。言ったところで、お父さんの真似をしているだけだと判断されるだろう。きっとノリアキ君から蔑んだ視線を向けられるに違いない。それだけは絶対に嫌だ!
どうしようかとその場でうろうろし、言葉は出ないが口だけがパクパク開閉する。
仲間外れはよくないと思います!!!!
だからと言って自分から飛び込む勇気のない私に、お父さんがちらりと視線を寄越した。親らしくなにか手助けしてくれるのかと期待して、お父さんはそんなに甘い人間じゃなかったとすぐに後悔する。
「いやぁ、娘より先に僕がノリアキ君のお友達になれそうだなぁ!」
子どもとお友達の座の取り合いするお父さんっている!??いらなくない!!???
あんまりにもあんまりな行いに、容赦なくお父さんの脛を蹴り飛ばした。弁慶ですら泣く場所なのに、お父さんは脛を抑えて地面に転がったまま大爆笑した。笑いごとじゃないんですけど!!!
半泣きで地団駄する私を、ノリアキ君が慰めてくれたことだけがプラスポイントだ。いや、嘘。みっともないところを見せたのでマイナスポイントかもしれない。
それもこれも全部父親が悪い!
家に帰ってお母さんに泣き付いて叱ってもらったのは可愛い仕返しだ。正座させられて懇々と叱られているお父さんの姿はとてもいい眺めだった。でも一週間は口きかない。
_ _ _
私より先にお父さんがノリアキ君のお友達になった件。
バグかな??
ノリアキ君の両親も、反対するどころかちょっと歓迎しているありさまだ。情操教育に良さそうだとかなんとか。
あのお父さんとの友人関係が、はたして本当にノリアキ君の情操教育に対してプラスに働くだろうか??芸術家という肩書きに騙されていないだろうか??職業はなんであれ、うちのお父さんは娘が認める変な人だというのに……。
お父さんはたまに奇行に走る。
例えば、次の作品の題材は鳥だから鳥の気持ちを知るために、と急に屋根に上って飛び降りたり。脚を折っていた。これでは落下しただけだということで、ハンググライダーをするためにスペインに行ったり。お土産がカスタネットだったので耳元でいっぱい鳴らしてあげた。今度は生態の観察だと山に入り、そのまま数週間帰って来なかったり。サバイバル生活が楽しかったとよく分からない生肉がお土産だった。美味しかった。
そんなお父さんが子どもの情操教育にいいだろうか??絶対よくないと思う。
でもノリアキ君自身がお父さんを気に入ってしまったので、私がどうこう言える雰囲気ではない。どころか、どうこう言ったらノリアキ君に嫌われる未来が見える。それは嫌。
幼稚園がお休みの土曜日。今週もノリアキ君はお父さんに会いに来た。玄関でお父さんに迎えられ、途中通り掛かるリビングでお母さんに挨拶し、お父さんのアトリエへと直行する。リビングのソファで寝転がる私は陰になって見えないのでスルーだ。
「ノリアキ君、絵に興味を持ったんですって」
「ふーん……」
「今度お願いして、まぁちゃんを描いてもらったらどうかしら?」
「いいもん。お邪魔さんになるからいらない」
「あらあら」
完全にいじけモードの私に、お母さんは困ったように笑う。私も自制できないこのへそ曲がり具合には困っているのだ。この身体になって初めて、精神が身体に引っ張られる、という状況に陥っている。中身はいい大人なのになぁ〰〰〰ッ。
別のことでもモダモダし始め、ソファから落ちないように気を付けつつ暴れる。お母さんは気にするのをやめたようで、テレビを見ながら「今日のお昼ご飯はこのパスタが美味しそうねぇ」と独り言をこぼしていた。娘の奇行をもっと気にして!
お父さんとノリアキ君どころか、お母さんも相手してくれない現状に気分が落ちる。んんんッ、これも三歳児の肉体の所為ッ。
気分を変えるために部屋へ向かおうとソファを飛び降りる。「どこ行くの?」とお母さんに聞かれたのでちゃんと「お部屋」と答えておく。言わない理由も特にはない。
てこてこ歩いていると、向こう側からノリアキ君が歩いてきた。トイレだろうか。目が合ったのに何も反応しないのは感じ悪いかな?とは思うものの、だからと言ってどう反応するのが正解かを悩む。どこ行くの?もトイレ?もちょっと変態臭くないかな。過敏すぎるかな。
「どこか行くの?」
「!、お部屋!」
私が悩んでいる間にノリアキ君の方から声を掛けてくれた。ちょっと嬉しくて声が弾んでしまったけれど仕方がないね。
「ついて行ってもいい?」
「いいよ!あ、でも何もないよ?」
「いいよ」
本当になんの面白味もない部屋なのだけど。
ノリアキ君を伴ってきた私の部屋は、身長や安全面を考えていつも開け放たれた状態だ。そもそもドアが外されている。蝶番側のドアの隙間に指を挟むと簡単に指とバイバイしてしまうので、最初から開けたり閉めたりしないのはまぁ賢い対処じゃないだろうか。
物珍しそうに部屋の中を見回すノリアキ君をドア付近に残して、私は窓辺に置いてあるものへと近寄る。
出窓にはクマやウサギのぬいぐるみたちが置かれており、その間、日当たり良好な場所で畳んだハンカチの上に置かれたそれの見た目は卵だ。鶏卵大だが、灰色なので石にも見える。もしくは本当に石かもしれない。私がこうなる前からここにあったようなので分からないのだ。
最悪、父のいたずらの可能性もある。「正体不明の卵をあげよう、なんの卵かは生まれてからのお楽しみ」みたいなことを言われて渡されたかもしれない。記憶にないけれど。
結果よく分からない『何か』なのだけれど、元々の私が卵と信じて置いてあるならそのままにしておこうと思っている。でも普通の卵は日光に当てただけじゃ孵化しないんじゃあないかな。たぶん逆に死ぬよね……。
「それ、たまご?」
「ぅわッ、……へへ。うん、たぶんそう」
背後から急に掛けられた声に肩どころか全身が跳ねる。自分でも驚き過ぎたな、というのが分かってちょっと恥ずかしい。ノリアキ君も逆にびっくりして目がまんまるだ。
覚えてないけどずっとあってね、と軽く事情を説明するが、何言ってるんだコイツ、という感情がありありと顔に書いてあった。その気持ちはわかるけどわかりたくない。
「生きてるの?」とノリアキ君に訊かれても、「たぶん?」としか返せない。だって割って確認するわけにもいかないし。
「触ってみてもいい?」
「いいよ。もし落としても割れないと思う」
「落とさないよ」
心外だ、と軽く頬を膨らませるノリアキ君。そっと手を伸ばして卵を持ち上げようとする。──持ち上がらなかったけれど。
「「 え 」」
ノリアキ君の手が通り抜ける、何回同じことをしてもそれは変わらない。か、怪奇現象だ……!
慄く私をよそにノリアキ君は何かひらめいたらしく、緑色の靄が姿を現した。……もう靄じゃないな、今日はしっかり人の形に見えるもの。
緑色の人型がそっと卵に手を伸ばす。普通に触れたし持ち上げられた。どういうこと??
首を傾げる私と違い、ノリアキ君はびっくりした様子で目を見開いたまま私を見る。それに対してもこてりと頭を傾ければ、ノリアキ君が口を開いた。
「まぁちゃんも見えてたの……!?」
何が?とか、どういうこと?なんて疑問は吹っ飛んだ。だってノリアキ君が初めて私の愛称を呼んでくれた以上に大事なことなんてある???ないよね????
感動のあまり勢いよく抱き着けば、「わぁ!??」と大声で叫ばれて突き放された。悲しい。でもその前の出来事が嬉し過ぎたので良し!
「もう一回!」
「……え?」
「もう一回呼んでよノリアキ君!」
右手人差し指を立てて催促する。そのままぐいぐいと迫り寄るも、反対にノリアキ君はずりずりと後退してしまう。なんで逃げるの!?
ノリアキ君は困惑した顔をしていて、私が何を言ってるのか分からないらしい。なので「もう一回名前を呼んで欲しい」とはっきりとお願いした。改めて考えると名前呼びに必死になり過ぎる自分恥ずかしいね。今更な羞恥に頬に熱が集まり、誤魔化せるはずもないがえへへと笑う。突き立てていた指は力なくへこたれてしまった。
ノリアキ君は視線を泳がせて迷っていた。迷ってくれるんだ。人付き合いが苦手そうなノリアキ君が、呼んでくれる可能性があるだけ良いのでは。
「……あの、今じゃなくてもいいので、気が向いたら呼んでくれるとうれしい、かな?」
私は譲歩できる余裕がある人間なので。
あちらの様子を窺えば、視線を下方に向けたまま、それでもしっかりと頷いてくれた。今はそれだけでも満足です!
嬉しくて頬が緩む。えへへとさっきとは違う笑みを浮かべていると、右手首あたりに何かが巻き付いている感覚がした。見れば、ノリアキ君の側に立つ緑色の人型から同じく緑色のテープのようなものが伸びてきている。ちょっとびっくりした。
「あッ、ご、ごめん」
「ううん、だいじょうぶ。緑色の子も、私と仲良くしてくれるとうれしいなぁ」
「……うん」
私が笑い掛ければ、ノリアキ君も嬉しそうに微笑んでくれた。
しばらくお互いに笑みを浮かべ合っていると、家の奥から父がノリアキ君を呼ぶ声がする。そこでようやくノリアキ君の本日のご用事、父の元での美術教室に来ていたことを思い出した。そうだったそうだった。
ノリアキ君は慌てて踵を返し、出入り口へと向かう。「ばいばい」と言えば「うん、ばいばい」と返してくれた。これは素晴らしい進歩では!
出て行ったのを見届けて、さぁて私は何しようかなと考える。と、出て行ったはずのノリアキ君が戻ってきてひょこりと顔を覗かせた。
「どうしたの、ノリアキ君?」
「あの……、その。またね、まぁちゃん」
「!、またね!」
私の返事も待たず言い逃げしたノリアキ君に、それでも聞こえるように大きな声で返した。ぱたぱたと聞こえる遠退いていく足音に、幻聴幻覚じゃないぞと自分に言い聞かせる。
え。
まって。
これは。
お友達になる日も遠くないんじゃあないかな!!
……そうだったね、まだたった一歩前進しただけだったね。がんばろ。
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