03




 リビングのテレビで録り溜めていた教育番組を見ていると、玄関のチャイムが鳴った。洗い物をしていたお母さんが「はーい」と返事をしながら向かうのを、見るともなしに見送ってテレビに意識を戻す。

「あらぁ、可愛いわねぇ」
「そうでしょ〜」

 聞こえてきたのはお母さんの弾んだ声。それに応える声は、お隣に住んでいるノリアキ君のお母さんだ。
 ちょっと興味が引かれて、一時停止のボタンを押してからリビングの出入り口に向かう。ちらりと見れば、やっぱりそこにいたのはノリアキ君のお母さん。何度も何度も可愛い可愛いと言う二人の視線はお互い下を向いている。
 下を向いているなら小さい何かだろうか。小さくて、可愛い……、うーん、犬か猫かな?お隣さんで新しくペットを飼うことになったのかもしれない。うちのこ自慢?いいなぁ、我が家でもペットを飼ってくれないだろうか。賢い子がいい。ボーダーコリーとか。猫も好きだけれど、父親の作品で爪とぎしそうだし難しいかな。
 私も見たいなぁとうずうずしていると、ノリアキ君のお母さんが私に気が付いた。慌てて会釈をすればにっこり笑って「こんにちはまひわちゃん」と声を掛けてくれる。あいさつを返せばそれだけで「いい子ねー!」と褒めてもらえるのだから子どもとはお得だ。

「まぁちゃんもおいで」
「はーい」

 お母さんに手招きされて、わくわくしながら二人の側に寄る。犬かな、猫かな。
 急に現れては驚かせてしまうだろうから、まずはお母さんの脚の後ろにしがみついて、そっと顔を覗かせる。うわぁ、かわいい……。

「こんにちは、まぁちゃん」
「こんにちわぁ」

 ノリアキ君だった。
 白いワイシャツに、紺色のハーフパンツをサスペンダーで留めている。背中には真っ黒のツヤツヤしたランドセルが背負わされていた。着られている感ならぬ、背負わされている感!可愛いね!!
 あまりの可愛さに見惚れていると、段々とノリアキ君の顔が赤くなっていった。これは、照れている。かわいい。可愛い以外の言葉がどこかに消えてしまう勢いでかわいい。

「ノリアキ君、かわいいねぇ」
「そッ、……そんなことないよ」
「可愛いわよねぇ」
「そうでしょ、可愛いでしょ〜」

 ノリアキ君の味方はいない!
 いや別にいじめているわけではないし、敵も味方もないとは思うのだけど。それでも女三人から口々に可愛い可愛いと言われるノリアキ君は居心地が悪そうだ。
 でも、だって、かわいいのだもの。

「ノリアキ君ももうそんな年なのねぇ。早いわぁ」
「おかげで半年くらい前からお義父さんが張り切っちゃって!色んなカタログを取り寄せてはこのデザインが、この機能が、って。ノリ君本人より楽しそうだったわ」
「あらぁ」
「昨日わざわざ届けてくださって、でも写真いっぱい撮ってすぐ帰っちゃったんだけど。私もなんだか楽しくなって、鳥澤さんに見せに来ちゃった」

 ノリアキ君のお宅は親ばかだけじゃなくジジばかもあるらしい。仲が良くてよろしい。

「分かるわぁ、こんなに可愛いもの」
「そうなの、可愛いのよ〜」

 頭上で交わされる会話にうんうんと頷き同意する。わかるわかる、かわいいかわいい。
 私は家から出ないので他の子どもと関わったことは無いが、窓から見える、家の庭の前の歩道を歩く子どもたちを遠目に見たことはある。そんな彼ら彼女らに比べても、ノリアキ君は飛び抜けてかわいい。目はパッチリだし、鼻筋は幼いながらに通っているし、髪の毛はふわさらだし、年下の私にも優しいし、大人にも礼儀正しいし、あの父とも上手くコミュニケーションがとれるくらいコミュニケーション能力は高いし。……悪いところなくないです?
 いまだにほのかに顔の赤いノリアキ君を、心のアルバムに収めていく。スマホやデジカメがあれば心ゆくまで撮りまくったのになぁ。携帯電話の普及って何年後だったっけ。二十五年後くらい?長くない??ノリアキ君の成人式もとっくに過ぎてるじゃん……。ここはレンズ付きフィルムカメラで我慢しよう。たぶん私の中学入学あたりには発売していた気がする。

「まぁちゃん、大丈夫かい?」

 どうやら考え事で表情が曇っていたらしい。上がり框のおかげで変わらなくなった身長差で、ノリアキ君が腰を屈めて私の顔を下から覗き込んでいた。ふふふ、眉毛が八の字になってもかわいいね。

「だいじょうぶだよ」
「そう?」
「うん!」

 心配してくれたのが嬉しくて、うっかり笑顔で元気に答えてしまった。ノリアキ君がちょっと不思議そうに首を傾げる。
 それからまた頭上で会話を続けるお互いの母親を見上げて、ふと思い出したようにノリアキ君が私の耳元へ顔を寄せた。こしょりこしょりと話す様子から、内緒話のようだ。

「そういえば、卵はどうなったんだい?」
「たまご?ここにあるよ」

 急にどうしたんだろうか。疑問に思いつつも、特に隠すようなことではないので自身のお腹を指して教える。最近の服装はパーカーワンピースばかりで、お腹のカンガルーポケットに卵を入れて持ち運んでいる。普通の卵とは違うようなので、温めるために窓辺に置くより、肌身離さず持ち歩いた方が良いような気がしてこのスタイルだ。
 内緒話はお母さんたちに聞こえてしまっていたようで「たまごって?」「私も分からないの。でもあの人も、たまごだね、って言うから、たまごなんだと思うけれど」「不思議ねぇ。見えないお友達みたいなものかしら。うちも前にあったわ、最近は言わなくなったけれど」なんて会話が上から降ってくるけれど、何かを訊いてくるつもりはないらしい。
 ノリアキ君のお母さんが言うノリアキ君の見えないお友達は、例の緑色の子だろうか。キラキラしていてきれいだったな。今日は……、残念、見えないみたいだ。日によるのだろうか。

「あの、おばさん、おじさんはいますか?」
「あの人なら作業部屋にいるんじゃあないかしら?昨日の朝から出てきていないけれど、たぶん起きてはいると思うわ」

 下手したら数日間出て来なくて、様子を見に行ったら作業部屋で倒れていたこともあるけどね。
 うちのお父さんに何か用があったのかな。だとすれば、私はまた録り溜めの消費に戻ろうか。そう身を引こうとすると、右手をノリアキ君につかまれた。

「まぁちゃんとおじさんの所に行ってもいい?」
「そうね、まひわちゃんのお母さんがいいって言ってくれたらね」
「いいわよぉ。あの人も息子ができたみたいで嬉しそうだし」
「ありがとうございます!行こう、まぁちゃん」
「う、うん」

 後方で「あげないわよ〜」「わかってるわよ〜」とのんびり会話が続く。私はノリアキ君に右手をひかれながらお父さんの作業部屋へと足を進める。いつもならノリアキ君一人でお父さんに絵を習いに行っているのに珍しいなぁ。
 めったにないことと言えば、手を引かれている今もそうである。今のうちに堪能しておこうと何度かにぎにぎと握り返していれば、「くすぐったいよ」と困ったように言われたのでやめた。ごめんね。
 それでも繋がれた手が離されることはなく、廊下の向こうにあった部屋までそのままの状態で辿り着く。

「おじさん、入ってもいい?」

 ノリアキ君がノックをしつつ中に声を掛ける。一秒、二秒、三秒待っても反応がない。まさかまだ寝ているとか言わないだろうな?もう陽も高いのだが??
 もう一度ノックしようとするノリアキ君をやんわり制止して、代わりに私が思い切りドアを叩く。フルコンボだドンッ!!

「うぅ……、朝からひどい騒音だ……」
「もう昼ですけど!」

 中から物が落ちる音や崩れる音が続いて、ようやく目当ての人がドアを開けた。寝惚け眼の、無精ひげの目立つお父さん。予想通り、今の今まで寝ていたらしい。まぁ中で倒れているよりいいけれど。
 何度か瞬きした後、にへらと相好を崩す。

「やぁ、いらっしゃいまぁちゃん。それにノリアキ君も、よく来たね」
「おじゃまします」
「おじゃまします。まずは顔洗ってきてね、ひげ生えてるのお母さん嫌うよ」
「それは困る」

 そそくさと洗面所に向かうお父さんを見送って、残された私たちは室内に入る。
 この部屋に入るのはいつ振りだろうか。たしか今の私になって、家の中を把握しようと歩き回った時以来だった気がする。芸術分野に造詣が深いわけでもなく、置かれている物に危険な物も含まれるため、自主的にも受動的にも機会が設けられることがなかった。
 テーブルや低い棚の上に置いてある刃物類を避けつつ、ノリアキ君と一緒にお父さんの作品類御見て回る。たまに「これは〇〇をイメージした抽象画で、」とか「こっちは今度の作品展で出すらしくて、」なんてことをノリアキ君から説明を受けた。子どもの立場逆転してるな。
 聞かされる説明に頷きつつ、何とはなしに広い作業台の中央に置かれたカードの二つの山が目に入る。

「ノリアキ君、あれは何?」
「ああ、あれはタロットカードさ。知り合いに頼まれて描いている、一点物らしい」

 そう説明してくれるノリアキ君に「ふぅん」と興味がないような声が出た。なくはないのだ、きっと触ったらダメだしなと、興味を持っても意味がないと思っているだけで。
 別のものへと視線を動かすより前に、山のうちの低い方が持ち上げられた。身支度を整えたお父さんによってだ。

「まぁちゃんは相変わらず反応が薄いねぇ。一般的な子どもって、もっと親の仕事に興味を持つものなんじゃあないのかい?どう思う、ノリアキ君?」
「え?あ、ど、どうでしょうね……?」
「無茶振りしないでお父さん」

 音もなく戻って来たお父さんが、手の中のタロットカードをシャッフルして遊ぶ。人に渡すものをそんな雑に扱っていいのだろうか。不安と疑問で眉根を寄せていれば、察したお父さんが「これは試作の下描きだから大丈夫さ」と教えてくれた。
 シャッフルし終えたタロットカードが、比較的きれいに片付けられたテーブルの上に並べられていく。色のない、線だけのものだ。これに今から色を試し置きするらしい。その後に別に用意されたブランクカードに清書するんだとか。へぇ、ふぅん、ほぉ。

「ところでノリアキ君、きみの『緑色の子』のことはまぁちゃんに話したかい?」
「いえ、まだです。おじさんがいる時に話そうと思って」
「うーん、信頼が篤い」

 お父さんのドヤ顔がわずらわしい。シッシッと手で払う動作で拒否すれば、「嫌われちゃった」と泣くどころか大口開けて笑うんだから、そういうところが嫌いと言えば嫌い。
 そんなお父さんを無視することに決めて、『緑色の子』を見る。さっきまではいなかったけれど、話題に上がった途端にノリアキ君の隣に現れた。三分間ヒーローに似ているがそれよりも細身で、口元はマスクのような何かに覆われ、全身は蛍光緑のマスクメロンのような出で立ち。ピカピカしていてきれいだ。
 『緑色の子』から視線をずらし、ノリアキ君を見る。その顔は血色よく赤らんでおり、その目はいないはずの同胞を見つけたかのように輝いていた。

「『見える』んだね?まぁちゃんにも、『ハイエロファント・グリーン』が見えるんだね?」
「……はいえろふぁんとぐりーん?」

 ちょっと舌が疲れるな。
 言い方合ってる?とお父さんを見れば、目の前にタロットカードが一枚提示された。大きな冠と見慣れない形の杖、それから二人の付き人?カードの下部に書かれた文字はT、H、E、H、I、E、R、O、P、H、A、N、T、O、それから数字の5。

「まだその子に名前がないと知ってね。ノリアキ君と二人なら困らないだろうが、僕たちにも見えるとなると支障が出るだろう?だから、ノリアキ君にこのタロットカードを引いてもらって、出たカードにちなんで名前を付けたんだ」
「ああ、だから、ハイエロファント・グリーン。とてもきれいな緑色だものね」

 感心した。そして思った通りのことを口にしつつハイエロファント・グリーンに手を伸ばすが、その手を取る前にノリアキ君の陰に隠れてしまう。ちょっとショック……。肩を落とすも、代わりに緑色の蔓のようなもの伸びてきて手に巻きつく。……わ、ノリアキ君と一緒でツンデレじゃん。

「よろしくね、ハイエロファント・グリーン」

 にっこり笑ってあいさつする。返事は返ってこないけれど、巻きつく蔓が一度だけ強くなったのでそれが返事だろう。
 ふと、記憶の中に引っかかりを覚えた。タロットカード、ハイエロファント、見えない友達、ノリアキ君。花京院、典明君。どこか遠い記憶に引っかかるものがあるが、それがなんなのかハッキリとしない。不明瞭すぎるそれは、思い出さなければいけないような、覚えておかなければいけないような、どこか焦燥感を抱かせる何かだ。そう、いつか大変なことが起こるかもしれない予知めいた……──。

「ノリアキ君、顔が赤いけれど大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です……」

 二人の会話が聞こえて、ハッと意識を戻す。握り込んでいた手も解いて、つい握ってしまっていたらしいハイエロファント・グリーンの蔓も自由にする。

「ごめんねノリアキ君!力いっぱい握ったから痛かったかな??あれ、ということはハイエロファント・グリーンと感覚共有しているってこと???」
「いや、そうじゃなくて、ジッと見られて恥ずかしかっただけだから……」
「それもごめん!」

 不躾に見過ぎたらしい。ごめんねノリアキ君!
 でもキラキラしてきれいだからまた見たいです、ノリアキ君。


***
20250728



5/10
- / / -
- Main / Top -
ALICE+