04




 今日は瑞月と遊びに行く予定だった。お昼を食べて、映画でも見て、喫茶店でのんびりする予定まで立てていたのに。
 それなのに、今のじぶんはむさ苦しい男共に囲まれている。

「……どうして……」

 現在地は並盛中学校の屋上で、囲むむさくるしい男共は風紀委員のリーゼントたちだ。その向こう、屋上を囲むフェンスに寄り掛かるようにして雲雀恭弥もそこにいた。
 事の始まりは早朝。朝食をとり終え、出掛ける前に家事を行っていると、家の電話に雲雀恭弥から着信があった。番号を教えた記憶は一切ない。いったいどこで知ったのだろうか。個人情報なんだが??
 そうして言われたのは「学校。屋上まで」だった。わたしはタクシーの運転手ではない。意味が分からず切れた受話器を元の位置に戻し、家事の続きをする。その数十分後、次に鳴ったのは玄関のチャイムだった。家事の手を止め玄関の扉を開ければ、そこにいたのは休日にも関わらず学ラン姿の風紀委員が数人。無言で連れて行かれるわたし。……どうして、どうして……。

「雲雀恭弥くん、ご用件をどうぞ」
「……はぁ」
「溜め息を吐いていいのはこちらの方だと思うのだけど??」

 電話を寄越したのが雲雀恭弥なのだから、用があるのは雲雀恭弥だろうと思って話を振ったのに、返ってきたのは短い溜め息一つだった。キレそう。
 反論したらしたで、周囲の風紀委員たちが一斉に睨みつけてくるし。

「は??喧嘩売ってますか??」
「……まぁ、間違いではないかな。
 委員たちが君の生徒会長就任に対して未だに不満を抱いてるらしくてね。頭で理解出来ないなら体に叩き込まれればいいんだよ」
「うん?」

 よく分からなくて首を傾げる。
 そんなじぶんを置いて、委員たちがどこに隠し持っていたのかそれぞれの武器を構え始めた。鉄パイプに金属バッド、木刀にメリケンサックにエトセトラ。うん、すごい面倒事に巻き込まれたということだけはよく分かる。

「とりあえず、全員倒せば帰っていいのかな」
「僕の用事が終われば用はないよ」

 それならばすぐに終わらせよう。

_ _
「……まぁ、予想はしていたけどね」
「何か言った?雲雀恭弥くん」
「別に」

 服についた汚れを払っていれば、雲雀恭弥がぼそりと何事か呟いたのでそちらを見るも素気無く返される。何もないなら別にいいのだけれど。
 風紀委員たちが武器を構えて十分も経たず、わたしの周りで彼らは倒れ伏している。小さな呻き声すら聞こえてこないが、全員意識を失っているらしい。しかし誰一人骨に異常はなく、命にも別状はないはずだ。我ながら力加減が上手くなった。毎日他校の不良に絡まれた甲斐もあったものである。

「思ったより早かったかな」

 カシャン、と小さな音を立てて雲雀恭弥がフェンスから離れる。彼の周囲にも失神した状態の風紀委員が転がっているが、お構いなしに踏んで進んでいた。強いなこの風紀委員長。踏む度に足元から呻き声が漏れるが気にならないんだろうか。
 彼の進む先は屋上の出入り口。そのまま出て行こうとする雲雀恭弥に、堪らず声を掛けた。

「ちょっと待て。この人たちはどうするんだ?」

 雲雀恭弥は半分ドアを通ったところで立ち止まり、視線だけで足元の彼らを見渡す。随分冷めた目で見下ろして、溜め息と共に吐き出すように答えた。

「放っておけば」
「そう、……いうわけにもいかないと思う」

 危なかった。ついつい「そうだな」と頷いてしまうところだった。さすがに怪我人の放置は如何なものかと言い募ろうとして、しかし先に雲雀恭弥が口を開く。

「そもそも、そうなったのは自業自得でしょ。彼我の実力の差も分からず噛みついて、咬み殺されただけの話。自省させるためにも放っておけばいい」

 まぁ、被害者が加害者を庇うのもおかしな話ではある。こいつらが下手なことを言い出さなければ、家事を途中で放り出すこともなかったのだし。
 けれど放っておくのも気が引ける。再考し彼らを見下ろすと、元から意識があったのか今目を覚ましたのか、数人が声を殺して泣いていた。従う人間からの厳しい言葉に涙を禁じ得なかったようだ。自業自得らしいので仕方がない。

「行くよ」
「え」
「何。ここにいたいの」
「別にそういうわけではないけど……」
「なら付いて来なよ」

 屋上のドアの向こうへと消える雲雀恭弥に、どうしたものかとドアと屋上の状態とを交互に見遣る。しかしすぐ近くの足元から「……放っておいてくれ……」と涙声が聞こえて、視線を足元に向けるのをやめた。
 そのまま屋上から出てドアを閉めると、途端に男たちの泣き声がドア越しに聞こえてくる。喧嘩を売られたのはこちらだけれど、結果がこれだと彼らがすごく可哀想になってくるな……。泣き声の合間に「鵲絶対にぶちのめす」と恨み言が含まれた時点で僅かな憐憫も霧散したが。
 雲雀恭弥はすでに風紀委員たちから興味は失せているようで、何も聞こえていないかのようにすたすたと階段を下りていく。わたしも数段遅れてついて行くが、その間に会話らしい会話はない。
 途中、部活動のためか登校していた生徒とすれ違うも、短い悲鳴を上げて逃げられてしまった。休みの日まで風紀委員長に会うなんて運のない生徒だ。
 わたしも、今日は風紀委員に喧嘩を売られて運がなかった。せめてもの救いは、連れて行かれるところを弟に見られなかったことだろう。見られていたら弟が殴り込みに来ていた可能性がある。よく分からない過保護な面があるからな……。
 考え事をしつつも前を行く雲雀恭弥の様子はきちんと視界に入れていたので、一つのドアの前で止まったのを見てじぶんも足を止めた。

「中に入って」
「図書室、に一体なんの用で?」

 目的地は図書室だったらしい。

「風紀委員の使う部屋はまだ正式に決まってなくてね。今は図書室を代用しているんだよ」

 説明されて、応接室を使うのは来年からか、と原作の知識が頭に浮かぶ。風紀委員が図書室に常駐しているのなら、今年の図書室利用率は過去最低だろうなぁ。
 雲雀恭弥に続いて図書室に入る。中は特に変わった様子はなく、普通のよくある図書室、といった様子だった。一か所だけ読書用の机と椅子が端に寄せられて、代わりに一対の黒革のソファとそれに見合ったテーブルが置かれている以外は。

「どこでもいいから、とりあえず座りなよ」

 こちらを見るでもなく指示をして、自身はさっさとソファに座る。
 どこでもいい、とは言うけれど、これで一番遠い席にわたしが座ったらどうするんだろうか。その時の反応が見てみたくないと言ったら嘘になるが、それ以上に面倒臭くなりそうなので大人しく反対側のソファに座った。

「これ、ホチキスで留めていって」
「……その間、雲雀恭弥くんは?」
「僕は僕の仕事があるんだよ」

 テーブルの上には文鎮で押さえられた書類の山が三つ程あった。わたしに示されたのはその内の二つで、何枚かごとに交互に重ねられている。これが一部なのだろう。
 残りの一山は雲雀恭弥の仕事らしい。テーブルの隅に寄せていた判とペンを手元に寄せて、上の紙から順に目を通し始めた。

「……荒事の次は雑務か……」
「あれは僕の用事ではないでしょ」

 わたしが力なく零す愚痴に、雲雀恭弥は理解できないと言った風に首を傾げる。彼の中では全く無関係の出来事であるらしい。彼等はきみの所の委員ですよ。
 仕方なく腹を括って、山の上から一部手に取る。用意よく、ホチキスはわたしの席側に置いてあったのでそれを使う。
 とんとん、ぱちり。とんとん、ぱちり。
 しばらく黙々と作業を続け、山が一つ終わった頃に時計を見上げる。そろそろいい頃だろうと時間を確認してから口を開いた。

「これが終わったら帰っていいよね?」
「なんで」
「今日は友達と出掛ける予定だったから。時間的にはまだ余裕があるから、これが終わってから向かっても間に合う」

 事情を伝えれば、何か思い至ったのか「……ああ」と左上に視線を向けながら言葉を続ける。

「それなら気にしなくていいよ。草壁が断りの連絡を入れているからね」
「なんで??」
「親切心、だよ」

 心の底からの疑問にも、雲雀恭弥はいたずらが成功した子どものような楽しそうな顔で答えた。いや答えになってない。わたしのなんでは、なんでわたしの予定を把握しているのか、と言う意味と、なんで瑞月の連絡先を草壁が知っているのか、と言う意味なんだけど??どこに親切が存在していた??
 一気にやる気が削がれて、ホチキスも書類もテーブルに置いてソファーに寝転がる。目の前の彼から「ちょっと」と咎められるが知ったことか。
 言ったところで聞かないと分かったようで、短い溜め息の後に言葉はなく書類を捲る音だけが聞こえてくる。この僕に歯向かうなんて死にたいんだね、とか言って殴りかかってくるかと思ったのに。少し意外だ。
 かさり、かさり。天井を眺めながら紙の擦れる音を聞く。……あ、洗濯機を回したまま干してない。かさり、かさり。ここまで放置したならもう一度洗い直すしかないかな。かさり、かさり。あぁ、面倒臭い。かさり。

「……ねえ」
「…………なに」

 いつの間にか紙を捲るのをやめていた雲雀恭弥が、こちらをじっと睨みつけていた。
 なんだろう。そろそろ作業を再開しないと咬み殺すよ、とかだろうか。言われる前に始めようと、体を起こしてテーブルに向かう。まだ留めていない紙の束を手に取って、とんとんぱちり。

「……まだ何か」
「きみ、本当に兄も姉もいないの」
「いない。弟ならいる」

 またその質問か。
 兄か姉の有無。この問答はわたしが生徒会長になってから、暇や機会さえあれば何度となくされたものである。いないものはいないのに、大変しつこい。面倒臭過ぎて早々に敬語も消えた。
 まぁ、この問答の原因に心当たりがないわけではない。あの夕暮れ時の路地裏。あれが夢ではない別の何かなら、じぶんは高校生の姿で今より幼い雲雀恭弥に会ったことになる。俄かには信じられないけれど。それを言えば現状だって信じ難いが。
 わたしの返答に、雲雀恭弥は「そう」とだけ返してまた書類に目を落とす。
 いつもの返答に、いつもの反応。
 それ以上何も言わないのを確認してから、わたしも自分の作業に戻る。
 気にしているのか、本当はどうでもいいと思っているのか。いまいち判別がつかない。どうでもいいならこれ以上無駄な問答はやめてほしい。
 ぱちり、ぱちりと書類の束を増やしていく。最後の束と手に取って、端で留めて、おわり。出来上がった山を整えてから、雲雀恭弥の作業の邪魔にならない場所まで寄せた。

「おわった」
「……うん、ご苦労様」

 ちらりと横目で確認した後の、労いの言葉。まぁ、言われただけマシと言ったところか。
 追加の作業でも言い渡されるのかと待ってみたがそんなことはなく、黙々と自分の作業を続けるものだからじぶんは手持ち無沙汰になる。することがないなら帰ってもいいだろうか、と図書室のドアに視線をやり、目の前の雲雀恭弥へ戻す。何も言わないなら帰ってしまおうか。

「……なに」
「いや、帰ってもいいのかな、と思って」
「ああ。まだ仕事があるからダメだよ」

 そう雲雀恭弥が言ったタイミングで、図書室のドアが開く。そこにいたのは書類の山を持った風紀委員。そしてあの草を咥える風体から、おそらく草壁哲矢だろう。
 初めて見たな、とぼんやり見ていると、目が合った瞬間に睨まれた。数十分前の屋上での出来事から心当たりがないわけでもないが、彼個人に対しては何かした覚えは全くない。目を逸らす理由がないのでジッと見続ければ、向こうも負けじと睨み続けてくる。面倒臭いな、一発蹴りつけてやればいいのかな。

「何してるの。早く持ってきなよ」
「押忍!」

 鶴の一声ならぬ雲雀の一言に即座に視線が外れ、きびきびとした動作で新たな書類の山が目の前に築かれる。

「置いたら出て行っていいよ」
「しかし……」
「二度言わせるの」
「……失礼しました」

 雲雀恭弥は一度も草壁哲矢に目を向けない。言葉だけで草壁哲矢は怯み、頭を下げて退室した。わたしの横を通る際の舌打ちとメンチを切るのは忘れて行かなかったようだが。
 風紀委員からのヘイトが高い。なんだこいつら面倒臭いな。
 再度二人になった空間で、増えた書類の山に手を付ける。お優しいことに天辺にホチキスが置かれていたので、これも先程と同じように綴じればいいのだろう。
 ぱちり、ぱちりと書類を綴じながら、手を動かしても脳が暇なので別のことを考える。
 なぜ雲雀恭弥は高校生姿のわたしについて執拗に尋ねてくるのか。……まぁ目の前からいきなり人が消えたなら気になるか?白昼夢だったと思い込むには、足元に伏した不良たちが否定する。しかもそんな人物と似た顔をした人間が目の前に現れたなら尚のこと。似ているどころか本人だが。
 ──教えてみようか?あれはじぶんだったと。
 どうせ信じないだろうけど。わたしだって、昔会った人間が若返った姿で現れたとして、本人だと考えるよりも親類縁者と考えた方が現実的だ。
 つまりは教えたところで無駄という結論。最悪、僕に嘘を吐くなんていい度胸してるね、とでも言われて咬み殺されるのがオチだろう。
 ああ、今後も、いるんでしょ?いないです、の問答が続くのか……。

「人の顔を見て溜め息を吐くなんて、いい度胸してるね」
「いい度胸判定多いんだよな……」
「なに」
「なんでも」

 雲雀恭弥を見ているのも無意識だったが、溜め息を吐いたのも無意識だった。
 今度は意識して溜め息を吐けば、雲雀恭弥が今まで使っていたペンを私にペン先を向けて飛ばしてくる。わざわざ当たる必要もないと頭を傾け避けたわたしの背後で、ペンは木製の本棚に刺さった。当たり前だが、普通、ペンは本棚に刺さったりしない。
 当たらなかったのが不満なのか、雲雀恭弥は眉間の皺を増やして新たなペンを手に取り書類仕事に戻る。二本目が飛んでくることがなくて良かった。

「それで、何か用なの」
「用と言うほどでは」
「僕がわざわざ聞いてあげているんだけど」
「…………」

 この風紀委員長様はさぁ。
 こつこつこつこつ、と雲雀恭弥のペンが書類に黒い点を量産する。書類のために僅かに顔を伏せた状態でこちらを睨め上げる様は、大変不機嫌そうだ。そんなに機嫌を損ねる行動をした覚えはないのだけれど。
 まぁ訊くだけ訊いてみればいいかな、と半ば投げ遣りな気持ちで、ぱちりぱちりと作業を続けながら口を開く。

「本当に、用と言うほどのことではないのだけど」
「そう。だから、なに」
「そこまでわたしに似た誰かについて探ってくるのはどうしてかな、と思っている」

 視線は綴じる紙束に向けたまま、雲雀恭弥の返答を待つ。さぁ、どう答えるだろう。面倒臭がって、なんとなく、と言われる確率も結構高い。
 作業を続けつつ待って。待って。……なかなか答えが返ってこないな?
 おかしいと訝しみつつ顔を上げれば、ソファに背を預けて腕を組み、右手を顎にそえた格好で考え込んでいた。明確な答えを彼自身持っていなかったらしい。そんな程度のことなのだ。
 はぁ、と一つ溜め息を吐く。雲雀恭弥から手元の作業に意識を移そうとして、その前に雲雀恭弥と目が合った。口元を隠すように右手を持っていき、ぽつりと呟く。

「ああ……、一目惚れ、かな」

 ガヂュリ。手元から金属質の雑音が室内に響いた。力の加減を間違えて、ホチキスが少しばかり薄くなってしまったようだ。

「申し訳ない、ストレスで幻聴が聞こえるようになってしまったらしい。なんだって??」
「…………」

 答えの代わりに、雲雀恭弥はうっそりと笑むように目を細めた。ぞわりと鳥肌が立つ。いや、ない、ない、ないだろ、どう考えても。
 たちの悪い冗談だ。
 あの雲雀恭弥が?たった一度会っただけのろくに会話もしていない、どこの馬の骨とも分からない誰かに対して??そもそもそんな感情を持ち合わせているのかこの風紀委員長様は。病気の不整脈と勘違いしてるだけじゃないのか??
 一般人が出せば場が盛り上がる単語も、雲雀恭弥が出すと心臓に悪いものになるらしい。
 原作で明言されていないだけで死期が近かったりするんだろうか。
 疑わしくジロジロと見ていれば、細められていた目が呆れた視線へと変わる。そのまま、背もたれに預けていた背を浮かせて書類作業へと戻った。

「……え。なになになに」

 無言で流すのはやめてほしい。説明が欲しくて、書類の上に手を差し出し作業の妨害を試みる。躊躇なくペン先を押し付けられた。地味に痛い。

「ああ言えば舌も軽くなるかと思ってね。ああ、僕の案じゃなく草壁の案だよ」
「どちらにしても意外だけれど。まぁ確かに、恋愛話で口が軽くなる傾向はなくもないか……」
「きみの場合、逆に重くなるようだけど」
「発言したのが『雲雀恭弥』でなければ対応も変わるよ」

 誰だってそうだろう。試されているのかとすら勘繰ってしまう。

「いや、まぁでも嘘で良かったよ。あの雲雀恭弥がまさか、」

 あ。

「……得体のしれない誰かに惚れたなんて、それこそ風紀委員たちが卒倒してしまう」

 誤魔化せただろうか。不自然でないように雲雀恭弥を見、様子をうかがう。……笑ってるなぁ。

「やっぱり。きみ、何か知ってるでしょ」
「なにも知らないなぁ」
「嘘が下手だね」

 鼻で笑われた。いいじゃないか正直者で。
 だからといって嘘を吐かないわけじゃないが。
 いい機会だともっと突いてくるかと思ったがそんなことはなく、「もう少し賢くなりなよ」と小言を言って書類へと意識を向けた。それに倣って私も雑務に戻る。とんとん、ぱちん。
 ──……賢く、賢くねぇ。
 馬鹿ではないがそこまで賢くはない、と自認している。だから、いつかはどこかで誰かにバレるだろう。いや、あまりにも荒唐無稽な話過ぎて逆にバレないか?
 夢の中で数歳若い雲雀恭弥に会っていただとか、その時のわたしは高校生だったとか、この世界は実は漫画の世界なのだとか。自分で言っておいてなんだが、どれも頭がおかしいのかと言いたくなる内容ばかりだ。頭のお医者さんを勧められたとしても仕方がない。
 そもそも、ここは本当に漫画の世界で合っているのだろうか?似ているだけの並行世界という可能性もある。……わたしの頭がおかしいだけの可能性だってある。覚めないだけの夢を見ている可能性も、自分が異邦人だと妄言を吐いているだけの可能性だってゼロではない。
 真面目に考えると頭が変になりそうだな。もしくはすでに変なのかも。

「ねぇ、紙にしわが付くよ」
「あ、ごめん」

 考え込んだばかりに、手に余計な力が入ってしまったらしい。しわがついた場所をのばして、改めてホチキスで留める。
 答えが出ないことを考えても、仕方がないことだと分かっている。これでまだ、神様だとか管理者だとか、そういった何か上位的存在が目の前に現れてくれていて、経緯やら目的やらを説明してくれていれば……。いや、それも妄想の一つと捉えられる可能性もあるな。
 ああ、面倒くさい。
 段々と自己存在証明の危機に陥っている気がする。わたしは誰で何者だ?この漫画を読んだことがある読者だ。この漫画の世界の外の誰かだ。じゃあどうしてここにいる?……知らない。知ったことか。

「……本当に面倒くさいな……」
「そこまで難しい仕事は振ってないけど」
「いや、この作業に対してではなく別の話。大きい独り言で申し訳ない」
「ふぅん……?」

 訝しげな視線を向けられた。もしくは不審人物を見る視線。今の精神状態だとたいへん参るのでやめてほしい。
 眉間に寄っていた皺をほぐして、最後の一つをホチキスで留めた。完成した山の上に置いて、両腕を上へと向けて伸びをする。ちょっと変な音がした。

「じゃあ、お疲れさまでした」
「は?」

 とても低音の『は』を頂いてしまった。が、気にせずソファから立ち上がり帰り支度を始める。支度とは言っても、特に持ち物もないので使ったホチキスをテーブルの端に置くくらいなものだ。

「なに勝手に帰ろうとしてるの。誰も帰る許可なんてしてないんだけど」
「そもそも風紀委員でもないじぶんが手伝う方がおかしいと思う。こんなホチキス留めくらい彼等でも出来る」
「あんな粗野な連中が?」
「……留めるくらいなら」

 言われて確かに、留めたところできれいに揃ってはいなさそうだなと思った。しかしだからと言って、その業務がわたしに振られる謂れはないだろう。

「改めて。また来週、雲雀恭弥くん」

 さっと片手を上げて挨拶し、踵を返す。わざわざ立ち上がって止める様子もないし、これは帰っていいということだろう。
 ドアノブに手をかけ、たところで顔の横を何かが通り過ぎて壁に刺さった。既視感。そこにはさっきまで雲雀恭弥に使われていたペンがあった。雲雀恭弥の前世って忍者だったりする??
 振り返りたくないながらも、ここで無視して出て行ったらその後の方が恐ろしい。意を決して振り返れば、立ち上がり、次撃のペンを構えている雲雀恭弥がいた。

「呼び止めたいなら声を掛ければいいんじゃあないか?」
「その暇もなくいなくなろうとするからじゃない」
「攻撃をする暇はあるのに??」

 おかしくないか????
 その行動の不可解さを指摘してやろうと口を開き、面倒くさくなって口を閉じる。まぁ、いいか。雲雀恭弥だものな。
 刺さっているペンを抜き、テーブルまで出戻り置いてやる。

「ご用件をどうぞ、雲雀恭弥くん」

 ふてぶてしく感じるよう、訊ねる。
 朝から色々と邪魔をされて、こちらとしても結構不機嫌なのだ。そこに頭がこんがらがるような、気分が下がるような考え事が加えられて、もう一刻も早く帰りたい。
 わたしの不機嫌さを感じ取ったか、雲雀恭弥の片眉がピクリと動く。気に障ったか?殴りかかってくるようなら、逃げるついでに帰宅してしまおう。

「……きみのその呼び方。気に入らないな、馬鹿にされている気分になる」
「呼び方?」

 突拍子もない話題に、首を傾げる。呼び方……、呼び方?なんと呼んでいたっけ、意識したことがないのでパッと思い付かない。
 雲雀恭弥、くん、だっけ。フルネームに敬称は彼的にはダメだったか。語感もよく、覚えやすくてよかったのに。
 だとしたらなんと呼べばいいだろう。腕を組み、片手を顎に添えて考える。

「雲雀くん、と呼べばいいのかな。雲雀さん?」

 ヒバリさん呼びは確か沢田綱吉だったか。読者であれた時は彼に倣ってそう呼んでもいた。
 雲雀恭弥に確認のため声もかけるも、なんだか納得していないようでムッとしている。じゃあなんて呼べばいいんだ。いっそ指定してくれ。

「スイ」
「ん?」
「僕は、きみのことをスイと呼んでるんだけど」
「はあ」

 そう、だったかな?ねぇ、とか、きみ、とばかり呼ばれて記憶に薄いな。
 それで、名前を呼び捨てているからなんだというのか。同じように名前を呼び捨てろと?まさか、僕は呼び捨てるけどお前は様を付けろよ、とか言い出したりはしないだろう。……しないよな?

「…………雲雀さま?」
「なんでそうなるの」

 違うようだ。よかった。
 代わりに射殺さんばかりの視線をもらう羽目になったが、軽い代償だろう。
 となると名前で呼び捨てにする一択になるのだけど。……いいのだろうか?烏滸がましくないか?大丈夫か??

「……また、来週会おう。……恭弥」

 間違ってないか。本当に大丈夫か。
 常にない程どぎまぎとしながら雲雀恭弥の出方をうかがう。これで、馴れ馴れしい、とか言いながら殴りかかってこないだろうな??
 当の雲雀恭弥といえば、一つ頷いてソファに座り書類へと向かった。
 頷いたということは、これが正解なのだろう。
 ホッ、と胸を撫で下ろし、恭弥の様子をちらちらと見ながらドアへと向かう。これ以上何もないな?これ以上ペンが飛んできたりしないな??
 ドアを出て、閉める瞬間。

「お疲れ様、スイ」

 振り返り確認する前にドアが閉まる。
 もう一度開けて確認してみようか、という気持ちが僅かに湧くも、やめておこうと手を引いた。
 昇降口へ向かって廊下を進む。誰もいない階段を二段抜かしで駆け下りる。今にも走り出したい気分だったが、校内であることを考えて我慢した。
 名前を呼んで、呼ばれただけだ。なのに、たったそれだけのことがこんなにも嬉しいものだっただろうか。瑞月に呼ばれた時も嬉しく思ったが、ここまでではない。あの雲雀恭弥に認められたからか?
 他の彼らにも認められれば、この世界でも地に足を付けて生きていける気がする。
 ああ、そうだ。どうしてここにいるのかも、何をするためにここにいるのかも、じぶんの認識の真贋も、そんなことを考えるのはやめておこう。
 じぶんはここにいて、彼らの名前を呼んで、彼らに名前を呼ばれて。それでいい。それだけでいい。単純に考えよう。難しいことを考えるのは面倒くさいだけだ。
 ここにいるわたしを認めてもらえれば、きっとそれでいい。

「……どうすれば認められるだろう……」

 昇降口に到着して、ふと新たな疑問を口にする。
 恭弥は何をもって私を認めてくれたのだろうか。強さか?雑務りょくか?特に何かをした覚えがないので心当たりが全くない。
 今日したことと言えば。
 考えながら上を向く。うえ。……屋上?あ、風紀委員たちは今も放置されたままだろうか。様子を見に行った、方が……、まさかこれか??部下を全員叩きのめしたから認めたのか???本当に????
 その図式で行くと、沢田綱吉に認められるには雇用見込みのある彼の同級生と先輩と他校生と五歳児を倒す必要が……???マフィアに雇う雇われるの関係性があるかは置いておいて。
 逆に嫌われるんじゃないか。

「やめよう……」

 恭弥は特殊なケースだったんだ。彼を基本として考えたらダメだ。
 ……うん、これに関しても考えるのはやめよう。なるようになる。ならない時は仕方がないさ。一人だろうと認めてもらえるのならそれでいい。
 どうせ考えるなら。

「スイちゃん!」
「瑞月?」

 靴を履き替え外に出れば、そこには私服姿の瑞月がいた。わたしの顔を見るなり名前を呼んで、それほどもあいていない距離を駆け寄ってくる。
 瑞月には会えない旨を草壁哲矢が伝えてくれたんじゃなかったのか?
 その疑問が顔に出ていたようで、「お昼頃なら風紀委員の予定も終わってると思って。勝手に待ってたの」と笑顔で教えてくれる。待ってたって……、これでまだ恭弥に雑務を押し付けられ続けていたら待ちぼうけていた可能性もあるんだが。
 無理をしないでくれ、と言おうとして、何か違うなと言葉を飲み込んだ。
 こういう時は、そう。

「ありがとう、瑞月。待たせたお詫びになにかおごるよ」
「どういたしまして。じゃあ、映画のドリンクおごってもらおうかな!」
「ポップコーンもつけよう」
「あはは!お昼の後じゃあ入らないよ!」

 自然と繋がれた手を受け入れて、校門に向かう。
 ああ、どうせ考えるなら、瑞月とのデートプランでも考えよう。


***
20250208
通りすがりの部活動中の生徒
A「生徒会長は彼氏だった……????」



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